痛み・血・下ネタ


 今日はバトルじゃなくて、やってみたいことがあるんだよね。そう言って笑う白い雇い主には今まで碌な目に遭わされていなかったが、今回も漏れなくその通りだった。

「いった、あ、あ、ア、あ、あ゛、ア゛ァあああ!!!!」

 一見すると、長身の男にすっぽりと収まるような形で抱き合っている男女だが、決定的に普通と違うところは白ボスことクダリが、アルバイトことサンドバッグことの首に思い切り噛み付いていることだ。別に吸血鬼の末裔でもなんでもなく、かといって何か特別なところがあるわけでもないクダリの歯が、の首の肉にぎりぎりと食い込もうとして苦戦している。

「先ほどから変わっておりませんね」
「うあー、これ結構きつい。ノボリ代わって」
「結構です。わたくしこちらで記録いたしますので」
「えー」

 その苦しみというのは、クダリにとっては顎が疲れる、にとってはとっとと貫くわけでも切れるわけでもなくひたすらごりごりと首筋の肉をすり潰さんと挟まれ続けるというものだ。
 そしてかれこれ10分近くはこの状態だ。クダリの白い両腕に閉じ込められ身動きもまともに取れないは、その間ずっと呻いたり喚いたり、クダリの白シャツの胸元を滅茶苦茶に掻いたり、はたまた背中に爪を食い込ませたりしてなんとか痛みと闘っていた。血塗れになることは珍しくは無かったが、服がしっとりと濡れるほど全身から脂汗を噴き出すのは初めてだった。死んだ方が遥かにマシ。早く殺して欲しい。の中の嫌なことランキングが変動した瞬間だった。
 ノボリだけはそんなふたりを尻目に長座席に腰掛け、の悲鳴をクラシックか何かのように聴き流しながら悠然と書類に目を通したり、なにやらメモを書き込んだりして過ごしている。

「……うわっぷ!」
「うあ゛ッ、ア、あぁ、あ゛、あああ゛ー……」

 ぶつり、ゴムの破れるような音の後、鮮血が飛び散る。犬歯が食い込むように強く噛んでみたり、そのまま上の歯と下の歯を反対の方向に動かしてみたり、色々噛み方を工夫しているうち、ようやくの肌がその張力の限界を迎えたのだ。
 突然口内が鉄臭い液体に満たされて、クダリは顔を顰めながらをパッと開放した。それまで抱え込まれていたは支えを失い、脱力するがままにどしゃっと重い音を立ててその場に崩れ落ちる。
 クダリの白いシャツとコートは綺麗に赤い花柄模様に染められたが、我関せずのノボリは眉間に皺を寄せ書類に飛んできた飛沫を染みにならないうちに拭った。

「うえ、ぺっぺっ。……あれ? 、まだ生きてる?」
「…………」

 自分でやっておいて迷惑そうに口内の血を吐き出してからようやく、そういえば再生の音がしないなとクダリは首を傾げた。この空間では、死にさえすれば身体は元通りになる。一方で、衣服は修復されないので、には福利厚生として毎回格安Tシャツとズボンが支給されていたりもする。
 さて、だくだくと溢れたての温かい血潮の中で薄ら寒さに身を包まれていくそんなの不幸は、首の皮を噛み切られはしたが頸動脈は無事だったということだ。これでは死ぬにも時間がかかる。クダリは腰のホルスターから愛銃を引き抜いて、力無く痙攣するに屈託の無い笑顔を贈る。

「ごめんね、今殺すね」

 パンパンパン、頭に1発、胸に2発。躊躇いのない銃声が響いた。

 ***

「やっぱり、人の歯で首を噛みちぎるっていうの、現実的じゃなかったね」
「……だから言ったじゃないですか、あんなのコミックとかアニメの世界だけだって!」
「確かに、分厚いステーキを噛み切る難しさを考えれば合点はいきますね」

 失敗失敗と口にする割にはそれを気にした様子もなく、しかし胸元や背中の皺と痛みの方を気にしながらクダリはけろりといつものように笑う。

「ねえ、なんかさ、さっきのもがき方……シてる時みたいだったね」
「うわ……ド直球にセクハラだし、口元血まみれで照れ笑いしてるの普通にホラーですからね」

 ノボリはというと、がぷりぷりと怒りながら元通りになった首元の血や全身の汗を拭っているのを見ながら、何かを思い付いたように顎に手を当てている。その目が好奇心に光るのを見て、クダリも楽しそうに目を輝かせ、は拭ったばかりの身体に冷や汗を滲ませた。

「なに、どうしたの、ノボリ」
「あなた方の会話を聴いておりまして、わたくしひとつ気になることが出来ました」
「なんですか、もう今日は痛いのは勘弁して」
「なるべく痛くはいたしません。……再生というのは、こちらにご乗車された際のお身体に戻られますよね」
「…………ああ! そうだね、確かに気になる!」

 双子のなせる技なのかノボリの言わんとしていることをすぐに理解したクダリは、声をあげるや否やひとりだけ話に置いていかれ怪訝な顔をするの腰を抱き寄せた。の脳裏にはつい先程の熱烈な抱擁と激烈な痛みが過ぎりつい身を固くする。しかし今回は腹部……おへそのあたりに銃口を突きつけられただけだったので、ほっと安堵を溢した。銃でこの位置ならば、余程撃ち損じない限りはすぐに死ねるからだ。
 これならば確かに“なるべく痛くはしない”に当てはまるが、今更腹部に発砲など目新しいことも無いはずだ。まだの中では会話と疑問が繋がらない。

「ね、。……今まで恋人いたことない、って言ってたよね」

 どうなるか試してみない、と囁いてクダリの口角が一層吊り上がる。押しつけたままゆっくりと撫でさするように銃口が動く。その先、おへその奥にある自身の身体の部位。の疑問符だらけの頭でも、ようやく黒と白の双子のアイデアが何かというところに思い至り……羞恥と恐怖で顔をサッと赤くしたり青くしたりしながら首を思い切り横に振った。

「いぃ……や、いや、いやいやいやいや、流石にそれは倫理観死にすぎでは!? それに私だって、一応、は、初めては好きな人とって」
「そっか、残念」

 パンッ。お腹であまりにも軽すぎる音が弾けて、はまた意識を途切れさせた。

「あ、おはよー」
「……」

 何度体験しても、この血溜まりの中で髪の毛までぐしょぐしょの寝覚めは気分が悪かった。の顔を覗き込む爽やかな笑顔のなんと腹立たしいことか。

、ぼくのこと好きになったら教えてね」
「わたくしでも構いませんよ」
「……こういうことするひとたちは、ぜったい、すきにならねっす」


あとがき
下品な話ですみません (220614)


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