言い寄られているところをスペ▽に気まぐれで助けてもらう話
※序盤モブに言い寄られる描写があるので苦手な方はご注意ください


 職場の我が城こと薄暗く窮屈な備品庫内で、私は困窮していた。
 相対する男の横を抜けて逃げようにも、この狭い場所で置きっぱなしのサブウェイスゴイカタイパイプイスと並んで立たれしまっては身動きの取りようが無かった。……あのバトルジャンキーめ、いつも畳んでから出て行ってとお願いしているのに! この場に居ない白い男に内心で舌を打った。

「……だから、その件は先日はっきりとお断りしたじゃないですか」
「だからと言って、すっぱりと諦められないんだよ!」

 目の前で見苦しく憤慨する男の手が、私を横切って棚に突き立つ。何をするんだ。乱暴に動くせいで、ただでさえ煩雑に積まれている備品がたちがぐらぐらと揺れた。ここには部品だけでも普通に十万とか行く工具だってあるのに、野蛮な行動は勘弁してほしい。もし破損なんかしたら、鍵を預かっている私の責任になってしまうじゃないか。
 色々な苛立ちがこもった溜め息が盛大に飛び出してしまう。

「そんなの知りませんよ。私に関係無いでしょう」
「関係無いわけないだろ! なあ、せめて一度くらいデートしてくれよ、来週の火曜日空いてるんだろ」
「するまでもないでしょう。こうして迷惑を押し付けてる上に人のシフトを勝手に調べている時点で好感度は最悪ですよ」

 このギャンギャンと鬱陶しい諍いは、つまるところ色恋沙汰だ。とはいえ私に当事者意識などカケラも無い。いつ私の姿を見られて私の何に恋慕されたのかも分からない、どこの部署かも知らなければ名前すら知らない。そんな男から告白をされて当然しっかりとお断りをしたのが確か3ヶ月前。大分前の話だ。私はもうそんな出来事も男の顔も忘れていたというのに、男はどうもその間に無駄に想いを拗らせ滾らせたのか突然押しかけてきたのだ。なんて迷惑な!
 私は溜まり気味の書類を片付けようと気合を入れて気持ちよく集中していたというのに。この暴挙は他部署への立派な業務妨害だし、多分この男だって業務時間内のはずだからサボりも追加だろう。私のもちものにレッドカードは無いけれど、一刻も早く退場して欲しい。こんな一方的な押し付け、交通事故となんら変わりない。ため息くらい止めどなく出るというものだ。

「なんでそんなに頑ななんだ……やっぱり、あの噂は本当だったんだな……」

 ブツブツ呟いていた男が、憤りを示すようにぎゅうと拳を作り、そしてクワッと目を見開いた。

「サブウェイマスターとできてるって!」

 吐き捨てるような男の叫びが、狭い室内に反響した。

「……は、えっ? ……なんて?」

 その内容に、私の中で積もっていた目の前で喚くなとかこの空間で暴れるなとかしつこく付き纏うと大事にするぞとか、そんな色々あった怒りと文句が……全部、すっとんでしまった。まさしく虚をつかれて、なんとも間抜けな声が出た。

「やっぱり、って……噂、って……」
「とぼけるな、あの白い化け物とよく2人きりになっているんだろ……こんな狭い場所で!」
「あのね、ぼくクダリ。白いけど化け物じゃないし、とはなんにもできてないよ」
「そうですよ! あの人が人外っぽいのはそうですが関係は無……えっ?」

 突然割り込んできた新たな声に、また驚く。慌ててその方に顔を向けると、積み重なるダンボールの上に生首が乗っかっていた。いや、心外な噂になっているらしいその当人であるクダリさんが、珍しくアイデンティティたる白いコートと制帽を脱いで、ダンボールの山に顎を乗せて寄りかかっている。私と押しかけ男で並んで固まって凝視していると、くあ、と大口を開けてあくびをした。

「い、いつの間に」
が変な声あげて両手で伸びしてた頃から居たよ。その不用心、なかなか治らないね」
「なにして、」
「あのね、寝ようと思って来たのに、修羅場が始まったから観戦してた。うるさくて眠れないし、面白そうだったから」
「そうですか……」
「でも風評被害は困るから、そこだけ訂正!」

 自分も突然トラブルの渦中に引き摺り込まれたところだと言うのに、まったくこの人は普段通り自由気ままだ。クダリさんは言葉の通り興味津々ニコニコ顔だし、なんかもう、気が抜けてしまう。 毎度毎度どうやって私が居ることを、ここの鍵が開いていることを察知しているのか。しかも私の集中している頃合いを見計らって……ドアに鈴でもつけるべきだろうか。

