「ううー、寒い」
「おかえり、ちゃん」
 ドアが開く音がした。冷たい風にその方に顔を向ければ、神室町内のお客へ催促状を届けに行っていた部下が身を震わせて帰ってきたところだった。
「まったく、花ちゃんにずっと言われてたのに社長が放っておくから」
「悪いね、いや、ほんと」
 頭を掻いて気まずさを誤魔化し、席を立つ。マフラーと手袋を外すを横目で見ながら給湯室へ向かう。可愛い部下のためにお茶でも入れてやろう。鼻の頭が赤いところを見るに、外はそうとう寒かったようだから。
 給湯室に入ると、棚に入りきらず放置された高級そうな箱、箱、箱が出迎える。付き合いの贈り物で、コーヒー豆やら紅茶やら緑茶がどんどん増えていく。好きなの持って帰っていいよ、とそろそろ花ちゃんとちゃんに言ってあげよう。確かちゃんはよく紅茶を飲んでいた気がする。きゅるきゅる、と紅茶葉の缶の蓋を開ける。ティースプーンを突っ込んだ時、わずかな違和感に首を傾げた。
「私コーヒーでお願いしますー」
「あ、そう?」
 缶の蓋を戻し、代わりにペーパーフィルターに二人分の豆を入れる。ぼんやりお湯が湧くのを待ちながら、違和感の正体に想いを巡らせた。
「はい、お待たせ」
「ああ社長、ありがとうございます。書類はデスクに置いておきました」
「どうもね」
 ついでにお茶菓子もあけておきました。ソファでお茶目に笑う彼女の前に二人分のマグカップを置き、自分は彼女の隣に座った。やはり貰い物のクッキーやチョコレートの個装を破る彼女を眺めながらコーヒーに口つける。これ高級チョコですよありがたいですねえ、とニコニコとマグカップと交互に楽しむ彼女をお茶菓子代わりにひとしきり堪能してから、給湯室で感じた違和感を口にした。
「なんで最近コーヒーばかりなの?」
「え、紅茶も飲んでますよ」
 ちゃんは、なんでもないふうに返事をしたが、その目が僅かに泳いだこと、手の中の黒い水面が不自然に揺れるのを見逃しはしなかった。
「そう? でも、事務所の紅茶の茶葉、あんまり減ってなかったよ」
 じ、っと目を見つめてやれば、彼女は観念したというようにマグカップをテーブルにおいて溜息を吐いた。そして、バツの悪そうな顔で恐る恐ると俺を見返す。
「……笑わない?」
「まさか。笑わないよ、何?」
「社長、煙草吸うじゃないですか」
「吸うね」
「その、秋山さん、煙草吸った口でキスしてくるじゃないですか」
「ああ、嫌だった?」
 テーブルの上の灰皿は今日も山盛りにしていた。煙草を吸うのは社長だけなんですから、吸い殻の掃除くらいやって下さいよ。花ちゃんとちゃんが交互に注意する声が蘇る。
 まあそれはそれとして、目の前で照れくさそうに目を伏せたり上げたり、慣れないようにキスと口にするちゃんはやたら可愛らしい。素に戻る時には社長から秋山さんに呼び方が変わるところも、どうも彼女は意識しているわけではないようだが、そんなところも秘密のことのようで嫌いではない。
 ただ、なんだ、嫌と言われても禁煙する予定は今のところ入っていない。コーヒーで苦味を誤魔化したり慣れさせてでもいたのだろうか。悪いが、どうしたものかと悩みつつとりあえずマグカップを置くと、ちゃんが言葉を続けた。
「違うんです、ええと、そのですね、癖になっちゃって、風味が……」
「風味? 煙草の?」
「あ、合うんですよ、」
「え、何と」
「コーヒーと……ってほら笑ったあー!」
「ごめん、ごめん」
 言うに事欠いてなんてことを言うんだ。完全に考えから外れたところを付かれて形容しがたい変な笑い声を上げてしまった。彼女は顔を首から耳まで真っ赤にして、ソファに置きっぱなしにしていた情報誌でばしばしと叩いてきた。
「でもさ、そんな可愛いこと言われたら、にやけちゃうのも仕方ないでしょ」
 振り下ろす彼女の手を捉えて、未だ抑えきれない……というより抑える気もなく口が歪んだまま彼女の眼前でそう囁くと、すでに真っ赤なちゃんは、ぎゅっと口を真一文字に閉めて、目はじんわりとにじませた。この口をするときは、彼女の混乱が極まった時だ。
 しかし涙目になるとはからかって悪かったな、という気持ちと……可愛らしいことを言って可愛らしい反応を返す彼女への悪い興奮が戦い出す。
「ねえ、ちゃん」
「な、なんですか」
「まだコーヒー残ってるね」
「……残ってますけど」
「俺さっきまで煙草吸ってたけど、どうする?」
 彼女の腕から手を離して、俺のスーツよりはるかに赤い頬を撫でてあげると、彼女は一直線に口を結んだ。


あとがき
煙草吸っている知り合いがコーヒーと合うと言っていたので(160223)


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