食堂に向かう途中、俺に気がつくや否や一瞬で小さくなり角を曲がって消えていくの背中を見送った。クラスメイトが首を傾げて、俺の脇腹を突いてくる。
「あの子、心操によく声掛けに来てた子じゃん?」
「まさかまたヒーロー科の奴らに喧嘩売ったのか?」
「流石にもうそんなことしてないよ。……まあ、心当たりはあるけどさ」
なんとなく後ろ頭をかきながら曖昧に濁せば、何それと言いながらもそれ以上は突っ込まずに流してくれた。昼飯が売り切れないように急いだだけかもしれないが、こいつらのこのあっさりとした気遣いがいつもありがたいと思う。
先日の演習以降、は露骨に俺を避けるようになった。まあ、無理もないだろう。あの時、どうやって口を開かせるか、もしくは動揺させて力勝負に持ち込むかとするための挑発としては、の善意を利用した我ながら多少なりとも悪趣味な内容だったことは否めない。話の流れとはいえ、最後のは特にマズかったと反省はしている。でも、無言のくせに無反応を貫けず、一々動揺を顔に出すも悪い。いや、悪くはないんだが、面白すぎるせいで、ついついあそこまでやってしまった。
ただ、あの最後の言葉以外はなんというか、気恥ずかしいが……間違いなく本心のつもりだ。はいつ会っても元気なやつで、廊下の端からでも俺に気が付けば手を振ってきたり、特に何の用がなくても話しかけにきたりする。その時はヒーロー科の授業やノートの話だったり、好きなヒーローの話だったり、猫の観測スポットの話だったり、幅広く様々だ。正直、自分で言うのもなんだが、俺はそんなに人当たりの良い方でも、積極的に交友関係を築いていく方でもない。……高校に入るまで、俺の顔を見た奴の反応は、嫌そうだったり気まずそうな顔をする方が多かった。だから、俺と見るや笑顔でパタパタと駆け寄って来てくれるのは単純に嬉しいし、いつも明るく一生懸命なは普通にかわいらしく思えた。まあ、特に深い意味はなく小動物的な意味だったけど。そういうことで、ここ最近の露骨に避けられている状況は自業自得とはいえ……少し寂しい気持ちもある。
ただ幸いなことに、どうも嫌われているわけではないらしい。というのも、の俺を目視してから逃げるまでの反応というのが……ぎくりと肩を弾ませて硬直したかと思えば、丸くした目は忙しなく右往左往している。そうして小走りに逃げていくが、その時には頬や耳がカッと一瞬で赤くなっているのだ。少なくとも、顔を顰めたり眉根を寄せたり、そういった嫌悪の表情を向けられたことはないので、あの赤面が怒りからのものじゃないとしたら順当に考えて人が照れる時の反応だろう。
気になるのは、その“照れ”がただ単に好きだとかなんだとか、そういう話題に耐性が無さすぎるところからきているのか、それともあの場面で勝つための挑発としての“でまかせ”だとはお互いに理解したその上であの反応を……つまり、脈があるからなのか、ということだ。
さっきも言った通りが構ってくれることを嬉しいとかの明るい言動をかわいいとか思っていること自体は嘘じゃないので、まあ、俺の方もまるきり“でまかせ”でも無かったのかもしれない。なにせ、ああもあからさまに意識されているのをみて、だんだん俺の方もそんな気になってきてしまっているのだから。
とりあえず、人でごったがえす食堂のメニューを眺めながら、返す約束をまた取り付けられなかったノートのことを頭の隅に忘れないように置いた。
***
夜も更けてA組はそれぞれの部屋に戻っているのだろう。薄暗い廊下を進み、ぼんやりと光が漏れた目当ての場所にたどり着いた。
「おつかれ」
「……えっ!?」
なんでもない風を装って足を踏み入れたのは、A組寮のキッチンだ。そこでご機嫌にも鼻歌混じりに鍋を眺めていたは、俺と認識した途端面白いほどに飛び跳ねた。
「し、しんそっど、どう、ここ、」
多分、どうしてここに、と言いたいんだろう。口をぱくぱくさせている。逃げようにもキッチンの入口側に俺が立っている上にコンロに火が付いているからかその場でただ挙動不審な出来損ないのロボットみたいになっている。
……まあ、正直言えば俺もどうしてここに居るのかはよく分からないといえばそうなんだけど。夕方訓練に向かう道中出くわした蛙吹からは「喧嘩をしているんじゃないと分かってはいるけれど、できればまたちゃんと仲良くして欲しいわ」と心配され、芦戸からは「ちゃんは最近22時くらいにココアを作るのがブームだよ!」と謎のメールが来て、終いには相澤先生から訓練後に「うちの奴らから頼まれた件だが、今夜はお前の学生証でもA組の寮に入れるようにしておく。ん? 勉強道具を返しに行くんだろ」とノートを返しに行くための入寮許可が俺の預かり知らぬうちに降りていた。明らかな作意を感じるが、今後も同じ授業を受けるだろう事を考えると変にこじれていく前に解決したほうが良いのは確かだと思って、俺はその思惑に乗っかることにしたのだった。