「あ、気にせずつづけて」
「気にするだろ、関係ないって言うなら出ていってくれよ」
「大丈夫! 飽きたらどっか行く」

 どうやら寝ようとしていたことは本当だったらしく、敵意を剥き出しにする男を飄々といなしつつ、ハンガーからコートと帽子を下ろし始めた。適当な棚に我が物顔で引っ掛けてあるが、あれはまた私の知らない私物だ。いつの間に。
 針金でも入っていそうなパリッとした制服にクダリさんが袖を通す間も、暴走男は恋敵認定を隠すことなくがなりたて、そして無視されている。

「あのね、ぼくサブウェイマスター」

 緩んでいたネクタイを締め直し制帽を頭に乗せたところで、それまでずっと黙って聞き流していたクダリさんの口がようやく開いた。鋭角に吊り上がった口角に反して、ぞっとするほどに淡々とした声。

「きみに命令される筋合いは無いんだよね。……わかる?」

 帽子の影の中、その目の爛々とした光。クダリさんが首を傾げた瞬間、よく研がれたナイフが男に突き刺さったような気さえして、立ち竦んでしまった。ただ同じ空間にいるだけだと言うのに、その目線も声も私に向けたものではないというのに、肌がぴりぴりと痛む。隣に立つ男が息を飲んだ。

「で! ねえ、きみ、それで?」
「な、なんだよ……」

 一変、わくわくと子供のような笑顔と声。クダリさんのころっと豹変した雰囲気に、応える男の声が震えている。無理もない。私も今でこそ少しは慣れてきたが、会った頃はこの白い男の気分屋っぷりには随分と困惑させられた。……今日ここまでの振れ幅は、初めてだが。
 いつも猫よろしくだらだらとおやつを食べながらくつろいでいるところしか見ていなかったけれど、そういえば“サブウェイマスター”だったと無理矢理にでも思い出させられて、少し肝が冷えてしまった。私は整備以外でバトルトレインに乗ったことはないが、“これ”を仮にも商業施設のホスト役に選抜したお偉いさんは肝が座り過ぎていると思う。ただ一瞬漏れた圧力だけでこれとか、普段相対するお客様は無事なのだろうか。とりあえず、私は今後も絶対にバトル目的では乗車しないようにしよう。

「それで、ぼくとがそういう仲ならどうするの? まあぜんぜん違うんだけど」

 私と男が冷や汗をかいている間に、クダリさんはとことんこの修羅場を楽しむつもりなのかどこぞの恋愛ドラマのような台詞を持ち出してからからと笑っているし、男は男で俺の方がふさわしいって証明してやる、なんて震えを隠し切れないまま負けヒーローみたいな虚勢を張っていた。

「なにで? バトル? ダブル? シングル? トリプル? ローテーション? あ、背の高さ? ……早食い?」

 ああ、可哀想に。クダリさんは完全に悪戯っ子スイッチが入っている。さながら猫がネズミのおもちゃに連続猫パンチを食らわすかのように、男に矢継ぎ早に言葉を投げつけている。ああなると大変だ。待っているのは、クダリさんを満足させるまで構い倒すか……。

「そういうものじゃなくて、彼女自身の気持ちを、」
、いやがってるのに?」
「……そ、それでも、おれの気持ちが伝われば、」
「……あ、そ」

 あ。
 スウ、とクダリさんの表情が失せる。口角は上がっているが、貼り付けただけのように感情は無い。浮き立ったテンションから突然憑き物が落ちるようなこの瞬間は、この数年で何度か目にしたことがある。
 あれは、飽きて興味の失せた顔だ。
 初めてこの落差を見た時は、何かまずいことをしてしまったような気分でサッと冷たいものが背中を駆け、別部署とはいえ重役の気分を害してしまったことにひどく慌てたものだった。結局、その翌日またケロッとした顔で滑り込んできてウキウキと置いてある工具について片っ端から尋ねてきたので、安堵というよりもやはり脱力してしまったのを覚えている。

