膝に載せた本を読んでいる。一行一行、読み飛ばしの無いように、文字に指を添えてじっくりと。
 15時13分から28分までの、きっかり15分。担当に淹れさせた茶(日によってまちまちだ。勿論何を飲むかはぼくがリクエストするがな)がぬるくなり始めた頃から始める、これがぼくの日課だ。
 アシスタントは雇わないぼくだが、今の担当は漫画に関わらないくだらない用事で呼びつけ、家の雑事をやらせていた。
 仕事は目立ったミスもなくこなし、急な呼びつけにもすぐ応じ、基本的にテンションが低く、喧しくなく、無駄に話しかけてこない……と、ぼくの担当としては申し分ない。編集社につく担当つく担当細かく文句、いや注文をつけ続けた成果が出たというものだ。なにより、こいつが淹れる飲み物だけはやたらうまい。いつも仏頂面で「はあ」とか「そうですか」とかしか言わないくせに、インスタントで淹れたコーヒーを挽いた豆のものとぼくが間違えたことがよほど嬉しかったらしく、インスタントコーヒーの粉末をマグカップに放り込む度に思い返しているようだ。まるでぼくが違いのわからない男みたいで、早く忘れろとか、該当文すべてに取り消し線でも引いてやりたいとか、そんなことを思わないでもない。ちなみに、たまに小腹がすいて作らせる料理の腕は、特筆することが一つもない程度のうまくもまずくもない味だ。
 文字をなぞる。一文字だろうと見逃さないように。
 ぼくは、何気にこの担当を気に入っている。ひとつは前述した通り、ぼくにとって都合が良いからだ。ぼくの空気を乱すことなく、ぼくの側に置いて手伝わせられる存在はそう多くない。対局にいるのがあのクソッタレダサ頭と考えてもらいたい。
 もうひとつは、この担当の持つ文字の形だ。ぼくは多くの人間の文字を読んできたが、なんだかこの担当の文字の形に惹かれるのだ。通勤途中の朝露に写り込んだ逆さまの町並みに中はどんな世界だろうかと寝ぼけた空想を雫のプリズムに滲んだレンガ壁の色彩まで鮮やかに描き出す感動、ぼくの原稿をチェックし写植をする際に一コマ一吹き出し一字一句に抱いてくれている感想……文字の形が場面毎に選ばれ、それはどこか繊細で、時には意表を突いてくる。大抵の人間は教科書のようなもののみ、漫画で使われるもののみ、もしくはそいつの筆跡で人生を書かれるのだが、この担当は違う。これだけ多様な形は、こいつが編集者だからだろうか。それもあるだろうが、こいつの生まれ持った感受性……内面のすべてが影響しているのだろう。文章ではあるが視覚へ訴えかける楽しさを持つこいつという本は、ぼくの漫画にきっと活かせる。そう思うから、ぼくはこの担当がそこそこ気に入っているのだ。
 文字をなぞる。岸部先生、というワードを見逃さないように。
 この担当をここへ呼び出すようになってから一年ほど経つが、ぼくと関わるときの感情や思考を読むのが一番楽しい。たまに、意味もなくぼくの記述の部分を切り剥がしてパラパラ漫画にして遊ぶこともある(もちろんその後はきちんと戻してやっている)。一年前の国語辞典の様なフォントから始まり、徐々に、連続で見ていたら気づかない程に少しずつ、角の取れた柔らかい形に変わっていくのだ。
 ぼくは、割りかしこの担当が気に入っている。
 電車に乗れば塀の上にぼくの漫画の主人公を走らせ、お湯を沸かせばぼくがうまいと素直に褒めた時の淹れ方の手順を反芻し、包丁を手にすれば(ぼくとしては普通だと言ったつもりだったのだが)ボロクソにけなされたのがよほど悔しかったらしく料理コラムの編集も担当しようかと最近では悩んでいる、この可愛らしい連載を打ち切りにはしたくないのだ。
「……あ、飲み終えましたか。お下げします」
 ぼくが手を加えるのは、”15時13分から15分間は特に何もなく岸辺露伴の側でぼーっとティータイムを過ごした”という一文だけ。他は付け足しも消しもしない。僕は漫画家ではあるが編集者ではないし、この担当の瑞々しい感性を加工したくはないからだ。
「ああそうだ、おい君」
「はあ」
「今度、菓子でも作ってみてくれよ。君の淹れる”インスタントコーヒー”にとびきり合うやつを食べてみたくてね」
「そうですか」
 お決まりの仏頂面だが、その一枚めくった所にはどんな文字が踊っているのか……次にこの女を呼びつけるときが楽しみだ!


あとがき
お題サイト:永遠少年症候群「べタ惚れ男子15題 10.こんなところが可愛いのは君だけだ。」より
露伴先生のめんどくささを書けるようになりたい…… (181116)


よかったなあとかあればポチッと→ ❤❤❤