私はあの男が嫌いだった。
 確かに、あの男は策を立てる者で、ただ武をふるうだけの将である私は奴に従い、そして戦に勝利を収めてきた。仕方のない事だった。だが、私はあの男が、どうしようもなく嫌いだった。苦手な人はいる。私とて人間だ。だが、嫌いな人間は人生の内そういなかった。その上で、私はあの男がどうしようもなく大嫌いだった。
 典韋殿。女である私を認め、重宝し、共に戦場に立ってくださったあの方。あの人を、殺した、男。仕方のない事だ、理性で分かっていながらも、本質では全く私という人間には受け入れがたいことだった。
「おい、殿、待ってくれ!」
 鍛錬を終え、廊下を往く私の背後で声がかかる。名前が入っていなければそのまま通り過ぎることが出来たものを、と舌打ちをするのを我慢する。ただ眉を顰め不機嫌を隠すことをせず振り返れば、やはり声の通りのあの男がいた。飄々とどこに重心をかけているかわからぬ立ち姿。あははあと廊下に、私の眉間の皺を見た彼の特徴的な笑い声が響く。
「私に何か用だろうか、賈ク軍師殿。」
「そう、用事があるんですよ」
 次の戦のことでしてね、とへらへら笑いながら近づいてくる賈ク殿に、私はわざとらしく一歩引いて、距離を近づけたくないと意思を表した。それにわざとらしく目を広げ、わざとらしく肩をすくめる賈ク殿。ああ、この男は本当に私の神経を逆なでするのが上手い。
「手短に願おう。」
 この男と話すときは、部下を叱るときよりも冷たい声が出る。理性と本音を切り離せないところはまだ自分の未熟だ。だが賈ク殿本人は。貴女が聞いてくれるのであれば手短にすむんだがね、とまたあははあと飄々と大げさに笑いながら返してくる。
「次の戦、あんたは後衛に回ってほしい。」
 男の発する、その意味がわからずに目を丸くした。私の様な下級の将は、一目散に駆け出し、首級を挙げることが美徳だ。そしてそれは同時に自分を育てた者の功となる。私は典韋殿の為に、
「あんた、左足の怪我が治ってないだろう。」
 唐突な問いかけに思考が詰まる。先の戦、確かに怪我を負った。だが今は鍛錬直後、防具に隠されており見えないはずだ。戦の時も当然そのはずだ。何故知っている。いや知っていようともこの軍師様にはなんの関係もないだろう、思考だけでなく返答が詰まる。
「……この程度、なんともない。」
「その前の戦、あんたは利き腕に怪我を負っていた。」
 訝しげに返すが畳み掛けるように賈ク殿の言葉は続いた。
「あんたは、死にたがっている。」
 賈ク殿は真剣な声で、いつものふざけた色はどこにもなかった。
「俺は、典韋殿を追うあんたを死なすわけにはいかないんでね。」
 いつも浮かべている、事象全てを手の上で転がしていると言わんばかりの笑みもそこにはなく。
「あんたを、失いたくはないんだ。」
 つまり、この男の真剣な顔と眼差しと、声色を、私は初めて目にし耳にしたのであり、私は困惑をしていた。
「何が、言いたいのかわかりかねます。」
 賈ク殿の手が、私の腕を掴む。まるで恋人と手をつなぐ様な、ひどく優しい力に、私は拒絶することも、振りほどくことも、していいのか悪いのか良く分からなくなる。
「そうだねえ、俺の様な人間だと何が奇襲で何が直接なのかわからなくなってくるが、それでもひとつお願いしたくてね。」
 その時の賈ク殿の笑みが、なんでも知っている軍師然として私を見透かしているようで、なのに、そう、不思議なことに、まるで泣いているように見えて、私はたまらず視線を逸らすことしかできなかった。
「次の戦の後、食事に行こう。」

だから生きていてくれ


あとがき
mutti様より「死にそうな顔をしないで」 6エンパの恋慕を意識して拡張して。
あと賈クさんってクの漢字が表示できないんですね……(140528)


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