「もういいや。きみ、普段のよりおもしろくない。せっかくの修羅場なのに、すっごく期待はずれ。次はもっと盛り上げてね」

 言うだけ言ってそれじゃごゆっくり、なんて手をあげて歩き出……いやいやいや、クダリさん、こいつ、この状況で私を見捨てていくつもりだ! まさかと疑いたくなるが、クダリさんならあり得る。なにせ私とこの白い男は噂されるような仲でもなければ同僚でもなく、当然友達ですらない。顔見知りと認定されていれば良い方だろう。クダリさんにとって私は、ただ都合の良い休憩所の鍵、置いてある工具や荷物のひとつ、たまに暇つぶしができる猫じゃらしくらいの認識だ。それこそ、考えたくもないが例え私がこの後それこそ物理的だろうが精神的だろうが性的だろうがどんな被害を被ったとしても、この男の心にはさしたる波風が立たないだろうとさえ予想してしまう。いやその時の気分によっては怒ったり、楽しんだりするのだろうが。

「あのですね、クダリさん」
「なに」

 しかし、今の私にとって縋れる藁は悔しいがこれしかない。さっさともうドアノブに手をかけているクダリさんを慌てて呼び止める。平坦な声が返ってくるが、ここでめげてはいられない。そもそもこの人の気分屋な性格にはもう慣れっこだ。気を使ってはいられない。

「ご理解いただけてないようですからお伝えしますが、ここ、基本的に鍵がかかってるんですよ」
「うん、知ってる」
「……私がデスクにしてるから鍵を預かってるだけで、問題が起きて私が居なくなったらもうここで涼んだり暖まったりできないんですよ」
「わかった。ストーブ移動しとくね」
「…………おやつも、湧いてこないんですよ」
「そっか、残念。そしたら、受付の子たちに貰おっかな」

 ……この勝手気ままな男と交渉するのは難しいだろうということは、考えるまでもなく理解していた。けれどまるで猫のしっぽを掴もうとして失敗するように伸ばす手伸ばす手から全てひらりひらりと交わされすり抜けてしまう。その癖、さっさと出ていくわけでもない。むしろ届きそうで届かない位置でこちらを弄ぶ猫の動きだ。
 実際、全然残念そうでもない声音だし、むしろ半笑いまである。不思議な瞳孔の目は、にやあ、とその口元同様イヤな形に歪んでいるし……間違いない、この化け猫、私がもがく様を楽しんでやがる!
 押しかけてきた方の男が時折口を挟んでくるが、もはや耳に入れる余裕もない。必死に私があれこれとさらに手を伸ばしその全てを白猫に受け流されて途方に暮れる頃、散々私という玩具を弄んで満足した顔が、急にすとんと真顔になる。

「あのね、。お願いするなら素直に言わなくちゃ、だめ」

 その目も体もじっ……とこちらを向いているが、手だけはドアノブに依然かけられていて……これが最後のチャンスだと告げていた。

「クダリさん!」
「なに」

 ……なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。いつもいつも、ただ落ち着いて仕事をしたいだけなのにお菓子を盗まれ、時々訳のわからない大喜利をふっかけられ、勝手に面白いことを期待されて勝手に失望されて、また別の色恋沙汰なんて問題まで降ってきて……挙げ句の果てに、ここでのイレギュラーのほとんどを担う相手に命乞いをする羽目になるとは。これは私が呪われているのか、この倉庫の立地がスピリチュアル的な意味で悪いのか分からないが、もはや半分泣きたい気分だった。

「助けて……ください」

 でも、この男が気分屋なりに手を差し伸べてくれる時はちゃんと助けてくれると言うことも、私は知っていた。

「あのね、
「はい」
「ぼくが呼んだらすぐここに来て、鍵開けて」
「開けます」
「そこの奥の新しい入れ物、高いおやつ隠してるでしょ。そこも開けといて」
「……開けます」
「あと、来週の火曜日の予定もね」
「…………空けます…………?」
「それで、きみ」

 クダリさんの腕が持ち上がり、その人差し指がピッと男を指す。私とクダリさんのやりとり、というかクダリさんのここぞとばかりの怒涛の条件の押し付けをもはや呆然としたまま聞いていた男が、急に話を向けられて肩を揺らした。

「あのね、、ぼくとはデートに行く仲。でもきみは違う。そういうこと」

 男の反論は無かった。というのも、男が口を開いた瞬間、クダリさんの体がガクンと後ろに倒れたからだ。そのせいで、男の口から、あとついでに私の口からも出たのは唯一あっという驚きだけだった。しかもクダリさんの顔が分身した、いや、クダリさんの後ろから、クダリさんそっくりの顔がヌッと現れたのだ。