「ノート、返しに来たんだけど……逃げるからさ」
「逃げっ……う、いや、だって心操がさ……!」
「俺が?」
「…………」
逃げる、という言葉にカッと反応したはいいが、俺を避けていた理由を思い出したのか一瞬で尻すぼみに語気が弱まっていく。ヒーロー科は大体みんなそうだが、も例に漏れず負けず嫌いだ。わざとらしく優しい声で聞き返してやったら、もごもごと黙り込んでしまった。別に演習でもなんでも無いから、“個性”なんか使うわけがないのに。本当に面白い。
コンロの上には、小さい片手鍋。中にはタレ込み通りにココアだろう茶色の液体が揺れていた。
「俺、と仲が悪いとは思ってなかったんだけど」
一歩近づく。鍋を背にしたの肩がびくりと揺れる。
「もう、見かけても近寄ってきてくれないどころか、挨拶もなしなんて……傷付くなァ」
「…………」
沸々と、鍋の中身が音を立てはじめた。このままだと、ココアは無惨にも鍋底にこびりついてしまうだろう。ブームらしいのに悪いな、とちらりと罪悪感が胸をよぎった。
「ノートとかいつも助かっているのは本当だし、できればちゃんと手渡しで返したかったんだ。それに、また分からないところを教えて欲しかったんだけど」
「…………」
小脇に大事に抱えていたそれを差し出す。泳ぎっぱなしのの目が、ノートと俺の顔を何度もいったりきたりしている。相変わらず言葉は見つからないのか、頬と同じ色の唇は半開きのままだ。
「でもさ……やっぱり、面と向かってお礼も言わせて貰えないってのが……一番辛いかな」
受け取ろうという動きの無いの脇をノートが素通りする。俺はコンロ横のワークトップにそれを大事に置いて、そのままコンロのつまみに手を伸ばす。かちり、と音がして、それきり沸騰寸前の鍋は静かになった。甘い匂いが湯気と共に立ち上がる中、もう片方の手を上げて、ノートと反対側のワークトップについてやると、ちょうど、は俺の腕と腕の間に綺麗に収まってしまった。いよいよ逃げ場を無くしたが、あの時と同じような雄弁に限界を告げる顔をしていて、思わず息を溢して笑ってしまった。
「なぁ、」
「……っ!?」
両腕の隙間に閉じ込めたを、逃さないように覗き込む。あの日初めてまじまじと見た綺麗に光る瞳と、ばちりと視線を合わせてみると、慌てたように勢いよく顔ごと逸らされてしまった。少し惜しく感じたが、代わりにこちらへ向けられたじわじわと赤くなっていく耳に悪戯心がむくむくと湧いてくる。思いきって熱そうなそこに口を寄せてみると、ふわり、と良い匂いがした。ココアとは別の甘い匂い。そうか、この時間なら、もう風呂には入った後だろうか。
「……この間の返事、聞かせてくれると嬉しいんだけど」
「っだから、こういうの、ズルいってぇ……」
たっぷりと間をとって囁いてみると、恥じるように俯いたの髪が揺れる。さらり、耳に掛けられていた髪が落ちる。最近遠目によく見るそれよりも濃い色に染まった頬が、間近の黒いその隙間から現れた。鮮やかなそれがやたら眩しくて、目を細めてしまう。吸い寄せられる感覚に陥る。これは、だめだ。いつの間にか、もう少しで、唇が、柔らかそうなそこに触れられそうだった。
しかし直前、響き渡る耳障りな爆音が俺を止めた。
「コ゛ラ゛散れクソ馬鹿ども! 廊下に溜まるんじゃねえ迷惑だろがァ!!」
「爆豪さん! いっいえ私は、」「あーもー、めっちゃくちゃ良いところだったやんか今!」「爆豪ちゃんはもう少し空気を読むということを覚えるべきね」「そーだそーだ!」「ッァ゛ア゛!?」
騒音に負けない勢いでキャアキャアと女子たちの声が飛び交っている。……まあ、実を言えば、そんなところじゃないかとは思っていた。肝心のは廊下の方を見、俺を見、鍋を見、羞恥で真っ赤にした顔で分かりやすく混乱しているし、この調子と状況じゃ、どちらにせよから返事を引き出せそうにない。揶揄うのが面白くなってしまっただけで、そこまで今日性急に答えを出したかったわけじゃないから、良いといえば良いんだけど。……それにこの様子なら、実質答えはもらっているようなものだ、と思うのは自惚が過ぎるだろうか。
「じゃあ、また。……おやすみ」
せめてもと最後にまたわざとらしく口を耳元に寄せてから、閉じ込めていた手を離して距離をとる。もう自由になったのに、俺の“個性”は発動していないのに、はただ呆然と立ち尽くしている。離れて見ると鍋で全身煮込まれたかのように目に見える部分全てを真っ赤に茹だらせて固まっているがあまりにもかわいらしくて、俺は(やっぱり次見かけたら逃さずにあの口から返事を引き出そう)と誓いながら、未だ続く喧騒を背に寮のドアに手を掛けた。
あとがき
ズルいというか押しが強いというか
(220319)
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