さよなら、古き良き我が家

 、29歳・独身・住所ヨコハマのボロアパート・職業医療メーカーのコーポレート部門。大学に入るとともに戦争や戦後荒れたまんまの田舎からヨコハマまで出てきて、そのまま東都で就職。正社員として会社と家を行ったり来たりの毎日で、面白みも良い人との縁も無いがトラブルに巻き込まれたり仕事で困ることもなく真っ当に働いて平穏無事に暮らして生きてきた。
 ……だめだ、走馬灯がよぎりかけてしまった。目の前に広がるあまりの非現実さのせいで。しかも、自身の情報はたった今書き変わったところだ。
 29歳・独身・住所不定……本日、自宅のアパートが爆散しました。
 いや。
 いやいや。
 いやいやいや……。
 何度首を振って否定しても、瞼を閉じて開いても、頬をつねっても、目の前の光景は変わらない。よく見える夜空に漂う焦げ臭い土煙、様々なサイレンの喧騒や辺りに張り巡らされたKEEP OUTと書かれた黄色のテープたち。どれこもれもが“現実”だと私に突きつけてくる。
 なに? なんで? どういうこと? 仕事を終えて最寄駅からの帰り道、家に近づくにつれてやけにパトカーやら消防車やらの数、サイレンの音がすごいなとは確かに思ったし、歩くうちに煙が登っているのが私のアパートの方角だと気付いた時は近くで火事か何かでもあったのかなと心配もした。とはいえ、どこまでもトラブルとは無縁の私はただ「洗濯物干しっぱなしだから煤だらけになってたら嫌だなあ」くらいしか考えていなかった。
 そして最後の角を曲がった瞬間、人の多さに驚いた。野次馬がすごいなと内心うんざりしつつ人をかき分けたところで目に入ってきたやけにスッキリとした景色に、私は口をあんぐりと開けて固まった。鞄が肩からずり落ちたけれど、拾う余裕もなく頭も停止してしまった。洗濯物どころか、家財一式、アパート丸ごと煤どころか瓦礫に塗れて埋もれているなんて、まるで想像していなかった。いやこんなこと想像できるか!
 え、なに? なんで? どういうこと!? あっ、あそこにあるの、ついこの間6月のボーナスをはたいて手に入れたばかりのドラム式洗濯機だ……まだ使い方もよく分からないくらいの回数しか使っていないのに潰した空き缶みたいになっている。あぁ、あそこに引っ掛かってるの、先月財布と相談しながら仕事に来ていこうと買った夏の服……だったはずの焦げて穴だらけのボロ布だ……私に腕が5本あれば便利だったかもしれないなあ……。呆然と見渡すだけでそんな絶望と虚無がたくさん転がっていた。
 このアパート、家賃が異常に安いだけあって築年数は確かになかなかのものだったけれど、だからと言って、こんな……爆散することなんて、ある!?
「失礼、あなた、住民の方ですね」
 ふわふわと意識も足元もおぼつかないままただ立ち尽くしていると、優しい声と共に肩を叩かれた。野次馬の中でピンポイントで声をかけられたけど、よっぽど分かりやすく絶望して見えたんだろうか。振り返ると、眼鏡の男性が微笑んでいた。すらりと細身で、綺麗な型のスーツが嫌味なほど似合っている。いや誰? 身長たっか……モデルかなにか? 現実を受け止めきれず処理落ちをした頭で眺めていると、私の肩を叩いた赤い革手袋が神経質そうにメガネを押し上げた。
 もう一方の手が何かを突き出す。それにぼんやりと目を向けた。ぴー、おー、える、あい……ぽりす……? 警察? ぱかりと開かれると目の前の男の顔写真が現れた。これ警察手帳ってやつだろうか。初めて見た。職質とかもされたことないし。というかこの人、証明写真の写りも良すぎるな……。
「ヨコハマ、署……」
「ヨコハマ署組織犯罪対策本部巡査部長、入間銃兎と申します。202号室のさんですね。お話、署の方でよろしいですか?」
開幕ご都合主義(230414)
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