どうやらボロアパート爆散のニュースは昨晩や今朝のニュースで報道されていたらしい。流石に薬物やマイクどうこうは伏せられているようだけど。
「それ実は私のアパートなんです」
その一言に眠気と気怠さと退屈に包まれていたフロアが沸いた。みんな驚いて野次馬精神と同情と労りの言葉をくれたし、同僚たちはお菓子もくれた。社畜であるつもりはないけれど、今や職場が私の平穏だった日常と思うと、ほっとするし、ありがたいものを感じる。
遅めの朝ごはんを行儀悪くキーボードを叩きながら齧る。入間さんから頂いた袋の中身は何種類かのハムと野菜の挟まったサンドイッチと、これまた何種類かのチーズが練り込まれているやつと、やっぱり何種類かのベリーのジャムが乗ったやつだった。流石にすっかり冷めてしまっていたけれど、入間さんの保証する通りどれも美味しかった。朝食べるにはちょっと量が多くてサンドイッチはお昼に回したけど。
見た目もお洒落だった。入間さん自体もなんかスタイリッシュな雰囲気の人だし、色々カフェとかお店とか知っているんだろうなあ……。追い出されなければいくつか教えてもらえたりしないかな。
なんだかんだと仕事は仕事で私の事情などお構いなしに流れていくし、タスクは積み重なっていく。結局朝少しざわつきバタついただけで、いつも通りこなしているうちにいつの間にか定時近くになっていた。
他の部署へ書類を届けに行く道中。早足で廊下を歩いていると、ちゃりちゃりとポケットに入れた鍵がストラップと擦れて小さく鳴る。
……“兎”さん、“入間銃兎”さん。入間さんの名前を、私はどこかで聞いたことがあるような気がする。なんなら、顔もどこかで見かけたかもしれない。どこだったかな……でも、あんなに身長も高くてパッと目を引いて、その上警察官とかインパクトのある職業の人なんて過去どこかで会っていたら絶対に忘れないと思うんだけど……。
昨日はもう色々それどころじゃなかったけれど、落ち着いてくると段々と気になってくる。うーん、こう、喉元まで出かかっているのになかなか出てこなくって気持ちが悪い。
「」
「あ、観音坂くん。おつかれー」
「おつかれ」
廊下の向こうから鞄を片手に下げた社員が歩いてくるのが見えた。数歩先でも分かるくらい目の下に凄まじいクマをたたえた猫背の彼は、数少ない中途入社かつ同期の仲間だ。
彼は激務で名高い営業部に勤めていてフロアも違うから、研修のあった入社当初に比べると今は会う機会も少なくなっちゃったけど、同い年なこともあって時々顔を合わせればこうして挨拶を交わしたり、たまに一緒に飲みに行ったりもする仲だ。
「外回りから戻ったとこ?」
「いや、これから出る……」
「え、もう定時なのに?」
「しかも、ハゲに押し付けられた書類もデスクに積んである」
「ええ……大丈夫なのそれ」
「大丈夫じゃない……全然大丈夫じゃない……けど、俺が無能で要領が悪くて愛想もコミュ力もないから仕方ないんだ、俺が悪いんだ、俺が、俺が俺が俺が……」
こうしてストレスとネガティブに駆られてしまう悪癖があるけれど、なんだかんだ良い同期だと私は思っている。
いつもの発作が治るのを待って眺めていると、観音坂くんは思い出したようにパッと顔を上げた。
「そうだ……大丈夫と言えば、お前大丈夫なのか。家、燃えたんだろ? さっきチラッと聞いただけだけど」
燃えたっていうか爆発四散したっていうか……いや、説明が面倒なので「まあね」と軽く流しておく。
「住むところはどうするんだ?」
「ええと……優しい、うん、多分優しいお巡りさんが余ってる部屋を貸してくれるって言うんでお願いしているところ。詳しい話は今夜なんだけどね」
「へえ、警察って部屋も貸してくれるのか。社宅か?」
「ううん、マンションだった」
「すごいな……ああでも家賃大丈夫なのか?」
「一応タダ、ってことになるっぽい……?」
「タダ!?」
「あ、家事なんかは全部やって、あとはそのお巡りさんの言うこともちゃんと聞かなきゃいけないとかなんとか」
「部屋を貸してくれるんじゃいくつか決まりくらいあるよな……でも、一人暮らしなら家事は元々やってたんじゃないのか?」
「まあね。そもそも住ませてもらえるだけありがたいし……って観音坂くんは家事ほとんど幼馴染がやってくれてるんじゃなかったっけ? はー羨ましい!」
「はは……そうだな、確かにあいつには助けられてるよ……いや俺も家事以外だと割とあいつを助けてると思うけどな……この間もあいつのせいで……いやあれも俺が悪いのか……俺が? 俺が!」
「観音坂くん!」
「あ、ああ、悪い。まあでも、タダで住むところ貸してもらえるなんて運が良かったな。お前、どこ住みって言ってたっけ」
「ヨコハマ」
「……ヨコハマの、警察……」
「どうかした?」
「ヨコハマの警察官に知り合いが……ってうわぁあまずい時間!」
「うわごめん、つい話し込んじゃった!」
「いやは悪くない悪いのは俺だ俺から話振ったからだからは悪くない! はははは大丈夫、どうせハゲ課長の代わりに謝りに行くだけだからな……どうせ怒られるんだから理由がひとつ増えても変わらない……どうせ怒鳴られるんだからな……どうせ……」
「ほ、ほら、いってらっしゃーい! また今度飲み行こうね!!」
「あ、ああ……!」
観音坂くんがエレベーターホールへ走っていく。本当に大変だなあ……。
それから、私も書類を届けて自分のデスクまで戻ってきた。パソコンは当然スリープ状態になっていたので、大人しく起動を待つ。
……観音坂くん、ヨコハマの警察官に知り合いがいるって言いかけていたけど、まさかそれが入間さんだってことは無いよね。確かに観音坂くんは飲みにいくと職質されたとか愚痴るから警察官の顔見知りくらい居てもおかしくないけど、彼はシンジュク住みだし……知り合いだっていうヨコハマの警察官とはどこで関わったんだろう。
あ! そういえば、観音坂くんってDRBに出てたっけ。私はあの時期仕事が忙しくて、たまに観音坂くんが出るっていうシンジュクの予選を配信で流し見していたくらいだったから記憶が曖昧だけど……確かヨコハマからも決勝に進んだチームがあったんじゃなかったっけ。大会の警備とかで集められた警察官と1人くらいなら知り合っててもおかしくはないか。うん、きっとそうだ。
観音坂くんはあまり周りに自慢しないし、せっかく優勝したのに以前それについて聞こうとしたら、なんだか自分の間抜けさを思い出すとかですぐ発作が始まって話にならなかった。そもそもここのところ雑談する余裕が彼に無いとか、彼が自慢話をするほど前向きな性格じゃないとかあるけど、あんまりラップとかその辺の話は聞いたことはなかったな……。
今度飲みに行く時の話のネタに、あとで動画でも探してみようかな。中王区が大々的に開いた大会だし、決勝のバトルともなれば公式アーカイブとか切り抜き動画くらい転がってるだろう。
とはいえ、今はひとまず目先の問題と向き合わなくては。どうしても今日中にやらなきゃいけないものが無いことだけ確認し、私は買い物リスト……特に、両手いっぱい袋をぶら下げて帰れる量の限界に頭を悩ませた。