生存if


 花京院は友人を選ぶ。彼は、彼が尊敬に値すると思う人間にしか、友人というラベルを貼らない。そのくせ、孤独を好んでいるわけではないところは難儀だと勝手に思う。ちなみに、普段の彼を見ていると、"他人"に対して別段無愛想というわけでもなく、人付き合い自体はそつなくこなし、この学校で一番の有名人の隣での日常を過ごしている。そして、この学校で花京院はモテた。そりゃもう、滅茶苦茶モテた。一見するとどこか女性的な柔らかさのある顔立ち。それに反して程よく筋肉がついている男らしさもあり、スラリと伸びた脚が合わさったスタイルの良さ。すらすらと出てくる優しく甘い言葉。両まぶたに傷というちょっとミステリアスで危険な雰囲気。今までかろうじてJOJOファンクラブへの入会を踏みとどまっていた女の子たちが、全て花京院ファンクラブに回収されるまでに時間はかからなかった。今やこの学校の女生徒は、承太郎派か花京院派か、そのどちらかにもしくは両方に必ず属しているというのだから、すごい世界である。
「あ、ありがとうございます!よろしくね!」
 名前くらいしか知らない女の子が、頬を上気させて走り去っていった。私の手には、かわいいハートのシールがついた手紙が残された。
 私はというと、よくラブレターを受け取ることになった。そりゃもう、滅茶苦茶渡された。……語弊がある言い方をした。どうやら、JOJOファンクラブの女の子たちは我こそはJOJOの隣にというアクティブな子が多いが、反面、花京院ファンクラブの子たちは花京院を神聖なアイドル的存在と見て近寄りがたく思っている子が割合多いらしい。窓辺でそよ風に前髪を揺らしながら文庫本をめくる花京院は確かに絵になる。たまにイラッとする程度には。そして、彼はそういう時間に"他人"を寄せ付けない空気を出すのがうまかった。
 そこで、私の出番というわけだった。あのひと月半のエジプト旅行以来、承太郎と花京院と私という三人は親友として周囲にインプットされた。ただ、圧倒的人気を誇る彼らが男なのに対して、私の性別は不安要素だった。実を言うと、毎日校舎裏とか女子トイレに引きずられていってあれやこれやと恐喝される目に合うのではと戦々恐々としていた。いや、いざとなればスタンドで乗り切れるとは思うけれども、私は平穏に学園生活を送りたいのだ。は静かに暮らしたいのだ。
 ひとまずそこに関しては、承太郎も花京院も私を女扱いではなく対等な友人として扱ってくれたこと、揶揄される度に友人だと言い切ってくれていたこと、そして、私が体育前の着替えの際に、体中にある普通の女子高校生ではありえない数と大きさの傷跡を見られてその場の女子全員にドン引きされたのが決定打となり、晴れて私の存在は彼女たちからはノーマークとなった。
 そんな形で、私は無事花京院へたまに承太郎へのメッセンジャーとして就任したのであった。代わりの問題点としては……。
「やあ、”お嬢”」
「花京院、や、やめてよその呼び方」
「ごめんごめん」
「お似合いじゃあねえか、”姉御”」
「承太郎までからかって……」
 ……クラスの女の子たちから始まって、私の"噂"が爆発的に蔓延したことだった。暴力を生業としているお家の跡取りだとか、レディースの総長だとか、なんかもうとんでもない。私の体の傷と花京院の目の傷はこの1ヶ月半続いた抗争でついたものらしい。……ここに関してはまるきり嘘と言い切れないところがつらい。さらに、承太郎も花京院も体に傷跡が沢山あることが男子たちから広められ、私の"素性"が謎の信ぴょう性を帯びてしまった。おかげでいじめられはしないが、友達もできやしない。さっきの女の子も、同学年のはずなのに敬語が入り混じった喋り方だった。悲しい。そんなこんなで、つるむとしたら本来静かに過ごしたい承太郎と、友人審査が厳しい花京院と、激ヤバメッセンジャー認定された私の3人でもっぱら過ごしていたのだった。
