狼男と口喧嘩

 7匹の子山羊。3匹の子豚。赤ずきん。童話では、よく狼が悪者として登場する。そして、登場人物の誰かしらは抵抗むなしく食べられてしまう。まあ、物語ならば最後狼は殺されて平和に話が終わるのだけれど。
「サツ相手に立てこもりか? ハハハ……いい度胸だな、ァ゛ア゛!?」
 ひえええ……! 背中をぴたりとつけたドアからドンドンと響く衝撃と怒声に耐えながらメルヘンに逃避していたが、踏ん張っている足もドアノブを抑える手もそろそろ限界だ。とりあえず最も猟師のイメージに近い毒島さんに駄目元で送ったメッセージも返事がない。やばい、御伽話のように狼退治はできそうにない。
「おい、開けろ! 聞いてんのか!!」
 銃兎と喧嘩をした。しかも初めてで、怒鳴り合いの大喧嘩。
 きっかけは互いのスケジュールのすれ違いだ。
 普段、デートの約束を反故にするのは銃兎の方だった。と言っても、私はそれに寂しく思うことはあっても腹を立てたことはない。彼がお巡りさんである以上、そういうことがあるのは分かりきっているからだ。だから私はいつも、仕方がないなあと笑って承諾してきた。
 しかし今日は珍しく、私の仕事のせいで今度のデートがなくなってしまった。こんなふうに立場が逆転することは今までも時々あったし、いつもは銃兎も私と同じように仕方ないですねえとやっぱり残念そうに許してくれる。
 ただ、今回だけはいつもと違っていた。銃兎も私も揃って連日仕事が忙しくて、たまたま普段よりだいぶ疲労が溜まっていたのだ。
 まず銃兎が大きなため息を吐いた。たまに揶揄うときのわざとらしいものじゃなく、腹の底からのため息だった。私はそれに無性に腹が立って、胃の底が沸くのを止められなかった。
 いつも銃兎がドタキャンする時に、私がそんな態度をとったことがあったか? 誕生日を忘れられたことだって、銃兎が深夜残業や夜勤が続いていることはわかってたし、それなら日付感覚が狂うのも当然だ……なんて我慢して、笑って、許したのに! カア、と頭に昇った血はそれだけで収まらず口から強い言葉として飛び出てしまった。
 対して、銃兎もやっぱり余裕が無くて、いつもの薄ら笑いや敬語をかなぐり捨ててリングに上がってきたのだった。
 次第に言い争う内容も、スケジュールどうこうなんかから外れて「そんなことその時言ってよ!」「お前もあの時なんで黙ってたんだ!」だとか「銃兎だって、私があんなことも理解できないと思ってたの!?」「お前こそ俺があれくらいで怒ると思っていたのか!?」みたいな、いわゆる水掛け論にまで発展してしまった。
 最高にくだらないものだと、この間映画を見に行った時のポップコーンの味について本当はあれがよかったとかそのレベルにまで波及して、お互いの不満が堰を切って流れ出してぶつかりあい、しぶきをあげていた。
 しかし日頃犯罪者相手に交渉や取り調べで張り合ったり、ラッパーとしてはヨコハマ代表まで上り詰めていたりもする銃兎の口撃力といったらそれはもう凄まじかった。その怒涛の言葉に対して、私はすぐに「ば、ばーか! おしゃれ七三! 眼鏡! 中2病手袋! 私服デュエリスト! もう知らない!」と小学生の悪口レベルのことしか言えなくなり、耐えきれず逃げ出してしまったのだ。しかも、外に逃げればよかったのに、何故か一番手近なドアである銃兎の部屋に飛び込んで。馬鹿は私だ。
……」
 ぽつりと私の名前が聞こえて、扉の向こうの銃兎は、それきり静かになってしまった。
 話し合いを打ち切って、閉じこもってしまった私に呆れてしまっただろうか。さっきまでドアをビリビリと揺らすほどの怒鳴り声が響いていたのに、今は沈黙が突き刺さるようだった。