「それに、そろそろおしまいの、」
「時間ですよ。クダリ、随分と長い休憩ですね」
「や、ノボリ」

 ドアの隙間からクダリさんを押し退けて入ってきたのは、クダリさんそっくりだがこの備品庫では見慣れない黒い制服。もうひとりのサブウェイマスターのノボリさんだ。黒い袖で白い首根っこを掴みながらため息を吐いていて……ノボリさんとは今までほとんど関わったことはなかったけれど、勝手ながら、クダリさんに振り回されている様子に親近感を覚えそうになった。

「クダリ、またライブキャスターの電源を切ったでしょう! 午後は次のイベントの打ち合わせがあると言ったはず」
「そうだっけ? ごめん」

 それにしても、ただでさえ物に溢れ窮屈な倉庫に成人男性が平凡な男ひとりに背筋の伸びた縦長の男ふたり。圧迫感が半端じゃない。仕方なしに隅の方へ追いやられるように縮こまっていると、黒い方のサブウェイマスターの目がぐるっとこっちを向いた。

「む。あなたさまは確か……整備部の備品管理責任者のさん。いつもクダリがご迷惑を」

 細めの瞳孔や色までそっくりでつい身構えてしまったが、意外と優しく丁寧な言葉と態度だった。なにか私の立場は間違って覚えられているみたいだけれど。

「あのね、かけてない。むしろぼく絶賛お世話したとこ」

 クダリさんが斜めになったまま器用に文句を言っている。普段は確かにご迷惑を被っているが、今丁度お世話になっていたところなので、悔しいかな何も言えない。曖昧に笑って会釈を返すと、続いてノボリさんはもはや存在感を忘れかけていた発端の男に声をかけた。

「おや、あなたさまは?」
「サボり。にとっても迷惑かけてる」
「なんと! 私の管轄ではありませんが、かといって見過ごすわけにもいきません。所属は……おや」

 クダリさんあなたどの口が、と私が口を出すのを堪えているうちに、流石にサブウェイマスターふたり相手にこれ以上揉めるのはまずいと思ったのか、クダリさんの説得……のような何かに呆れ果て諦めてくれたのか、男はまるでゴーストタイプのようにふらふらと力無く消えていった。

「逃げちゃったね」
「こら、おまえは逃がしません。仕事に戻りますよ」

 それではと綺麗な敬礼をするノボリさんにずるずると引き摺られ、またねと手を振りながらクダリさんも大人しく消えていった。いつか見た親猫が子猫の首を咥えて連れていく動画が頭をよぎる。しかしクダリさんは襟を思い切り掴まれたままだったが、首は締まらないんだろうか。

「…………」

 あっという間に、大人4人でぎちぎちに詰まっていた部屋が、私たったひとりになってしまった。嵐が去ったようにシンとした備品庫。呆然と、力が抜けるままサブウェイスゴイカタイパイプイスに腰を降ろすと、ぴろぴろ、ライブキャスターの電子音が響いた。
 びっくりしてメッセージを開くと、目に飛び込んできたのはきらきらと輝くケーキ、ゼリー、チョコ、プリン……それらがぎっしりと並んだ、もはやスイーツの海とでも言えそうな写真だった。眩んだ目でスクロールをしていくと、次に出てきたのは有名ホテルレストランの名前と地図、それとコメント。

【スイーツビュッフェ、火曜日、11:50】

 それだけ。普段から片言気味に喋る人だけど、メッセージすらここまで簡潔にすることはないのでは? そういえば先ほど”デート“と口にしてはいたが、あまりにクダリさんらしい色気の無さすぎるお誘いについ笑ってしまう。そもそも来週の予定あたりの話は男へのハッタリだけだと思っていたので、きっとこれはそういうことではなく単純に”今日の分の報酬を寄越せ“ということなんだろう。……お金、下ろしておかなくては。



「……それにしてもクダリさんって、本当に甘いものが好きなんですね」

 ばくばくばくばく。一番大きな皿に盛れるだけ盛られた色とりどりの甘味が、クダリさんの大きな口にどんどん消えていく。私がシェフだったら冥利に尽きるだろう。そういえばいつも私のお菓子を食べる時も、気持ちが良いくらいの食べっぷりだ。……まあ、勝手に盗んでおいてあの不遜な態度で残しでもされたらそれこそ泣き喚きながら叩き出すけれど。

「ん? ぼく? いや、別に」
「え」

 ばくり。焦げ目の美味しそうなチーズケーキを放り込みながらしかしサラッと否定され、目を丸くしてしまった。なんというか、クダリさんは甘いもの好きなんだと思って疑っていなかった。そういえば、いつだったか頭を使うと甘い物が食べたくなるとかなんとか言っていた気がするが、本当にそれだけだったのか……。もしかしたらそれと、きっと暇つぶしの私へのイヤガラセ、からかいも含んでいるんだろうが。

