おやすみなさい

「とりあえず今夜は、私の部屋のベッドを使ってください」
 それから、流し台の使い方、洗剤やスポンジ置き場の確認も兼ねてお茶をもらったコップを洗っていると、隣で私の様子を見守る入間さんがそう提案した。
「えっ! いや、私ソファで寝ますよ!?」
 とてもじゃないが、人の家にアポなしで泊まらせてもらうのに家主を差し置いてベッドなんて使えない。さっき入間さんが言っていた通り私は客というわけではないのだ。それどころか知り合いでもなんでもない本当に真っ赤な他人中の他人だ。まあ、警察官の家で盗みを働くような馬鹿な人間も早々居ないとは思うけれど、それでも個人の部屋をお借りするのは単純に忍びない。それに、うちの営業マンほどではないが私も四半期に一度の奥義だが会社の椅子を並べて寝る技を持っている。ソファでもゆっくり眠れると思う。
「私の気分の問題です。経緯はどうあれ、女性をソファに寝かせて自分だけ悠々とベッドでというのは落ち着きません」
「で、でも、っ!」
 食い下がろうとした私の唇が固まってしまった。そこに、入間さんの人差し指が突きつけられたからだ。
 驚く私のそこを一度つつき、入間さんがそっと笑う。
「ああ、それとも……私と一緒に寝たいんですか?」
 ボッ、と一気に頬が燃え上がった。慌てて首を振る。両手も振りかけたが、泡だらけ水だらけなのを思い出して寸でのところで止められた。
「ちッちちち、違う!」
「そうでしょう? では、さっさとシャワーを浴びて、とっとと休んでください。お返事は?」
「は、ハイ……分かりました……」
 私のお返事に満足そうな笑顔を残して、入間さんは用意をしに行くと告げて離れて行った。
 ……入間さん、もしかして、いやもしかしなくても、遊び慣れてる人か……? あんな少女漫画かドラマかでしか見ないような台詞と仕草、今まで類似の成功体験があるか、よほど自分に自信があるか、その両方を持ち合わせた人にしかできないでしょ……!? もう何年も職場と家を行ったり来たりするだけの私の心臓には刺激が強すぎたようでドッドッドッドッと暴れるのをなんとか宥めつつ、手を拭いてソファの方へと戻った。
 コンビニのビニール袋を引き寄せる。帰りがけに寄って貰ったコンビニで買えるだけ買ったアメニティたちだ。そこからひとまずお風呂に使うものを探して中身を漁る。それにしても、普段意識していなかったけれど最近のコンビニは本当に品揃えが良い。ブラジャーまでは期待していなかったが、それ以外の下着や靴下なんかは幸いにも並んでいた。明日の仕事着は同じ服になってしまうが、以降の着替えや必要そうなアメニティなんかは明日の仕事帰りに買えばいいだろう。
さん」
「っヒャイ!!」
「……こちら、よければ使ってください。それと入浴に足りない物があれば、浴室にあるものは好きに使っていただいて構いませんよ。生憎、男物しかありませんが」
 今さっきのことで、背後からかけられる声につい過剰にびっくりしてしまった私に、入間さんは肩を振るわせながらシンプルなシャツとハーフパンツを渡してくれた。大きいかもしれませんが、と言うのを聞くに入間さんのものなんだろうか。無理矢理押しかけておいて今更だが、取調室での態度からは想像していなかった気遣いにどんどん申し訳なくなってくる。すみませんという漠然とした私の謝罪を、入間さんの手が制した。
さんが気にすることはありません。なにせ、明日からあなたにはたっぷりとお返しをしていただきますので」
 さて、気を取り直して脱衣所に入ると、さっき案内してもらったときには無かった大小のタオル、ドライヤーと使い捨ての櫛が用意されていた。……ええと、これも、使っていいのかな? 

 ***

「すみません、お待たせいたしました! ……入間さん?」
「……いえ、なんでもありません」
「……あっ、ありがとうございました!?」
「ですから、なんでもありません」
 特に大した問題もなくシャワーをお借りして、リビングの入間さんに声を掛ける。お仕事だろうか、タブレットを手に何やら眉間に皺を寄せていた。その入間さんが、また私を見て固まる。
 しまったお礼が足りなかったのかな、やはり入間さんのTシャツとハーフパンツが大きくてあまりに不恰好だったからなのかな、それとも風呂上がりの私のすっぴんと髪型が酷すぎたのかな、もしくはその全部かな!?
 そう混乱していると、ごほん、と入間さんは咳払いをして腰を上げた。
「……私も入ったらすぐ寝ますので、さんも気にせず先に休んでください」
 家主より先に寝るわけには、と私が言う前に入間さんが目線を向けた壁の時計は、もう1時を指していた。ここで余計なやり取りをする時間すら勿体無い時間帯だ。……申し訳ない。
「それじゃあ、ええと……失礼します?」
「はい、おやすみなさい。そうそう、私の部屋の物には触れないでくださいね。……大事な資料や機密情報がありますから」
「え? あ、はい……おやすみなさい」
 入間さんがよくわからない微笑みを残して廊下に消えていくのを見送って、私は入間さんの寝室のドアノブを握る。
 こうして、私の波乱に満ちた長い夜が終わった。
(230414)
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