「花京院、これ」
「え? ああ」
「隣のクラスの女の子からだよ」
「わかった。ありがとう」
 そう言って微笑み、花京院はピンクの封筒を鞄の中の透明なクリアファイルにしまった。そのすっかり手慣れていてすっかり見慣れた動きを見ながら、私はあの女の子の顔を思い浮かべた。薄ピンクに染まった頬、緊張に少し震える手、私の承諾を聞いて浮かべる笑顔。恋する女の子の顔はあんなに可愛いのかと、私はこの半年で何度も思った。自分がああいう顔をするのが想像できない。だからこそ、余計に可愛く思えてきて、初めはただただ面倒くさいと思っていたが、次第に女の子たちを心の中で応援し……そして今では、ある種の憐憫の情が湧くのだった。
 ……花京院は、それらの手紙を読まないのだから。
 以前、手紙をどうしているのか聞いたことがある。花京院はいつも「気持ちはありがたいよ」と微笑んではぐらかす。花京院は、私が手紙を渡すときだったり、こういう関係の話のときは、口元だけがうまく微笑んでいて、その目は私をじっ……と見つめているのだ。私に何かを言って欲しいのか、私を観察しているのかはわからないが、本当にこの時だけ、花京院はその目をするのだった。その目が嫌なわけではないが、彼が友人である私に対して愛想笑いで取り繕うということが、居心地の悪い気持ちを抱かせた。
 彼のあのクリアファイルはいつ見ても綺麗で……そして、そこに挟まれた手紙たちはいつも一つとして開けられた様子がない。ある程度たまってくるとクリアファイルは空になるのだが、あの手紙たちがどこでどうしているのか、そこまで尋ねる勇気はなかった。
 ただ一つなんとなくわかること……恐らく、花京院は一通も開いてはいないだろう。なぜなら、たまに手紙を読んでくれたか確認に来る女の子への返事はいつも、私に取り繕うのと同じような「気持ちは嬉しいよ」というようなことだけを、口角を上げてやっぱりそつなく言いくるめるだけなのだ。少なくとも私が目撃した場面では、手紙の内容には一切触れたことはないが、女の子たちは皆一様に頬をピンクにして去っていくのだ。頭が良いモテ男とは恐ろしい。……ちなみに、承太郎は女の子と私の労力への義理で一応一度は目を通してから処分しているらしい。
 まあ、つまるところ、友達審査がいやに厳しい男が、1枠しか無い恋人審査では甘いなんてことは有り得ないということだ。あまりに狭い関門過ぎて、花京院はそもそも応募を受け付けていないんじゃないかとすら思ってしまう。そのくせ手紙を受け取る時に嫌な顔をしないので、私は、彼のそういうところを知りながら、彼女たちの手紙や時にはプレゼントを預かって、そのまま花京院に渡すのだ。流石に、最近は多少の罪悪感が募る。かといって、余計なことを言えば彼女たちが失敗したあとに私が八つ当たりに合うのは火を見るより明らかである。
 それに、花京院の気持ちもわからないでもない。他人事として見ていると酷い男だなあと思うけれど、当人からしたら話をしたこともない相手から、返却もできない状態で一方的に色々渡されて……それをどうしようが、言ってしまえば彼の勝手なのだ。そんななんともいえない板挟みの中で、私は日々淡々とメッセンジャーに勤めていた。