「でも、は好きでしょ。こういうの」
「え」

 つるり。可愛い器に盛られたゼリーを一瞬で吸い込んでいくクダリさんを、思わず凝視してしまった。もくもくと咀嚼しながらも次に食べるものを選ぶ伏し目の睫毛、色素の薄いそれが、ぱちぱちと動いている。

「……あのね、相手が喜ぶところ選ぶのくらい、当然でしょ。デートなんだから」
「え」

 ぱきん。ケーキに飾られていたチョコ細工を噛み砕いて、呆れたようにため息をつかれてしまった。クダリさんの口から出た言葉が、いや言葉自体の意味は分かるけれど、中々噛み砕けなくて私の口はずっと半開きのままだ。ケーキのチョコクリームを掬いながら、縦長の瞳が私を訝しむ。

「どうしたの。固まってると目ぼしいの無くなるよ」
「いえ……まさか、クダリさんにそういう情緒の理解がある、とは思わず……」
「あのね、きみ、すーーーーっごく失礼。助けて損した。ぼく、もう2度との言うこと聞かない」

 かしゃん。その図体と手には随分小さく見えるスイーツ用のフォークを投げ出して、クダリさんが拗ねてしまった。背もたれにぐったり寄りかかって、手足まで投げ出している。
 私の言うことを今までに気まぐれ以外に素直に聞いたことがあったかとかそもクダリさんの日頃の言動がとか弁解したいところはある。しかしそれでも、今日に関してはクダリさんがクダリさんなりに例えその気まぐれだとしても、きっと私に気を使ってくれたんだろう。……今のは完全に私の失言だった。

「いや、その、本当にすみません……機嫌直してください、プリンでもなんでも取ってきますから」
「じゃあ、そのいちごちょうだい」

 ぐりん。私が言い終わるや否や、クダリさんの眼だけが私のお皿に向かって動いた。身体は依然脱力したままだけど、目力はやっぱり強い。そしてそのターゲットは、私がショートケーキから下ろしていた真っ赤な宝石だった。……まったく、本当にこの人は私の大切な取っておきに目敏い。

「ちゃんと生クリームもつけてね」

 あー、と大きな口が開かれた。あれだけ身を預けていた背もたれから離れて、前屈みに顔を突き出している。
 ……まさか。いや、流石にそれは無いか……? クダリさんのお皿に乗せるつもりでフォークを手に取った私はというと、クダリさんのその態度にまたフリーズしてしまった。

「はやくして。顎疲れちゃうでしょ」

 不機嫌な声が急かす。見せつけられる綺麗な歯並びを見るに、どうやら私の思い違いではないらしい。クダリさんは、その口に私手ずからいちごを……つまり、この男、“あーん”をご所望だというのか。本当に? このランチタイムの高級レストラン、つまりほぼ公衆の面前で? 恥ずかしくはないのだろうか? いくら私が慌て照れる様子を見て揶揄いたいのだとしても、クダリさん自身も周囲の好奇の目に晒されることに違いはないというのに。……いや、この人にそういう情緒の理解は無いんだ。きっと、そしてやっぱり、そうだ。

「はい……ど、どうぞ……」
「あー、ん」

 この場がどこかを必死に考えないようにしながら、哀れな生贄を突き刺したフォークを差し出す。ご要望の通りに泣く泣くケーキの上の生クリームもたっぷりくっつけたが、恥やら混乱やら何やらで震える手と泳ぐ目では、うまくクダリさんの口に収めるのに苦戦してしまった。
 しゃく。クダリさんの口の動きに合わせて、私が甘く柔らかいスポンジケーキと生クリームの後に堪能するはずだった爽やかで甘酸っぱい魅惑の果汁が弾け消えていく様を、つい夢想してしまう。最後に、唇の端についてしまったクリームをぺろりと舐め取って、クダリさんはいつもの表情があるんだか無いんだかよくわからない笑顔のまま感想をのたまい始めた。

「うん、2点。、へたくそ。情緒の理解がない」
「ぐ、う、すみませんね……」
「でも、いちごが58点でぎりぎり及第点。許してあげる。よかったね、いちごが美味しくて」

 次はもっと雰囲気出してよろしく。クダリさんはいつもの冗談なんだかそうじゃないんだかよくわからない声音で言うだけ言って、片手で空の大皿を持ち上げ、片手で私の頭をぽんぽん叩いて、再びスイーツの海に向かっていった。


あとがき
スペクダに翻弄されたい(220531)


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