初めての取調べ

「これで終わりにしましょうか。さん、ご協力感謝いたします」
 人生初の取り調べが終わった。私は肺中に詰まった緊張感を盛大に吐き出しながら、パイプ椅子にもたれかかり暗い天井を仰いだ。
 取り調べと言っても別に私がアパート爆破の犯人と疑われているわけではなかったようで、淡々と進んで何事もなく終わった。
 とりあえず私の身元の確認から始まり、その後何が起きたかの事情を説明してもらって、その上でさらに私に何か知っていることがないかと聞かれただけだった。はー、安心した。
 私に声をかけた警察官……入間と名乗った彼はどこかひりついた空気を纏いながらも、終始とても紳士的に接してくれた。そんな入間さんからの話をまとめると、厄介な違法薬物を扱う悪質な売人グループが隠れ家としていたのが、なんと運の悪いことに私の住むボロアパートだったらしい。それを追っていた入間さんが満を持して上演した彼らとの逮捕劇の舞台は当然あのアパートとなる。売人グループの出力を上げた違法改造マイクと応戦した正規のヒプノシスマイクでのラップの衝突の余波だか何かがガス管へ衝撃を与え、築年数30年を超え老朽化していたこととかなんかもう色々と相まって、あの大惨事になったらしい。
 ……そんなことある!?
 いやそれ以前に、これは私が疑われるわけがないというか、爆破の犯人はその麻薬取引グループと、この目の前でしれっとにこやか〜にしているやたら顔とスタイルの良い警察官じゃないか! 説明を聞いた時、あまりに荒唐無稽で3回くらい聞き返してしまった。幸いなことに、負傷者は売人グループのみだったそうだ。
 そして初めて知った衝撃の事実、あのアパートの大家はそもそも売人グループの一味で、さらにヤクの売人以外で住んでいたのは……なんと私だけだったらしい! いや……よく無事だったなあ私、本当に、あらゆる意味で。
「ご苦労様です。さん」
 疲れや嘆きや文句を溶かした長い長いため息で私の肺が空になる頃、調書を抱えて出ていく人に一言二言指示をしてから入間さんが労りの言葉をくれた。いや、終始その眼鏡の奥の一切笑っていない鋭い目もこちらの神経をすり減らしたんだけれど。まあ、あんな売人アパートの住人という状況だけ見れば私はどう考えても怪しすぎる人物だから、取り調べがこの程度で済んだこと自体が幸いだったと思おう。日頃の行いが良かったからかな。ヨコハマに住んでいるけれど治安の悪いところには一切近づかないようにしていたし、きっと会社と家を行ったり来たりするばかりの私の身辺調査の書類は特筆することもなくペラッペラだろう。
 お巡りさんも大変でしょう、お疲れ様です。そんなことをごにょごにょ返したところで、入間さんが改めてと両手を組んで微笑んだ。
「では最後に、何かさんからご質問などありますか?」
「あの」
「はい」
「警察官の社宅? とか、なんかそういうのってお借りできないですよね……?」
 正直、自分の身の潔白を疑われているわけではないという時点で、もう私の頭は“現状住む家が無い”ということでいっぱいだった。当然、生憎ですがと肩をすくめて断られてしまう。でも私も必死だ。ダメ元でもう留置所でも良いんだけどと食い下がってみたら、それはもっと駄目ですねと普通に却下されてしまった。とても困る。なにせ、着の身着のままだ。家具家電に服にアクセサリー思い出の小物やぬいぐるみ、家の通帳やら印鑑やらまで、私の物は全部まとめて爆散してしまったのだ。
「入間さん、あの……泊めてくれたりしませんか、いや泊めてください、1泊だけでも」
「……失礼。なんですって?」
「入間さんお願いします泊めてください! せめて1週間! いや2週間!!」
 机と私の額で、ごおん、と半年早い除夜の鐘ばりのいい音が鳴る。もうプライドもへったくれもない。仕事帰りだし、家は吹っ飛んでいるし、初めて警察署に連行されて取り調べを受けたし、もはや心身ともに疲弊した私の脳みそはヤケクソ状態だった。
