彼の長い腕と灰色のシャツで作られる、私の特等席。
でも、確かな違和感に身体が強張ってしまった。珍しい。煙草の匂いだ。今日は直前まで吸っていたのかもしれない。
いや、私だって銃兎が喫煙者なことは当然知っている。けれど、いつも銃兎はデートとか私と会う時、特にキスの前なんかは神経質なほど煙草の痕跡を消して来るくらいなのに。私が気にしないと言っても、「私が気にするんですよ」なんて笑っているのに。
「あ、えーと、ただいま……?」
「ええ、おかえりなさい」
終電近くに帰った私への硬い挨拶もほどほどに、顎を捕えられた。たまに仕事で私の方が帰りが遅い時は、大抵銃兎はこうして玄関で出迎えてくれる。けれど、やっぱり今日は何かおかしい。
ぬる、と唇を撫でられた。
開けろとでも言うように押し付けてくるから、ちょっとびっくりしながらそれに応えると、舌先は性急に滑り込んできた。それから銃兎は勝手知ったるとでも言うように私の口の中を好き放題に動き、私の舌に唾液を絡めてくる。うわ、やっぱり、にがい。たばこのにおいだ。メンソールが、ほんの少し、すーすーする。
「っは、んん……!?」
少し離れたと思ったら、角度を変えただけでまたすぐ塞がれた。長い。おかえりの挨拶にしては、いつもより、しつこい。息苦しくて胸を押すけれど、むしろ私を出迎え背に回ったままの銃兎の腕には力が入ってしまった。鞄が落ちる音。抱き寄せると言うよりも、もはや自分の身体を私に押し付けてくるみたいだ。
私の仕事着がすっかり銃兎の匂いに染まってしまった頃、ようやく名残惜しげな暴君の舌にお帰りいただけた。
「っはあ、はあ……じゅ、じゅうと……?」
「……なんです?」
「その〜、もしかして……怒ってる?」
私の言葉を聞いて、銃兎は喉の奥から溢れ出たような笑い声を上げた。
吐き捨てるような乾いたそれと、顎に添えられたままの指先の力が、その笑みの本心をありありと伝えてくる。
「驚きました。あなた、私の気持ちを推し測るなんてことができたんですねえ」
無理矢理合わせられた眼前の緑にぎらりと冷たい光が過るのが、よく見えた。
「……そんな無神経に他の臭いをつけてきておいて」
こんなにあからさまに、私を責める言葉をぶつけてくることは滅多に無い。銃兎はいつも、優しくしてくれる時だって、ちょっとした喧嘩の時だって、たまにこっちがイラッとするくらい気取り屋なのに。
いったい、何がそんなに銃兎の余裕をなくさせているんだろう……なんて。答えはよく考えなくても、もう頭に浮かんでいた。
「もしかしなくても、やきもち?」
「……よくもまあ、このタイミングで私を煽れますね」
苦笑のようなため息が抜けて、グッと寄せられてた銃兎の顔が緩やかに離れていく。
「あなたくらいですよ、そんなことが言えるの」
答えは、最近私の仕事で関わる人が喫煙者なこと。これしかない。以前気付いた時、銃兎は少し嫌そうな顔をして、でも「仕事ですからねえ」と渋々ながらも納得してくれていたように見えたけれど……内心では全然許してなくて、ただ保留をしていただけだったらしい。
それに、こんな遅くに帰ってきた恋人が自分以外の臭いなんか纏わせてたら……普通に、嫌だと思う。私も、銃兎から知らない香水の臭いがしたらモヤモヤするだろうから。
「ごめんね。確かにちょっと無神経だったかも」
「いや……自分でも狭量だと呆れますよ。仕方がないとはいえ、あなたのこととなると、つい」
素直に謝ると、銃兎の眉が少しだけ下がる。
指先が、さっきまで掴んでいた私の頬を照れ隠しみたいにひと撫でして、最後に唇をつついた。
でも、その後に落ちてきたのはひっくい囁き声だった。
「ですが……万が一、ここから他の味がしたら叩き出すからな」
「それは、されても仕方ないかなあ」
「冗談ですよ。ああ、そうですね、気分転換にハーブティでも入れましょうか」
ようやく靴を脱いだ私は、銃兎にしっかりと手を握られてリビングまで連れて行かれるのだった。
独占欲強め(20250413)
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