「なんだって?」
 花京院が切れ長の目を開いてこちらを見下ろす。今日はたまたま花京院と私二人での下校だ。
 折角だからと聞いてみた”ずっと気になっていること”を、もう一度繰り返した。
「いや、だから、もし花京院が迷惑だと思うなら、手紙を預かってくるのをやめるよって」
 これ関係のことになると、途端に花京院の表情に愛想笑いが増えることが、やっぱりとにかく気がかりなのだ。
 もしかしたら、私が受け取ってきてしまうから、花京院は受取拒否ができずにいるのかも知れない。花京院も、私の立場を考えてくれて、私にやめてくれと言えないのかも知れない。でも、もしそうだとしたら、ずっとこのままでいるのは、私にも花京院にも良くないし、嫌だと思うなら、友人なら、ちゃんと相談しておくべきだと思ったのだ。
 とろとろと歩きながら、彼の揺れる前髪を眺めて、花京院の反応を待った。車が一台……二台、通った。いつもいつの間にか車道側にいる彼が、重々しく口を開いた。
「その、きっと、ひどく恥ずかしいことを聞くんだが」
「なに?」
は、ぼくに嫉妬とか、感じてくれたり、するのかい」
「? 花京院のことは尊敬してるし、普通にするよ?」
「そっ、そうなのか 」
 何の話だろう。返ってきた言葉が、あまりに予想していたものから外れていて、私は思わず首を傾げてしまった。
 嫉妬を感じない人間は存在しないだろう。大なり小なりみんな嫉妬はするものだと思う。私だって、承太郎や花京院といる時にその頭の良さと精神の強さを羨まないことはない。そう、嫉妬するなんていうのは人間なら当然のことだ。
 それをひどく恥ずかしいこと、と前置きをして、しかも私の返答に驚くなんて……やっぱり花京院は、気高い性格なんだと再認識する。そういうところも尊敬できるし、積極的に見習いたいと思う。
「そうか……」
 ぽつりと、なんだか噛みしめるようにゆっくり呟いて、花京院は考え込むように唇を結んでしまった。
 ……珍しい。花京院は、冷静で頭の良い自慢の友人だ。こうやって口ごもったり、自分の考えがまとまらないまま話すところは見たことがない。なにか、私はよほどまずいことを聞いてしまったのだろうか。もしかして、怒らせてしまっただろうか。
「…………」
「……すまない。ぼくは、」
 私の口が何も良い相槌を出せないまま開閉しているうちに、花京院が沈黙を破った。
「前にも言ったと思うが、以前のぼくはあまり人と関わることが無くて……だから、こういう時に、どうしたら良いものかがよく分からないんだ」
 なるほど。今まで友人がほとんど居ないとなれば、こういう恋愛が絡むいざこざとか、そういう対処にはより一層困るかもしれない。今まで普通に友人がいた私でも絶対困るもんな。……それにしては、普段随分女の子たちへの対応がうますぎると思うけれど。
「それに、違うとは分かっているんだが、君から渡されると、つい、期待してしまうぼくがいるんだ」
 確かに、スタンドが分かり合える友人が増えることは、彼にとっては嬉しいことだろう。私が受取人なら、もし相手がスタンド使いであればその時点で気がつくし、花京院にも間違いなくそれは伝える。そう考えると、とても低い可能性だけど、期待をしてしまうのも無理はないと思う。
 ……それにしても、私のこの心配は、きっと、彼の心の柔らかい部分を踏んでしまったのだろう。花京院の、いつもと違う、どこか固い声が頭に反響する。彼があまり自分の過去の対人関係に良い思いを持っていないことは知っていたんだから、もっと良い言い方とか方法があったかも知れないのに。そう思うと、急激に、私の頭の中が申し訳無さでいっぱいになった。
「……こちらこそ、気が付かなくて、ごめん」
 しっかりと、彼の緑がかった瞳を見る。こういう時にへらへら誤魔化すのは良くない。そう思って見つめたのだけれど、二、三回の瞬きののち、ふい、と顔を背けられてしまった。いつもは不快なら不快だとハッキリと言ってくれる花京院のその反応は、ちょっとショックを受ける。
 ただ、彼の歩き方とかから見える雰囲気だと、怒り心頭というふうには……見えない。今までの付き合いの中で、今日が一番、花京院の気持ちがわからなくて困惑してしまう。いや、もしかしたら、花京院も、友人とこうやって色々と内心を吐露する機会が今まで無くて、困惑しているのかも知れない。
 とにかく、今の問題点である手紙の郵便家業に関しては、私の意見もちゃんと伝えなければ花京院も判断できないだろうし、と頑張って口を開いた。
「ええーと、花京院がどう思ってるかを、教えてくれれば、私は、それで良いと思うよ」
 緊張で、しどろもどろになってしまう。花京院はこれだけで仲違いをするほど怒るような人じゃあないと思ってはいるけれど、もしも、と考えると、少しビビってしまう。仲の良い相手とギクシャクするのはやっぱり怖い。それでも、花京院が実は手紙をもらうのは嬉しいと言うなら続けるし、嫌だと言えば廃業するし、私はどっちでも構わないという気持ちは伝えておきたかった。
「……は、急にぼくからこんなことを言われて、嫌じゃないか? ……怖くないか?」
「怖い? ううん。花京院がそう言ってくれるなら、なにも嫌なことはないし、むしろ嬉しいよ」