「お尋ねしますが、何故私が面識のない女性を家に上げなければならないんですか」
 入間さんから返ってきたのはため息だった。笑顔ではあるけれど、さっきまでの優しい素振りは一切無く声に面倒臭さがありありと滲み出ている。無理もない。でも私も引けない。
「さっき聞きましたけど、マイクの暴発による事故なら入間さんにも責任の一端はありますよね!!? すみません、お願いします、せめて次の給料が出るまで! あ、うそ、せめてまた賃貸契約料と最低限冷蔵庫が買える貯金ができるまで!!」
「頭を低くしていけば要求を高くしても良いわけではありません」
 だって、ここを逃すとマジで詰む。時間だってもう夜更け近い。今からだとビジネスホテルだって取れない。仮に取れてもホテルに連泊する金銭的余裕だってない。服も物も1から買い直さなくてはいけないのだ。このままでは、有職ではあっても、家もなく着替えもなく風呂もなくこんな状態で通勤なんかできないし近く29歳・独身・住所不定・無職ついでに不潔にジョブチェンジする未来が見える。悲惨すぎる。いやだ。嫌すぎる。それに比べたらこのか細い可能性に掛けて靴でもなんでも舐めた方がマシだ。もうほぼ床に近い私の眼前にある入間さんの靴ピカピカだし……イケる気がする!
「ああそうそう、私に土下座の類は効きません。見慣れていますから」
「土下座見慣れているって何? もしかして女性をひとりなんのアテもなく雨も多いこの時期に放り出して心が痛まないレベルに血も涙もない悪徳お巡りさんなんですか!?」
「オイ、脚に縋り付くな!」
 ご実家は!? 飛行機の距離です!! ご友人は!? 数人居ますが他県に行ったり既婚者です!! ……狭い部屋の中で入間さんと私の声がガンガン響く。ええい、誰かに頼れるなら、私だってこんな知らない警察官の長すぎてやたらしがみつきやすい脚に飛びついて喚いたりなんかしないよ! 学生時代は生活費を求めてバイト三昧、社会人になったらなったで仕事だけでほとんど友人を作ってこなかったことをものすごく後悔している。人付き合い、大切。
「いい加減に……」
「それに、私がなにか情報持ってるかもって麻薬グループとかヤクザとかに狙われてたらどうするんですか! 善良な一般市民を助けると思って! お願いします日中は仕事行くけどそれ以外の時間ならなんでもするから!! あ、いや、なんでもは」
「……そこまで言われるならば、仕方ありませんね」
「え」
「私は血も涙も通っている心優しいお巡りさんですから。あなたのお望み通り、“なんでも”私のために働いてもらいましょうか」
 突然、一変して入間さんの声が弾む。脚からおそるおそる顔を上げると、その声に相応しくにっこりと三日月のように口端の吊り上がった表情をしていた。
「お、おてやわらかに……」
「どうでしょう、私には血も涙も無いそうですから。そうですねえ、ひとまず次の貴方の給料日まで掃除洗濯炊事その他諸々でもお願いしましょうか。おや、ご不満ですか? それなら気が代わってくれて構いませんよ。そうそう、梅雨入りして今週いっぱいは雨が降るようですが屋根のある場所で眠れると良いですねえ。……さんざっぱら喚き散らして人の家に転がり込もうってだけでなく巡査部長を身辺警護扱いしようという代償には安すぎるくらいでしょう?」
「あ、ハイ……おっしゃる、通りです……謹んで御役目受けさせていただきます……」
「一言足りませんね。お願いを聞いてもらったら、なんて言うんでしたっけ?」
「ありがとう、ございます……」
「どういたしまして。お互い、良い取引にしましょうね」
 、29歳・独身・住所ヨコハマのタワマン・職業医療メーカーのコーポレート部門、ついでに副業……入間銃兎の家政婦。
開幕ご都合主義(230414)
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