ひとをころしてしまった夢主と片づけをしてくれた入間
頼れるひと。そう考えてパッと浮かんだのは、入間くんだった。
心臓は会社に遅刻しそうで全力で階段を駆けた時よりもうるさく暴れているのに、指先は手袋を忘れた冬の朝よりも冷たく震えていた。
だれか、だれか、たすけてくれるひと。
スマホの画面を何度も触れ間違いながら、彼の名前を探した。
警察官、それもちょっと悪い噂のあるひと。
そして、私に惚れているひと。
***
波の音を聞いていた。
ただそれだけで、全て片付いた。
そして今も、私に気を遣って数歩離れた先で煙草を吸っている入間くんを眺めながら、波の音を聞いていた。
「おわった、んだね」
息を切らして駆けつけてくれた入間くんにありがとう、と言うべきなのか、こんなことに巻き込んでごめんねと言うべきなのか分からなくて、口をつぐんだ。どっちも、違う気がしたから。
「ええ。あなたが、私を選んでくれて良かった」
そんな私の代わりに、煙草を携帯灰皿に押し込んで、入間くんが口を開く。
蛇のような狡猾さを滲ませた意地の悪いその笑顔が私に向けられるのは、初めてのことだった。
「しかしこれで、あなたは私に大きな借りができてしまいましたねえ」
頷く。そして、くそ、と悪態が波間に響いた。
私のものじゃない。それは俯いた彼が、苦々しく零した声だった。
でも、それからパッと上げられた顔は、さっきと何一つ変わりなかった。
はは、と彼の喉奥で嘲笑が鳴る。どこか投げやりに聞こえるのは、私がそんな気分だからだろうか。
「では、抱かせてもらいましょうか」
頷く。予想はできていたし、覚悟もしていた。彼は目的のためなら手段を選ばないひとだから。先に利用したのは私だ。
入間くんが大股で距離を詰めてくる。
「私のものになってください。それくらいはいいでしょう? ……私の気持ちをわかっていて、こんな汚れ仕事を依頼したんですから」
頷く。彼がぶつけてくる言葉は、全て正しい。
入間くんの手が、腰に回る。引き寄せるその腕は、好意を利用した屑を扱うには、驚くほどに優しかった。
私は呆けたまま、入間くんの独り言のような呟きを聞いていた。
「嘘ですよ。そうですよね、素直に、受け入れてくれますよね……おまえは賢くて、お人好しの良い子だからな」
入間くんのもう片方の手が、私の頬に触れた。親指が、そっと頬を拭う。僅かな引っかかりを感じて、ようやく自分の頬が汚れたままだったことに気が付いた。
彼の赤い手袋が、赤黒く滲む。
手に導かれるように見上げた先で、入間くんの目が、口元が、ぐっと歪んだ。
「もし今後私があなたを振り向かせることができても、好意の言葉をいただいても、それが純粋なものかどうか、もう分からないでしょう? 私にも……お前にも」
頷く。
"負い目"を感じて、ただ、頷くしかできなかった。それが、彼にとっては絵画に泥を塗りたくられるようなことだと分かっていても。
「俺を相手に何も気にせず、ただ無邪気で、無垢に笑っている……綺麗なお前が欲しかったのに」
(20230512)
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