 考えるに……今まで、お互いに“大人すぎた”のが良くなかったんだと思う。私は銃兎の負担を考えたり面倒ごとにしたくなくてなあなあにしがちだったし、銃兎は理知的で色々なことにもよく気が付くから先回りして対応を済ませていたり、あとなにより良い意味で格好つけたがりだ。結果的にお互い今まで相談することや衝突することを避けられていた、いや、見過ごしたまま来てしまった。
 それでじわりじわりと不満を溜め込んで、この結果だ。普段から、私も銃兎も、もう少しそれぞれの気持ちや意見を擦り合わせていればこうはならなかったんだろうか。
 こんなふうにひとりで反省していても仕方がない。でも、どんな顔で、どんな言葉を銃兎にかけたらいいんだろう。それよりもまず、銃兎はまだこの向こうにいてくれているんだろうか。もう私に愛想を尽かして、呆れて、リビングへ戻っていってしまっただろうか。
「……。ひとつだけ、教えてください」
 考えあぐねていると、私の名前が、また絞り出すように呟かれた。
 よかった、まだそこにいてくれたのか、と吐こうとした安堵の息はしかし、銃兎の続く言葉に凍りついた。
「俺のことが、嫌いになったか?」
「っ違う!」
 ドアに遮られて、ほんのわずかにだけ聞こえた掠れ声。
 そんなことあるわけがない。弾けるように声を上げ、ドアノブに飛びついた。
 でも顔を合わせることにまだ戸惑いを拭えなくて薄く戸を開いて覗くと、銃兎は壁に寄りかかっていた。ドアの音に、俯いていた顔がバッと上がる。目が合う。私がさっき溢せなかった息を銃兎が吐き、顔が緩むのが分かった。
 そうして目を細めて笑うと、銃兎は壁から離れ、ノブに掛かったままの私の両手を優しく包み込んでくれた。
「じゅう——」
「はい、確保」
「——と?」
 それは、手品かなにかのような素早さと鮮やかさだった。私が名前を読んだ次の瞬間には、もう両手首がまとめて縛り上げられていて、びっくりして声をあげる暇さえなかった。
 ……え、なにこれ? あ、銃兎のネクタイ!?
 一拍おいて私が状況を理解している間にも、結んだネクタイの端を掴んだ銃兎はもう一方の手でドアをこじ開け、ずかずかと遠慮なしに部屋に足を踏み入れドアをくぐり終えていた。いや、まあ、遠慮も何も彼のマンションだし彼の部屋なんだけど。
「え? 銃兎? 確保って? ちょっと? 入間巡査部長さん?」
 混乱する私に対して、銃兎はどこ吹く風だ。
 両手を捉えられてろくに抵抗できない私をベッドのそばまで連行しながら、先程の穏やかさから一変、意地悪く口角を上げてみせた。
「“北風より太陽”とは、よく言ったものですね」
「だ……騙した! 私の良心を誑かした!」
「そんな、ハハッ、騙したなんて人聞きの悪い。あなたが、ご自分でドアを開けてくれたんでしょう? は優しいひとですねえ」
 私の抗議の悲鳴も虚しく、肩と喉を揺らす愉快そうな銃兎にころんと容易く転がされてしまった。やられた。
 スプリング揺れるマットレスから往生際悪く起きあがろうとしたけれど、両手は封じられているし身体にはシーツがまとわりつくしで芋虫みたいな動きしかできない。それに対して、銃兎からはただ覆い被さるだけで簡単に抑えられてしまった。ニコニコと満足げな顔をして頭を撫でてくる始末だ、完全に勝ち誇っている。
「さて、それでは改めて、一晩中、じっくりと、お互いの胸の内を伝え合うとしましょうか」
「じゅ……銃兎、明日も仕事でしょ? 寝不足で行くの私心配だなあー!」
「愛する恋人のためならなんてことありませんよ。徹夜の1日くらい慣れていますから」
 ちゅ。引き寄せたネクタイ越しの手首に、わざとらしく見せつけるように落とされた唇が音を立てる。
 あ、これ、徹夜確定するやつだ……!
