モブ女性→クダリさんのシーンがちょっとある
夢主と▽さんがちょっと喧嘩する
▽さんにちょっと貞操観念ズレてるところがある


 クダリさんが大量のお仕事を抱えているらしい週の半ば。利用頻度の少ない部屋ばかりでひと気もなくどことなく寂れた廊下の先にあるドア。それをそっと開ければそこにあるのは棚にも床にもごちゃごちゃ所狭しと積まれた工具や道具、備品たち。
 その陰で、いつもと違い先にお寛ぎになっているクダリさんが、私の顔を見てフワンテよりも軽い挨拶をよこした。

「や、

 整備部の備品庫の合鍵をお貸ししたあの日からだいたい1週間、私はクダリさんの邪魔をするのも悪いと思い、日報などちょっとした机仕事はカナワのやたら快適な段ボールルームを借りるなどしていた。しかし、とある書類の作成に必要な資料の一部を備品庫のデスクに保管していたため、こうして愛しの我が城を久々に訪れたのだ。
 まあ、ついでに、クダリさんが心配だったというところもある。仕事はできる人だと聞いてはいるし、そこは別に疑っていない。そもそも部署も業務内容も違いすぎるから疑いようも心配のしようもない。そこではなく、クダリさんには色々と常人から外れた突拍子の無いところがあるという心配だ。よもや備品庫を好き勝手に模様替えしていたり、果ては改造なんかは流石にしていないだろうが……正直言えば、缶詰をするというクダリさんの体調よりも、備品庫の様子を案じる方が重かったのは否定しない。それでも一応差し入れにお菓子を持参し、集中しているだろうクダリさんに最大限気を使って、私はそっとドアノブを捻ったのだった。

「なるほど。確かに随分と“お忙しそう”ですね、クダリさん」

 ……まあ、まさか、そこにいるのが“仕事に追われているクダリさん”ではなく、“綺麗なおねえさんといちゃついているクダリさん”だとは、夢にも思わなかったわけなのだが。
 ははあ、綺麗な背中だ。クダリさんに馬乗りに覆いかぶさっていたおねえさんは、気さくな挨拶に弾かれたようにこちらへ振り向いて目を丸くし、私を認識するや否や胸元を押さえて小さな悲鳴をあげた。驚かせてしまって、大変申し訳ない。
 床に転がる2人とも、仲良く揃って上着を放り投げて片やシャツ、片やブラウスのボタンは数個外れてそれぞれ肩まで顕になっている。ああ、一応ずり下がってはいないが片やズボン、片やスカートのファスナーも下がっているように見える。いやはや、逢瀬の最中にノックもせず突然現れるなど、無粋なことをしてしまった。
 まったく……トラウマになったらどうしてくれる。つくづく全裸だとか下半身が露出ないし結合されている状態じゃなくてよかったと思う。危うく、今後この部屋を使う度に顔見知りのショッキング映像がフラッシュバックする傷を負うところだった。
 お二人を見下ろす私の呆れ返った目にようやく我に返ったのか、おねえさんの顔も綺麗なデコルテも真っ赤になった。まあ、未遂とはいえ他人に濡れ場を見られたのだから当然の反応だろう。そうして慌てて上着を羽織り、可哀想なくらい頭をぺこぺこさせながら出ていった。おねえさんのあの綺麗な制服には見覚えがある。先週クダリさんを囲んでいた人たちと同じもののはずだから、まあ少なくとも部外者ではない。それならば、私のこの薄汚れた作業着姿を見れば、このゴミゴミと散らかった部屋の関係者だとすぐに分かっただろう。逆上して騒いだり襲いかかってくるような人じゃなくて、まともに恥じらいのある人で安心した。……そんな人がこんな辺境とはいえ、職場で淫らな行為に及ぼうとするんじゃないと内心ツッコミくらいはさせてもらうが。
 それよりも、だ。

「あのね、」
「おかしいですね、」

 おねえさんの焦りそのものといった性急な扉の音が消えて数秒、静寂を破ったのは同時だった。いつもならば私はズケズケと遠慮という言葉を知らないクダリさんに譲って引き下がるところだが、流石に今回は胃の底で沸々と湧き出て煮えたぎるものを喉元で留め置くことはできなかった。

「私、鍵をお貸しする際に“仕事に使うから”とクダリさんが言っていたような気がしたのですが」
「うん。ぼく、そう言った」
「ええ、やはりそうですよね、私も確かにそう聞きました。そして、私はその言葉を信じて鍵をお渡ししたはずなんですが……まさか、こんな形で裏切られるとは思ってもみませんでした」
「あのね、
「大変申し訳ありませんが、ヤリ部屋にするつもりなら出て行っていただけますか?」
「あのね、違うから」
「言い訳するなら、せめてその乱れたボタンを留めて、胸元のキスマークを隠して、緩んだネクタイとベルトを締め直して、それからにしてください。パンツまで見えた状態で、何が違うんですか? ああ、出ていく前に身だしなみを整える時間くらいは差し上げます。その姿を目撃されたりなんかして、こんなくだらないことでサブウェイマスターの人気が落ちて私たちの仕事が減っても困りますから」
「あのね、落ち着いて」

