女の子は砂糖とスパイスと素敵な何かでできている……なんて、あまりにもファンシーすぎやしないかと聞く度に思う。
けれど、あの子……ときたら本当に砂糖菓子みたいだから、ぼくはほとほと困ってしまう。彼女のあの微笑みが甘くないと言うなら一体何を甘いと表現するのか、ぼくには皆目見当がつかない。あんなにかわいくってどうするんだろう。あんなにかわいくって大丈夫なのか? もしぼくがときめきのままにこの両腕に閉じ込めようとしたら、きっとほろほろと崩れてしまったり、とろけて消えちゃったりするんじゃないかって、そんなことばかり心配になってしまう。
近頃のぼくは常々そんなことを悩んでやまないのだけれど、ノボリ兄さんにそれを話すと「クダリは存外にロマンチストですね」と優しく微笑まれてしまう。ぼくがおかしいんだろうか?
「あとは、その調子で声でも掛けられれば完璧でございますね!」
「いやいや、まさか業務中にそんなことできないよ」
「そこの分別はきちんとしていたのですね。流石、クダリです」
は大事なお客様のひとりだ。いつも朝は三番線の八時二四分か、その次の三五分の電車から降りてきて、夕方は四番線の早くて一七時五〇分以降の電車に乗って行く。本来はただそれだけのお客様だ。……いや、ストーカーじゃない。職業柄運行ダイヤは頭に入っているから、目で追っているうちに自然と覚えてしまっただけ。断じてやましいことはしていないよ。さっき兄さんにも宣言した通り、業務中は業務が第一だからね。
なんの話だったかな。そうそう、はそもそもそんな普通のお客様だってこと。え、なんで名前を知ってるか? 定期券の印字から知ったんだ。……いや違う、だからぼくはストーカーじゃないんだ! 彼女がたまたまぼくのそばで落とした定期券を、ぼくが拾って届けた、それだけだ。その時に、その……ぺこぺこと頭を下げ、笑顔でお礼を言う彼女に目を奪われて……いわゆる一目惚れ、というやつをしてしまった。本当に、それだけだ。ぼくのこの制服に誓って、今の立場を悪用して何かということは断じてしていない。念のため言っておくけど、今後もするつもりはないよ。ただ、花を見て癒されるように、彼女を見て日々の仕事の疲れを癒したいだけ。そう、それだけなんだ。
だから今日、ぼくは私服姿の彼女を見かけるのは初めてだったし、それに思わず目を奪われてしまったのも、仕方のないことなんだ。が目に入った途端、時間が止まったかと思った。いつも平日の通退勤時の彼女しか見たことがなかったから、心の準備もできていなかった。普段と違う雰囲気の髪型や服装で、でもそれがまたかわいらしく彼女にとても似合っていて、いやいつもの姿も文句なしにかわいいんだけれど、とにかく、やっぱりはあまりにもかわいすぎるって、それが言いたいんだ、ぼくは! フラッシュでも使えるのかと錯覚してしまうくらい眩しくて、でも目が離せなくって、ぼくはホームの安全を確認するために上げた手をそのままに、〝動く〟ということを全て忘れてしまった。
電光版を見上げていた彼女が、ふとこちらに顔を向ける。うわあ、目が合った! でも、彼女に魅せられたぼくから今更そらせるわけもない。むしろ、引き寄せられるようにそのきらきら光る瞳をじっと見つめてしまう。しまった、不思議そうな顔をしている。……でもそのちょこんと首を傾げる仕草も、愛想笑いも初めて見るがまた可憐だと思う。愛想笑いという文字列にふさわしく愛想があって……いやそうじゃなくて、彼女が訝しむのも当然だ。
ぼくはここでようやく自分が指差し確認の格好で固まっていたことを思い出した。彼女からしたらこんな鉄道員に凝視されて、自分が何かしてしまったかと驚いただろう。悪いことをしちゃったな。変なやつに思われてしまったかな。かといってばっちり目が合っておいて知らん顔で仕事に戻るのも、彼女に悪印象じゃ、あ、いや、お客様に対して失礼な態度なんじゃないだろうか。ああ、どうしよう。
「……いえ、あのッ」