 いや、恋人にベッドに押し倒された状態でまさかお喋りだけで済むとも思っていないけれど、かといってこれから散々に食い散らかされる運命を受け入れられるほど素直にもなれない。直前まで喧嘩してなかったっけ? しかも私やっぱり騙されたよねさっき!?
「ほら、観念しろ」
「納得いかない〜〜〜!」
「だから、これから納得するまで……あ?」
 ピロン! もぞもぞと無駄な足掻きをしている私のポケットが、音を立てて銃兎を遮った。短いそれはメッセージの着信音だ。そして、今の私にはそれは待ち望んだ狩人の銃声に他ならない。縛られたままの両手を伸ばし、蜘蛛の糸に縋り付くような気分でスマホを引っ張り出す。
【うさぎのかわをかぶったおおかみにおそわれています りょうしさんたすけてください】
 タップして開いた画面には、私の送った切羽詰まったメッセージ。そして、私は祈るように親指を滑らせ、その下に見切れている毒島さんからのメッセージを引き上げた。お願いです、早く来てこの狼男を撃ち抜いてください!
【すまない 夫婦喧嘩は犬も食わない】
 夫婦じゃない! 犬じゃなくて狼の話!!
 毒島さんの空砲に内心で落胆に叫ぶと同時に、ヒョイ、とスマホが手を離れて浮く。
 当然、“兎の皮を被った狼さん”の仕業だ。
 それから彼は画面をちらりと見ると、すぐにベッドの端に放り投げてしまった。あのスマホ、絶対この後繰り広げられる振動で落ちると思う。
 私が諦めと心配の目をスマホに向けていると、銃兎の手が私の頬に触れた。
 無理矢理引き戻された私の目を迎えたのは、ここ最近見ないほどに深い、とても良い笑顔だった。
「いつの間に理鶯と連絡先を交換していたんです? しかも理鶯とはいえこの状況で他の男とのやりとりを見せつけるなんて、流石私の恋人は肝が据わっていますねえ……覚悟はできてんだろうな、ァあ?」
 矢継ぎ早に飛び出してくる猫撫で声からドス声への見事なグラデーションに、私の体温もなめらかに下がっていく。併せてきっと青くなっていっただろう私の顔を、私の頬を、銃兎の手が何度も滑る。その手つきと、私を見下ろすその目元はあくまでも柔らかいことが、また恐怖を煽った。
「大丈夫、怯えないでください。怒っているわけではありませんよ……ただ嫉妬で気が狂いそうなだけで」
「嘘だァ……」
 絶対大丈夫じゃないし絶対怒ってるし絶対これを口実に私を虐める算段を立てている。次の映画のポップコーンの味の選択権を賭けてもいい。
「私があなたを大事に思っていることを信じていただけていない、と? 狼少年のような扱いを受けるのは傷付きますねえ……」
「そこに嘘って言ったわけじゃ……ねえ、もしかしてずっと私のこと誘導してない?」
「どうでしょう? 素直で可愛いやつだなとは思っていますが、ああ、ストップストップストップ、はい暴れない暴れない」
 もう二度と銃兎と喧嘩なんてしない。この夜、私はあらゆる意味で、そう固く誓った。


***以下オマケ(“この夜”の話)***


 それから「好きだ」耳にタコができそうになるほど「愛してますよ」翌日なんかふとした拍子にリフレインして日常生活に支障をきたすほど「おや、照れました? かわいいですねえ」手を変え品を変え古今東西ありとあらゆる愛の言葉を耳元で「ほら、顔、隠そうとしない。綺麗ですよ」本当に一晩中想いとやらを時に甘く時にわざとらしく時に半笑いで囁かれることとなってしまった。
 いつもは相手を地にねじ伏せる銃兎の高音と低音の入り混じったよく響く声が、今夜は鼓膜をスピーカーとして脳内をいっぱいに満たし、私をシーツに沈めていくのだ。
「も……もう、わかった、わかり、ました……!」
