左の薬指。
彼女のそこから、赤い糸が伸びていた。細い指をくるりと一周して、まるで蜘蛛の糸のように宙を漂っていた。
気になって手を伸ばしてみても、掴めなかった。まるで俺の赤い手から逃げるように、ふわりと揺れて離れていく。
これが何か尋ねてみても、彼女の目には映っていないのか首を傾げるだけだった。ヒプノシスマイクの影響かと思ったが、糸は数日経っても消えることはなく彼女を見かければその薬指にあった。
糸の先が判明した。男がいた。人の良さそうなそいつの左の薬指に、赤い糸が巻き付いていた。
予感はあった。怒りに似た焦燥もあった。その現実を許すわけにはいかなかった。
しかし、触れられないあの糸をちぎるのは思いのほか容易かった。男が転勤するように裏から手を回した。男の薬指から、糸が消えた。
漂う赤い糸は、絡め取ろうとする俺の指から逃げていく。
彼女の同僚。上司。後輩。通勤路の知らない相手。彼女の薬指の先が、次々と変わっていく。転勤。失職。引っ越し。ちょっとした不幸。
その度に糸は色を失い、途切れていく。
その度に赤い手袋を外して確認してみた。
***
その日、いつものMTCの集まりに車を走らせる俺の視界に、あの赤い糸があった。俺を追うように伸びている。いや、俺を追い越して、その先へ向かっている。
予感はあった。悲嘆に似た焦燥もあった。この現実を認めるわけにはいかなかった。
車を停めて、森を進む。赤い糸は、道案内でもするかのように迷いなく、相変わらず俺の視界でまっすぐに伸びていた。
この先にいる人間は、2人しかいない。
胃から込み上げるものを押し戻すように、煙草に火をつけて深く吸う。
煙草を持つ赤い手を見下ろしても、何も無い。赤く灯る先端が燻っているだけだ。
「……泣かせたら、しょっぴくどころじゃすまさねえからな」
独言ながら、笑うように息を吐く。
それから、赤い糸が見えることは二度となくなった。
(20250401)
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