「どうしました? コーヒー、冷めますよ」
銃兎が首を傾げる。映画を再生する前に淹れてくれたマグカップのフチに、私の口を付けた跡がまだ無いからだ。
「気分じゃなければ、紅茶かハーブティでも……それは私がいただきますから」
「え、あ、ごめん! いいよ、ありがとう」
気を使って提案してくれる彼を止めて首を横に振る。
私は、銃兎の淹れたコーヒーが嫌なわけじゃない。むしろ好きだ。いつだったか、拘って選んだと得意げに教えてくれた立派なコーヒーメーカーや豆に恥じることなく、いつもとても美味しい。今日も香ばしくて良い香りがあたりに漂っている。
「ええと……わざと、冷ましてるから」
まだうっすらと湯気を立ち上らせている黒い水面に向けて苦々しさたっぷりに呟くと、心配そうに銃兎が手を伸ばしてきた。うーん、やさしい。
でも、頬に触れようとする恋人をそっと避ける。訝しげに眉を寄せる銃兎から目を逸らして、もごもごと答えた。
「……口内炎、痛くって」
「ああ、なるほどな……。舐めとけば治るんじゃないですか」
納得と安堵の相槌の後に返ってきたのは適当すぎるコメント。やさしくない。他人事だと思って! ここ数年で1番大きいのに! 昨日からずっと痛いのに! とかそんなことを、じっとりと睨みあげながらぶつぶつぼやく。でも銃兎はさっきの心配から一転して「実際他人事ですからねえ」と肩をすくめてにっこりと口角を上げるだけだった。
「いじわる」
「まったく、私ほどあなたに優しい人間もいませんよ」
「そんなこと……あるかもしれないけど……どの口が?」
「この口ですね」
そんな軽口を交わしつつ、銃兎のお気に入りだという白黒の画面に目線を戻した。短編らしくすでに中盤を過ぎた物語は、口内をもごもごさせて集中を欠いた私が「牛乳とか氷とか貰えば良かったかも」と思い至った頃にはエンドロールに入ってしまっていた。
「本当なら感想会といきたいところですが……さて、」
最後のたったふた文字。それを聞いた瞬間に、私はさっとソファから腰を浮かせた。
「ああ〜私急用が、うわっ!」
遅かった。逃げようとしたのとほとんど同時に、銃兎の指が私の手首にしっかりと食い込む。
それから、意地の悪さがたっぷり込められているさっきの声のまま笑うように続けた。
「人の話は最後まで聞くものででは?」
「聞かなくてもわかる、大丈夫、結構です」
首をブンブン振る。腕の方は振っても全く解けない。銃兎がおもむろに、勿体ぶったように口を開いた。まるで蛇のように舌をのぞかせて、ちろりと唇をひと舐めする。口角を歪ませた笑みに、ぞっと嫌な予感が確信を持って背筋を冷やした。
「私がこの上なく優しい恋人だってことを教えてやるだけですよ、しっかりとな」
「いい、いい、いらない!」
「遠慮なんていりませんよ? 今ちょうど、暇になったところですから」
「だいたい口の中なのに舐めて治るとか、ぎゃっ!」
ぐいと腕を引っ張られれば、再び彼の隣に尻餅をつくしかなかった。私の必死の抵抗や文句も彼にはただの児戯に過ぎないらしい。意地悪そうな微笑みを浮かべたまんま、銃兎が私の腰と頬をしっかりと捕えた。
「や、や……やだーッ!!」
「StopStopStop。悪い子ですねえ、ほら観念して大人しくしろ」
すっかり優位をとってご機嫌な彼の顔が近づいてくる。
せめてもと唇を固く結んで歯向かってみるけれど、ちゅ、とお構いなしにリップ音が立つ。
「ふふ、強情ですね」
それから、銃兎は触れるだけのキスを諦め悪く繰り返す。彼の温度を、少しずつ私に馴染ませるかのように、何度も、しぶとく。
「……んっ……」
"私をいたぶりたいモード"に入った銃兎がこれで諦めてくれるわけもなくって、今度は舌でぺろりと舐められた。
いつもぐずぐずに私を崩してしまう、銃兎の赤い舌。熱く濡れたそれが、唇の輪郭をじっくりと撫でる。柔らかさを味わうかのように、ぬるりと這う。