何か言わなくては、しかし忘れていた呼吸と焦りで声が裏返りかけ、ぼくは慌てて一度口を閉じる。すぐそばにあるものを思い出し、それに上げたままの指を向けることで姑息になんとか誤魔化すことにした。
「……スタンプラリー、第二弾、やっているので……よければ……」
指の先には、最近始まったイベントのスタンプ台。以前サブウェイスタンプラリーとして様々なお客様から好評を博した企画で、それが改めて今週から始まっていたのだ。各駅のスタンプを集めたら、いくつかの景品と引き換えができる。そのうちの目玉として……。
「……ぼく、たちサブウェイマスターに会いにきてくれたら、とても嬉しいな」
スタンプを全て集めていただいたお客様には、ぼくたちサブウェイマスターとのバトルの権利が与えられるんだ。ここで彼女に〝ぼくに〟と言い切れなかったのは、いつもぼくはノボリ兄さんとふたりでいるから、その癖だ。……決して臆病風に吹かれたわけじゃない。
彼女はスタンプ台を見、またぼくを見てから「バトルは全然経験がなくて」と申し訳なさそうに眉を下げてしまう。これには焦ってしまった。ぼくは当然彼女を困らせたいわけではない。彼女とちょっとでも話したいだけだし、できたら笑いかけて欲しいだけだ。出勤時の急いでいる時の顔や退勤時のちょっと疲れたような顔も、それはそれで頑張っている人の顔だから、ぼくはやっぱり好きだけど。
なんの話だ、ああああ、隙あらば彼女を好きだという気持ちが飛び出してくる。そんな場合じゃない! ぼくはなんでも良いからフォローしなければ、とまた咄嗟に声を上げてしまった。
「ぼくが教えるよ! ……その、きみに、興味があれば、だけど」
もちろん、このスタンプラリー企画にサブウェイマスターによるバトル講座とかそんな内容は無い。完全に私事だ。明確に依怙贔屓だ。ううん、やらかした。こんなに混乱したのはいつぶりだろう。少なくとも、就職してからは覚えがない。
に話しかけることができたら完璧、というノボリ兄さんの言葉が浮かんでくる。でもこれは、とてもじゃないが及第点にも満たないんじゃないか? それ以前にもしかしたらお客様へのセクハラとかコンプラ違反で処分されないか? 始末書は嫌だ。謹慎は嫌だ。減給は嫌だ。そんなことよりも、に嫌われたらどうしようそれが最悪だ。
「……サブウェイマスターさんって、こんなに駅に人がいるのに、落とし物を走って届けてくれたり、バトルのレクチャーまで……本当に優しいんですね」
……もうぼくはだめだ‼‼ 直視してしまった。出会った日以来の真正面に受けた彼女の笑顔。かわいすぎる。目が眩みそうだ。定期券を届けたこともちゃんと覚えていてくれた。嬉しすぎる。胸が潰れそうだ。お仕事頑張ってください、なんて労ってくれて、鈴を転がすような声ってまさに彼女のような、ああ、うん、だめ、一刻も早くATO管制室に戻りたい、彼女の前で致命的な恥を晒す前にそうするべきなんだ、でも、どうしよう、だめだ、今わずかでも動いたら勢いで彼女を、いやいや、それは本当にだめ、ああ、でも……!
もうこれは、彼女を真っ当に抱きしめられる日が訪れる前に、ぼくが理性と本能のはざまでどろどろに崩れ落ちて、ぐずぐずに擦り潰されるほうがよっぽど先かもしれない。助けて、ノボリ兄さん。弟はもう限界だよ。
反対のホームで真面目に指差呼称をしているノボリ兄さんがこっちの異常に気付いて駆けつけてくれるまで、あとどれくらいだろう。彼女が乗る電車、このホームに次が来るのは何分後だったか、もうそれすら思い出せない。助けてくれ。
目の前で困惑する彼女に対して、必死にはたらく理性の影で(ああその顔もかわいいな)なんての一から十までどうしても思ってしまう自分を呪いながら、動悸と衝動を必死に抑え自ら固まり続けるので精一杯だった。
あとがき
tite:永遠少年症候群 様『ベタ惚れ男子15題』より
倫理観まとも爽やかお兄さん(?)がぐずぐずになるところが見たい
(220324 修正221201)
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