 耳たぶを食まれ首を啄まれ肩を噛まれ腹背中を愛撫され胸を舐られ秘部を弄られ、いよいよもって銃兎に中を突かれ……たっぷりと時間と手間をかけ私という私の全部をぐずぐずにされて、えぐえぐと鳴かされるやら泣かされるやら啼かされるやらで、私はぐるぐる巻きの腕や力の入らない脚を投げ出し水揚げされたタコよりもひしゃげてぐったりとしていた。
 なんとか、せめて息だけでも整えている間にも、銃兎が一回戦の痕跡をゴミ箱に放り込む音と、それからごそごそ、ぺりぺりと……多分、2回戦の用意をしている音が耳に入ってくる。そしてようやく薄暗い天井にピントが合ってきた頃、銃兎のやたらツヤツヤとしてご機嫌な笑顔が覆い被さるように現れた。
「さて、時間はまだまだありますね」
「や、やだーっ」
 その言葉の示すところに、つい反射的に悲鳴が飛び出た。だって、力の入らない私の脚を悠々と自分の肩に乗せ歯を見せて笑う様には兎の要素なんてどこにも無い。名は体を表すとはなんだったのか。笑みに歪んだ瞼の向こうでは、熱をたたえる瞳が妖しくぎらついてさえもいて、私の背筋はぞわりと冷えた。
「もうおわりに、」
「駄目です。あなたに会えない間私がどれほど焦れているか……この程度ではまるで伝え足りません」
「いやもう、じゅうぶんわからせられたから……もうこれいじょうは、あたま、おかしくなるから……」
「おや、まだなっていなかったんですか? すみませんねえ、不甲斐なくて……次はもっと頑張りますね」
「そうじゃない〜〜〜!」
「はいはいジタバタしない。大丈夫、あなたのぐちゃぐちゃになった顔も最高に唆られます。だから心置きなく、存分に、おかしくなってくださいね」
「みみのそばでしゃべるな〜〜〜!!」
 やっぱり、何一つ大丈夫じゃないじゃないか! 本気で一晩中私を抱き続ける気満々の言葉通り、私のまだぬかるむそこに当てられた銃兎の熱はとっても元気だった。それに慄いて私が腰を引こうとするよりも、シーツに立つ彼の膝が私の方へ近づくのが先だった。
「ッうひぃ……」
「っは、なんて声出してんだ」
 つぷりと入ってくる感覚に呻くと、銃兎に気が抜けると息を漏らして笑われてしまった。
「んう、あっ、ぅあっ……」
「その声、が、いいですね」
 結局、私は銃兎に言いくるめられてやり込められて翻弄されるがままだし、スマホはやっぱり床に落ちちゃったし……もうこの夜が原因でまた喧嘩してもいいんじゃないの?
 ちらっとそんなことが頭に過るけれど、彼に揺さぶられ休みなく与えられる快楽で、文句が浮かぶ端からすぐにばらばらになって弾けて消えてしまう。
、は、……」
 それにやっぱり、銃兎のことは好きだし、その恋人からこうして行為を以て愛情をぶつけられていると思えば、もちろん満更でもない。甘ったるく降り注ぐ言葉も、切ない色を混ぜて呼ばれる名前も、私の身体をどろどろと溶かして、心をふわふわと浮かばせて……たまらなく心地が良かった。
「じゅう、とっ、ね、まっ、あっ、」
 だから、揶揄い混じりにでもたくさん与えてくれる銃兎の言葉に応えたいのに、まともに言葉にならなくってもどかしくてたまらない。口をぱくぱくさせて喘ぐ私を見た銃兎には、「舌を噛むぞ」なんて笑いながら舌を差し入れられて、言葉ごと舐め取られてしまった。
 ならせめて、その身体に触れたいし、背中に手を回したい。まとめられた腕で、銃兎の胸を叩く。ほとんど撫でつけるようだったが、何度かしてようやく気が付いてもらえた。
「どう、しました? いいですよ、すきにイっても」
「あっやっ、そのまえっ、これ、はずして、」
「あぁ……いいんじゃないですか、このままでも。かわいいですよ」
「よく、ない〜〜〜!」
