注意:恋人の入間に振られる話


 味は少し薄いが、香りが良く飲みやすい。前にそう評していた、よく2人でのんびり過ごしたカフェのコーヒーを飲み切って、彼がカップを置いた。
 随分と長く遠回りに、オブラートに包んだものだ。結局言いたいのは一つだろうに。
「……もう、お前とは一緒にいられない」
「そう。やっぱり」
 ライターの火が、口元に加えた煙草の先をくすぐって消えた。たっぷりと吸い込んだ息が、一拍置いて白い煙となって彼の顔を隠してしまう。ヘビースモーカーだっていうのに、ほとんど見たことのない彼の仕草。
「女性の前では吸いませんよ」
 遠く感じる過去、そう薄く口角を上げて言っていた彼が煙の向こうにぼやけていく。その言葉通り、今まで2人でいる時は吸わないでいてくれた。
 今、目の前に白んだ彼のその違いの意味を分からないわけではない。カップを口元に運ぶ。コーヒーを頼んだんだったか、紅茶を頼んだんだったか、もう頭にない。ただ、香りが全部煙草に上書きされて気持ちが悪かった。
「……おまえは本当にいつも聞き分けがよくて、助かる」
「“良い女”でしょ? あなたがそう口説いた通り」
 恋人から元恋人になっていく彼は鋭く舌打ちをして、席を立つ。
「それでは、さん。ありがとうございました」
 話は終わりらしい。久々に見る猫を被った薄い笑み、丁寧な言葉遣いと物腰。あれだけ打ち解け気楽に過ごした相手に「もはや他人だ」と突きつけるには、ひどく乱暴じゃないか。しかし彼はそのまま背中を向けて、離れていく。遠くなっていく。
 ……どうすればいい? どうしたら彼は足を止めてくれる? 振り向いて、あの緑の瞳に私を映してくれる?
 仮に無様に涙でも流して大きな声で必死に名前でも呼んでみせれば、きっと彼は自身の外聞のために戻ってきて、泣き止むまでは居てくれるだろう。心の中では舌打ちと罵倒を連ねながら、お手本のような笑顔で、耳障りの良い慰めの言葉と、綺麗な別れの言葉で、きっと最後の思い出として良い男の印象だけを残していこうとするだろう。その間に、私は彼がそんなところも気に入ったと褒めてくれた程度の頭で、やっぱり考え直して欲しいと、私は一緒にいたいのだと考えられるだけ全ての言葉で説得すれば、もしかしたら可能性があるのかもしれない。
 でもこれは意地だ。良い思い出として残るのは、聞き分けよく微笑み見送る私。都合の良い女だったとぞんざいに捨てていく悪い方はあっち。いつも他人の前では落ち着いた優雅な男の皮を被る彼が、きっと初めて悪い捨て方をした女だ。しこりとして、僅かな罪悪感と共に、私の最後の笑顔はずっと頭の片隅にあって積もる埃に塗れて見えなくなるまで、ふとした拍子に彼を苛めば良いと思う。

 嘘だ。そんなことどうでもよくて、本当は、あの人が足を止める理由が欲しくて泣きたかった。


没にしていたけどTwitterで褒めていただいたので蔵出し
多分入間的には恋人に色々危険が及ばないようにみたいな裏があるんでしょう(?)(250712)

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