今までしっかり教えてやっただろうと言わんばかりに、銃兎は楽しそうに私の唇を弄んだ。悔しいけれど、彼の舌がもたらす温度と気持ちよさを私はすっかり覚えこまされている。さっきの恐怖とは違うぞくぞくとしたものが背筋から身体中に駆け巡り、その足跡のように鳥肌が立っていく。
負けじと耐える私の天岩戸に、ちゅ、とまた音を立てて銃兎が少し離れた。
「いいんですか? ここで終わっても」
「っひ……!」
耳たぶに、濡れた感触。前触れなく標的を移したそれが、淵を焦ったいほどにゆっくりとなぞりあげていく。
「っん、ふ、ぅ……はぁ……っ」
「ほら、口が開いてきてますよ……おやおや、そんなに私とキスするのが嫌ですか?」
舌先で耳を抜き差しするように舐られると、泥濘を混ぜる音が直接鼓膜を責め立てるようだった。指摘されて、はっと唇を結ぶ。口答えも封じられて、喉の奥で笑う彼にぶるぶると震えるしかできない。濡れたそこへ仕上げとばかりに、フッ、と息を吹きかけられると、耐えきれずに肩が跳ねてしまった。
銃兎の声が、甘い毒のように注ぎ込まれてくる。
「……これで中もぐちゃぐちゃにされたら、きっと気持ち良いでしょうに、ねえ?」
「う、ぅう〜……!!」
不確かな嫌な予感と、今まで確かに味わされてきた甘い期待が、頭の中でぶつかる。ばちばちと思考が弾け飛んでいく。
「……いい子ですねえ。はは、かわいい」
銃兎が、入り込んでくる。私の中が、ずるりと奥まで彼で満たされる。
「〜〜ッ!!」
それから銃兎は、舌に目が付いているのかと思うほど素早く、口内のぐずついた突起を見つけ出した。嫌な予感通り、銃兎は嬉々としてとしか言いようがない動きでそこを嬲り始めた。ぐうぅ、分かっていた結末すぎる。痛みでわずかに戻ってきた理性で逃げようとしても、彼の片手は私の腰に回っているし、指は私の顎をしっかりと固定して許されなかった。赤く腫れているだろうそこを突かれると、身体が跳ねる。私の反応が面白いのか、時折彼の喉が揺れるのが舌を伝ってわかった。うーん、このサディストめ。
「んッ、むぅ、んん〜……!!」
しばらく身を捩るなどの抵抗虚しくされるがままになっていると、いつの間にか彼の両手のひらが私の耳を塞いでいた。銃兎は歯列も歯茎も、上顎まで口内炎と交互にくすくり、私の舌を結ぶつもりじゃないかというくらい絡ませてくる。……それで、ぐっちゃぐちゃと中をかき混ぜる音が、頭の中に直接響く。耳元よりも、ひどく、わざと立てているとわかっていても、意識が塗りつぶされていく。いたい、あたたかい、いたい……きもち、いい……。
***
優雅にソファで足を組んだ銃兎が、マグカップを口に傾けた。
「ああ、コーヒーすっかり冷めましたよ。良かったですねえ、飲みやすくなって」
「ぜえ、ぜえ、じゅッ、ぜえ、じゅうと……っきらい……!」
「やれやれ、腰まで抜かして……とっても可愛らしいですが、ハァ、弱すぎて心配になるな……」
「どのッくちが……!!」
「この口ですが? まだ足りませんか?」
べえ、とさっきまで私を蹂躙していた憎たらしい舌を見せつけられる。まだ整わない呼吸とふわふわした意識のまま、銃兎へ手を突き出す。
「もういい、じゅうぶん……ん、むぅ!!」
片手でそれを掴まれると、もう一方の手が後頭部に周り……私の口はまたしても文句も悲鳴も塞がれた。
銃兎のいれてくれたコーヒーが、流れ込んでくる。やっぱり熱い。コーヒーじゃなくて、彼の舌が。これじゃ冷めてるかどうかわからない。ていうか、冷ましていた理由ってなんだっけ。味も……分かるわけがなかった。
隙あらば大好きな恋人いじめたくてしかたない入間銃兎(20250531)
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