ひとをころしてしまった夢主と片づけをしてくれた独歩


「これ……手、冷えただろ」

 戻ってきた観音坂くんが、蓋付きの紙コップを差し出している。
 促されるまま受け取ったけれど、彼の言うように自分の指が冷えているのか、手の内のこれが温かいのか、よく分からない。社用車の助手席で冬の日の出を拝むこの非日常に、私の頭はフロントガラスのようにまだどこか薄ぼんやりともやがかっていた。
 運転席に腰を落ち着けた観音坂くんが、寒そうに肩をすぼませて自分のそれに口をつける。ず、ずず……と彼が火傷を恐れながらコーヒーを啜る音が、往路より随分とさっぱりした社用車の中に寒々しく響く。
 私はというと、どうにも何かを口にする気になれず、ただ膝の上のプラスチックの蓋を眺めていた。
 
「仕事、大変だよな……といっても、俺なんかが心配するのもおこがましいか」

 爪の間に挟まったままの泥を眺めていると、はは、と観音坂くん特有のいかにも自信の無さそうな愛想笑いが聞こえた。

「お前が営業に来て俺の下でOJTしてたのももう2年前か? ああ〜月日が経つの早すぎて怖い……お前に比べたら俺は何も成長してない……俺は俺は俺は……!」

 観音坂くんはそう嘆きながら、彼特有のいかにも自信の無さそうな猫背でちびちびとコーヒーを啜っている。
 フロントガラスが、焦げ臭い湯気と観音坂くんの呼吸でますます白を深めていった。

「まあでも、俺みたいな先輩でもお前の力になれて良かったよ」

 私を元気づけようとしてくれているのか言葉を途切れさせることなく、観音坂くん特有のいかにも自信の無さそうな形の目がこちらを窺い見ている。
 観音坂くんの、こういった態度が苦手だった。同期だけれど営業の先輩ということでOJTをしてもらっていた時、他の部署から軽視されがちなこの人の丁寧で細かい仕事に感心していたからだ。

「……観音坂くん、もしかして、やったことあった?」
「あるわけないだろ!」

 ベタついて貼り付く舌をぎこちなく動かすと、観音坂くんが悲鳴をあげた。ハゲ課長相手に考えたことがないわけじゃないけどと呟く声を耳に、そっとフロントミラーに目をやる。
 後部座席の倒されたシートには、膨らんだゴミ袋が置いてあるだけだ。中にはコンパクトにまとめられた大きなスコップ、ビニール紐、金属ケースに金槌……すべて、私がおろおろしている間に彼があれよあれよという間に用意し、そして使用し、片付けたものだった。

「また何か困ったことがあったら言えよ。その、俺なんかでよければ力になるからさ」

 こんなんでも先輩だし、と観音坂くんにしては少し得意げな言葉は、急に車体に吹き付けた風に半分掻き消されてしまった。
 締まらないんだよなあ、と観音坂くんは羞恥ににやけた口元をカップで隠す。私も、ようやくカップに口をつけてみた。幾分かぬるくなってしまったカフェオレが流れ込んでくる。私はすっかり白く濁ってしまったフロントガラスを眺めながら、ブラックは苦手だという話を2年前に一度だけしたっけな、と観音坂くんとの思い出を辿るのだった。


(20240328)

よかったなあとかあればポチッと→ ❤❤❤