 もちろん、手紙を断るとなれば、初めはちょっとしたトラブルがあるだろうし、それが怖くないかと言われたらそりゃちょっと怖い。でも、大切な友人が実は困っているんだと言うならば、私のちっぽけな恐怖心なんかは一切関係ないのだ。それに、いちいち呼び出されて手紙を受け取って大事に保管して花京院に渡す、という一連の流れは正直言えばやっぱりかなり面倒くさい。呼び出しの度に休み時間だって削られてるし。だいたい、なんか絡まれたって、スタンドと印籠と化した体中の傷があればすぐに収まると思う。そういう感じなので、むしろ、花京院からはっきりともうやめてくれという意思が聞ければ、それを理由にこちらも心置きなく喜んで断ることができるというものなのだ。
「あ、ありがとう……その、とても嬉しいよ」
「いえいえ、こちらこそ、どういたしまして」
 今度は、花京院が私の目を見て笑った。とりあえず定型文として返事を返したけれど、そんな、花京院にそこまで喜ばれるとは思わなかったので、ちょっと驚く。やっぱり、なんだかんだ花京院も手紙のことがずっと気がかりだったのかも知れない。勇気を出して相談をして良かった。花京院がちょっと照れたようにはにかんでいて、私も真面目に話をしていたことが、ホッとしたからか急に照れくさくなってきて、一緒ににやけてしまった。
「ん?」
 心のつっかえと肩の荷が降りて、晴れ晴れとした気持ちで交差点の赤信号を眺めていると、するり、と私の手に何かが滑り込んできた。
「……どうしたの、花京院」
 目を落とすと、学ランの裾が、私の手に延びている。そして、そこから覗く手が、私の手を握っていた。隣に立つ、この腕の持ち主に声をかけると、彼は、珍しく自信なさげに、私の顔色を伺うように首を傾げた。
「いや、こうするものかなと思って」
「……どうなのかな」
 正直言えば、仲良しだからといっても友人関係である男女が手をつなぐのは、結構珍しい気がする。女の子同士っていうのはたまに見かけるけど。
「いや、嘘だ。嘘をついた。本当はぼくが、きみとこうしたいと、ずっと思っていたんだ」
 一転して何かを宣言するようなしっかりとした語気と共に、花京院は手の力を強めた。
「そっか」
 ……まあ、花京院がそうしたいと言うのなら、別段強固に断る理由は私には特に無い。私は脱力していた手に力を入れて、友情を確かめるように彼の手を握り返した。
 それにしても、今日はずっと花京院の珍しい姿を見ている気がする。なるほどそうかそうか、花京院は意外と寂しがり屋、ないし甘えたがりなのか。さあて、これは承太郎には内緒にしておいたほうが良いのかなァ? 普段クールな友人の可愛らしい一面に、つい抑えきれずフフッと意地の悪い笑みが零れ出てしまった。その失礼な笑いを受けて、愛想笑いではなく良い笑顔を向けてくれるのだから、花京院は本当に人間ができていると感心してしまう。
「それじゃ、また明日ね」
「ああ」
 また一つ、親友と仲良くなれたことが嬉しくて、私、そして花京院も、足取りがとても軽かった。いつものように他愛も無い話をしていると、いつの間にか、私の家の前まで着いていた。いつものように挨拶をして、いつもと違ってつながっている手を離そうと力を緩めた。
 ……の、だ、け、ども……花京院が、依然私の手を握っていて、離れない。私よりずっと大きい花京院の手に包み込まれてしまっては、どうしようもない。無理矢理引き剥がすのも、失礼な気がする。ああ、もしかしたら、まだ何かあるのかも知れない。花京院は礼儀とかそういうところがしっかりしているから、改めてお礼を言わせてくれ、とかそんなことを言ってくるかもしれない。
「……
「ん?」
「改めて言わせて欲しい」
 ほらきた。予想的中だ。伊達に花京院と死線を乗り越えての濃い付き合いをしていないのだ。
 内心、得意気になって悦に入っていると、ふわり、と頬を何かが撫でた。意識を目の前に戻すと、そこには、黒翡翠、いや、花京院の瞳が、それを囲むまつげの一本一本が見えるくらい、すぐ近くにあった。私の頬に触れたのは、彼の特徴的に垂らした前髪だったらしく、視界の端でゆらゆらと揺れていた。びっくりして、反射的に距離を取ろうとした……けれど、彼の手が、私の手を引いて、それを許さなかった。どさり、と何か落ちる音。そして、私の片頬に、髪の毛とは違う、しっかりした感触。花京院のもう片方の手が、私の顔を捉えている。
 いや、何が起こっているのか分からない。頭の中で「?」が沢山浮かんで、真っ白に点滅する。ついさっきまで、勝ち誇っていたところは全部撤回しますごめんなさい。あまりにも、想定の外側すぎる花京院の動きに、私はただただ眼前の真っ直ぐな目を見つめ見つめられて固まっていることしかできない。……その目が一瞬、伏せた。

「……好きだ」

 それじゃあ、と手を上げて、花京院は去っていった。
 先の一瞬の後にサッと、体勢を戻して、私の手を離して、落ちている彼の鞄を拾って、踵を返して。
 はためく長ランが、曲がり角に消えていった。

 ……私の唇に、なにか柔らかい感触を、あの一瞬だけ残して。

 どさり、とさっき聞いた音。今度は、私が、鞄を滑り落とした。
 さっきの数秒の理解ができなくて、今現在に意識が戻ってこられない。脳みその処理が、追いつかない。
 さっきの数秒、花京院は私に何を言った? 花京院は私に何をした? なんで? どうして? どういうこと?
 どう考えても一つしか無い答えが、彼自身が私に囁いた言葉が、その声が、私の頭に、浮かんで、いっぱいになる。
「は? えっ、は…………ハ、ァアアアアア~~~~~~ッ!?」
 その瞬間、私はとんでもない勘違いをして、そしてさせてしまったことを理解して……言葉にならない叫びが口をついて飛び出すばかりだった。


(200416)


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