 私の手首でくしゃくしゃの皺だらけになってしまっているこのお高いネクタイのこと、絶対に忘れてたな。適当な返事をよこす銃兎の顔に向かって突き出してやったけど、薄笑いを浮かべたまま鬱陶しそうに避けられるだけだった。
「だき、つけない、でしょ! ……ぅあっ!?」
 銃兎の動きが止まった。それも、ぐう……と一番奥に押し当てたままで。
 重たく昇ってくる感覚と圧迫感に眉根を寄せながらなんとか呼びかけると、ぼんやりしたような空返事の後、私の腰をがっしりと抑えていた手が離れていった。
 銃兎は何か考え事をするように黙り込んで、それからくるくると拘束を解いていく。急な変わりようにぽかんと見上げていると、用済みになってしまったネクタイがひらりと宙を舞った。
「……折角ですから、私もあなたにねだらせていただいても?」
「ねだる……?」
「ええ。はい、銃兎」
 ……いきなり、自己紹介が始まった。
 行為の最中で余計に呆けた頭では、銃兎が何をしようとしているか全然わからない。半開きの唇を、彼の指がなぞった。
「復唱、してください。はい、“銃兎”」
「じゅ、じゅうと……?」
「“好き”」
 ……え、“ねだる”ってそういうこと? 
 思いがけずハッキリと示されたかわいいおねだりに驚いていると、銃兎はくっついたままのそこを揺らし粘ついいた水音で急き立ててきた。
「す・き。ほら、たった2文字ですよ」
「んっゥ……す、き」
「そう、続けて」
「じゅうと、すき……」
「もう一度」
「じゅうと、すき、ぅあっ」
 すっかり崩れた前髪と一緒に、熱く湿った吐息が私の肌を撫でた。汗ばみ火照る彼のおでこが、私の肩口にぴたりと触れる。くすぐったさと彼の動きが中に響くせいでつい身をよじると、銃兎の腕が私の背中とシーツの間に滑り込んできた。
、もっと……すみません、お願いします」
 ぎゅう、と力を込めて閉じ込められる安心する苦しさと隙間なく触れる肌の心地良い熱さに、ほうとため息が溢れてしまう。
 元々彼の言葉に応えようともしていたし、抱きつきたいと喚いたのは私のはずなんだけどなあ。まあ、落ち着いて言わされるということにはちょっと恥ずかしいところがないわけじゃない。私もやっと銃兎の背中に手を回す。普段スーツを着ていると細く見えるけれど、やっぱり男の人だ。そう認識するこの瞬間も、好きだったりする。
「すき、じゅうと、すき、すきだよ……っヒィ……!!」
「あー、クソッ……いえ。フフ、良い子ですね」
  半分ヤケクソ、半分本気なうわ言を繰り返していると、私の奥にくっついているそれが銃兎の苛立つ声と共に急にびくりと跳ねたものだから、つい驚きと怯えに喉が引き攣ってしまった。それで私が身体を撥ねさせ銃兎の背中に爪を立てるのと同時、互いの胸やお腹を押し付けるように改めて強く掻き抱かれる。
「……どうか、今夜はその言葉だけで喉を枯らしてください」
 そうして、2人しかいない寝室で秘め事のようにそっと吹き込まれる懇願が、じんわりとまた私の頭に染みこむ。
「じゅう——」
「動きますよ」
「——と? あ、あっや゛、ぅあっ、あ゛、あ゛〜〜〜……!」
 無慈悲な再開宣言から先の私は、喘ぐことと時々辛うじて“好き”だと言う以外はただただ意味を成さない音を発するばかりで、結局一晩中ぐちゃぐちゃでどろどろの顔を晒して銃兎を喜ばせ、悦ばされ続けてしまった。


「ああ、おはようございます。たまになら、ああしてお互い気持ちをぶつけ合うのも悪くはないものですね」
「にどとしない、けんか、しない。きをつけてしごといけ」
「ハハッ、酷え声……本当に、おまえは素直で可愛いやつだな」


(20230704)

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