「じゃあね」と電話越しに別れの挨拶を交わして、学生時代の友人との会話を終えた。彼女は結婚を機に遠くへ越してしまったけれど、今もこうして時間が合えば話をする仲だ。……まあ、とは言っても家が爆散したなんて大事件を話すわけにもいかないから、いつも通り無難にお互いの近況を話して笑い合った。
元気そうでよかったなあ、なんて感慨に耽りながらスマホをテーブルに置き、畳んでいる途中で置いていた洗濯物を手に取る。
「驚きました。あなた、そういう欲求がちゃんとあったんですね」
「わっ! い、入間くん」
突然の声かけに、思わずタオルを握りしめてしまった。振り返ると、家主たる入間くんが含みのある微笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「さ、サボってたわけじゃないんです」
「そんなこと思ってませんよ」
私が誤魔化すようにタオルの角と角を合わせている間に、入間くんは洗濯物をそっと避けて、すぐ隣に腰を下ろした。そういえば、こんなふうに並んで座る距離感にもいつの間にかすっかり慣れちゃったなあ……。
タオルを置いて今度はTシャツを拾い上げようとした時、「それで?」と横から静かに促す声がした。
「ええと、なんの話だっけ」
「恋人。欲しいんでしょう?」
「あ、ああ〜……」
わかった、さっきの電話の話だ。別にこそこそと話をしていたわけじゃないから、入間くんにも聞こえていたらしい。
なんの話から繋がったのかは覚えていないけれど、友人が「恋人はいないの」とかなんとか突いてきて、私はそれに「まあ、そのうちねー」とか「できたらいいけどねえ」とか適当に返すやりとりがあったような気がする。
そりゃあ居ないよりは居たほうが良いんだろうけれど、正味衣食住が崖っぷちの今それどころではないし、男性の家に居候しながら恋人作りなど望むべくもないわけで……。
そんな雑談を思い出しながら曖昧に相槌を返すと、入間くんが顔を覗き込むように視線を合わせてきた。すっと細められた緑の目に、からかうような楽しみが宿っているのが、もう嫌でもわかる。私は目を逸らすふりをしながら、畳んだTシャツを置いて次の布を手に取った。
「それで? あなたの望みは?」
「望み?」
「ええ。あなたは、相手の男に何を望むんです?」
逸らした視界の端で、入間くんがゆっくりと手袋を外し始めるのが見えた。
「何を、って……」
一本、また一本。彼の指が赤から素肌へと変わっていく。まるで意図的に見せつけるような緩慢な仕草に、私は、まんまと逃したはずの目を向けてしまった。
「我儘を聞いてくれること? 疲れた時にさり気なく支えてくれる優しさ? お洒落なレストランでエスコート? それとも……」
動きを止めてしまっていた私の手の甲に、その指が触れた。つう、といたずらに滑らせる指先からは、普段とは違う、入間くんの体温が伝わってくる。
「あなたが恋人に望むもの、私ならなんでも叶えてあげられますよ。そう言ったら……あなた、どうします?」
口元にうっすらと笑みを浮かべて、入間くんは私の反応を待つ。
いつもの意地悪な遊びに、ふと、軽い意趣返しが頭に浮かんできた。
「恋人には、平穏無事でいつもそばに居て欲しいかなあ……って答えられたら、入間くんはどうするの?」
警察官で、しかもなにやら隠し事がいっぱいあるらしい彼の仕事柄、これはきっと叶えられない難題のはずだ。そう思ってほんの微かに、得意げに鼻を鳴らしてみる。
入間くんは少しの沈黙のあと、わずかに見開いた目でパチパチと瞬きをした。それから、犬歯がちらりと見えるほど、とっても嬉しそうに口角を上げて低く囁いた。
「なるほど。意地悪ですねえ、さんは」
「入間くんほどでは……。はい、洗濯物。持ってって」
「ああ、はい、いつもありがとうございます。そうですね、今日は私の負けにしておきます」
そう言って手袋と自身の服をその手に持ち自室へ向かう入間くんの足取りは、随分とご機嫌そうだった。