誕生祝

「よォ、久しぶりだな」
「……言うほど?」
 私を見下ろしながら怠そうに煙を吐く左馬刻の言葉がおかしくって、少し笑ってしまう。だって、事務所に顔出しに行く左馬刻を朝に見送ったぶりなんだから。
「言うほどだろ」
 もう外は陽が落ちているのか、倉庫内はすっかり薄暗くて、煙草の火だけが蛍のように揺れていた。
 地面に転がっている私の高さまで降りてきたそれから、ジジ、と湿気った燃焼音が聞こえる。
「俺ァ言ったよな今日は速攻で帰っから一歩も外に出るんじゃねえって」
「言ったね、確かに言ったけどね」
 バチ、バチ、と私の手足に着けられていた結束バンドが切られる音が響く。
 解放された体を動かそうと上体を起こしたところで、左馬刻に顔を鷲掴まれてしまった。
「それが帰ってみりゃ他の男どもとお出かけと来たもんだ」
「私の意思じゃないからなあ」
 茶化すように笑いながら、左馬刻の指がざりざりと頬を擦ってくる。もしかしたら泥と……飛び散った血でもついていたのかもしれない。
「祝われる側からサプライズくらうたあ流石の俺様も予想してなかったわ」
「普通は逆だもんね」
 今日は平和だった。昼前に隣で寝転がる左馬刻が髪をいじる感覚で穏やかに目が覚め、片付けなきゃならない用事があるという彼を玄関で見送った後は彼が作り置いてくれた私の好きなものだらけのお昼ご飯をのんびり食べて、お気に入りの映画を見ながらだらだらと過ごしていた。
「えーと……ごめん、ね?」
 夕方に差し掛かる頃、インターホンの呼び出しにモニターを見たら火貂組の人たち。「若頭が呼んでいるので」「来ていただけないと自分らシメられちゃうんで」と、そりゃあ大変だと出てみればあれよあれよと拉致されて拘束されてこんな倉庫に転がされてしまった。
「ばぁか冗談に決まってんだろ、テメエはなんも悪くねえ」
 煙草を放り投げて、左馬刻は柔らかく私の髪に手櫛を通していく。放られた灯りを目で追えば、それは血の海に落ちて無事に消火された。そこに無惨に転がっているのは、単身乗り込んできた左馬刻に為す術なく心身ともにぼこぼこにされた誘拐犯たち。
 あの左馬刻の女のくせに危機感がなさすぎるだの馬鹿女だのと笑われたけれど……それも仕方がないと思う。だって、碧棺左馬刻はこんなに最強の恋人なんだもの。

 ***

 それから、懇切丁寧に後生大事に横抱きで運ばれ車の助手席に乗せてもらってしまった。左馬刻は背が高いから抱き上げられると地面が遠くて結構怖いんだけど、それで私がしがみつくといつも見せるあの満足げな顔は……結構好きだ。
「ね、左馬刻。それプレゼント?」
 走り出して少しした頃に、倉庫の時からずっと気になってたそれを指差してみる。
「あー……いや、事務所忘れてきたわ」
「そこに入ってるもので良いよ」
 私の指の先ではポケットが膨らんでいて、とっても目立っている。左馬刻が履いているのはぴったりとしたスキニーだから余計だ、隠せるわけがない。
 しばらくニコニコとしながら運転する横顔を眺めていると、小さなため息の後に彼は乱暴にポケットに手を突っ込んだ。
「わり、明日新しいの持って来させるわ」
 広い手のひらの上には、ひしゃげたリングケース。所々に泥や血がついている。もしかしたら、さっきの大乱闘の時に落としたり踏まれたりしたのかもしれない。
「ううん、これが良い」
 下げようとした手を、ぎゅっと握って止める。それからケースの歪みっぷりや、まだら模様をなぞった。その傷や汚れを撫でるたびに、胸の奥からぽかぽかと愛おしさが溢れてきて、笑ってしまう。
「だって、これ全部……左馬刻が私のために必死になってくれた証だもんね」
「……やっぱそれ返せ」
「あっ」
 さてさて中身はと改めようとしたところで、大きな手にひったくられてしまった。慌てて目で追うと、左馬刻がつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「"お前が大事にするモンが他の野郎の血"っつー気分の悪さのが全然勝つわ」
「えー……折角左馬刻様が私を思って用意してくれた指輪なのになあ、あーあ、お祝いされないなんて寂しいなあ!」
 わざとらしくしょんぼりと肩を落として、大袈裟にため息までついてみると、車が突然路肩に滑り込むようにして停められた。
 あ、まずい、やりすぎたかな。
 でも、私が謝ろうと口を開くよりも早く、ハンドルを握っていた左馬刻の手が私の手を取った。もう一方の手は、壊れた箱を器用に開いていた。
 ──少し冷たい金属の輪。肌に触れた瞬間、じんわりと私の体温を吸って熱を持つ。なんだか、まるで生まれた時から私の一部だったんじゃないかと思うほど、それはしっくりと薬指に収まって馴染んだ。
「一生、ここに他の野郎のものなんざつけさせねえからな」
 左馬刻の手はまだ私の左手に添えられたままで、その赤い視線はじっと薬指に注がれている。
 一緒に目を落とす。指輪は、傷だらけのケースとは正反対だった。街灯の灯りで静かに、でも確かに白く光り輝いていて……まるで誰かさんみたいだった。
 まじまじと眺めて呆けていると、おい、と呼ぶ声がした。
「生まれてきてくれてあんがとなこれからも俺様の側から離れんじゃねえぞ。……ハッ、これで満足かよ」
「うん! ありがとう左馬刻、大満足だよ」
 いつもの2、3倍早口な左馬刻に、間髪入れず全力で頷く。すると、キン、とオイルライターの蓋の音がして、やけに性急なエンジン音が鳴り始めた。左手と横顔をにやにやと交互に見つめていると、小さな舌打ちが響いた。
「帰ったら一生忘れらんねえくらいの”お祝い“してやんよ……覚悟しとけ」


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