 クダリさんが何やら口を挟もうとしてくるが、今はこの男から出る言葉を何一つ聞きたくなかった。
 考えてみれば、今までこの男とは特別深い交流など無い。友人でもなければ同僚でもない。そもそも顔を合わせるのだって、私が不定期に書類仕事をしにこの部屋に来る時と、人気者でお忙しいクダリさんの暇が重なった時だけだ。週に1度も無いことだってある。……それでも、1年以上同じ空間を共有した相手、そして仕事に対しての意外にも真摯な姿勢には、ある程度の信を置いていたのだ。

「私なりに、クダリさんには一部恩を感じているところもありました。だからお菓子だって大人しく食べられていましたし、条件通り呼び出しにも仕事の合間を縫って可能な限り応じていました」
「うん、ありがと」
「でも、流石にこれはないでしょう。サブウェイマスターが人気ということは重々承知しています。だから別にクダリさんがどこでどういう交友関係を持ってどれだけ遊んでいようが私には心底どうでも良いことですが……こういうことはせめて他所で済ませてくれませんか」

 ああ、そういえば一度スイーツバイキングには行ったが、あれは貸し借りというかほとんど脅迫のような物だったし、クダリさんからしたら言ってしまえばいつものお菓子の強奪と同じようなものだったのかもしれない。そう考えると、素直に恩を感じていた自分が、馬鹿らしくなってくる。
 一息つく。何かを捲し立てて話すのも、面と向かって誰かに怒りをぶつけるのも久しぶりだった。こんなに疲れるものだったか。きっと私なんかが何を言ってもクダリさんには響かないだろうことが、余計にそうさせている気がする。何を考えているのか分からない目も、いつも感情を読ませない笑顔を形作るだけの口元も、やっぱりもう見たくはなかった。

「……正直、幻滅しました。二度とここには来ないでください」
「あのね! ……それ、困る」

 突然大きな声を上げられたせいで、私はびっくりして背けたばかりの目をすぐまたクダリさんに向けてしまった。それから一拍置いて出た呟きと表情には、自分の声にクダリさん自身もびっくりしたような、なにかまた違うような……不思議な色が浮かんでいた。

「もしかして……サボったり、お菓子をたかったりできないからですか」
「それもある」

 ……全く悪びれもせず、正直すぎる。他人に媚びないところがクダリさんの美徳の一つだとわかってはいても、カチンときてしまう。
 お菓子なんてそれこそ、あの受付のおねえさんたちからいくらでも貰えるだろうに。実際この間も囲まれ甘やかされていたじゃないか。そう指摘すれば、さっきのおねえさんは経理だと言う。いや、おねえさんの所属はどうでも良い。

「なら、経理のおねえさんたちにたかれば良いでしょう。その方がここよりも綺麗な部屋でゆっくりできますし、なんなら思う存分チヤホヤして、“ご休憩”だってさせてもらえるんじゃないですか?」
「そうじゃない」
「じゃあなんなんですか、“サブウェイマスターさん”」
「あのね、ぼくクダリ」

 そんなことは知っている。もう個人として関わりたくもない、再三言うように全く関わりのない部署、役職なのだから問題はないだろうという意味を詰め込んだ皮肉だが、やはりこの男には通じていないらしい。所詮、ゼブライカの耳に念仏か。そう呆れていると、サブウェイマスターの白い方が、ちょうど先週のように腰を折ってきた。いったい何を耳打ちしようというのか。今この場には2人だけだ。見せつけるギャラリーも、話を聞かれたら困る人も居ないというのに。

「ぼく、きみが思ってるよりはきみのこと気に入ってる」

 ちゅ、と自分の頬から音が聞こえた。私の視界に映るのは、屈んできたせいで眼前に迫った男の鎖骨と……そこにある口紅付きのくっきりとしたキスマークだけだ。そして、ふわりと鼻先に漂ってきたのは、普段嗅いだことのない上品で甘やかな花のような香りだ。
 乾いた音が、閉塞的な空間に響き渡った。

「わ、びっくりした」

 少し間をおいて、手のひらに熱が集まってくる。勝手に、腕が動いた。振り抜いたそれは、間違いなく私のものだ。……やってしまった。事が事とはいえ、人に、サブウェイマスターに手を上げてしまった。暴力に訴えることは間違いなく人として最低な行為なのだが、それでも私の苛立ちはもうタガを外れてしまっていたし、口も止まらなかった。

「そ……れは、こっちの台詞です! バトルの実力だけじゃなく常識からしてぶっ飛んだ方だと前々から思っていましたが、いったいどういう倫理観してるんですか? 人気者の自分ならば女物の香水くっつけたまま他の女性にセクハラして場を収められるとでも思ったんですか? しかも職場で……人としても社会人としても最低すぎてびっくりしましたよ!」

 運動もしてないというのに、息が上がる。社会人になってから、こんなに大声を出すことなんて、そうそう無かった。
 一種の興奮状態にいる私に対して、しかし片頬だけ薄く色づいた男はそれでもいつものお面のような笑顔のまま首を捻るばかりだった。反撃も、反論もしてこない。

「うーん、うまくいかない」
「……なにがですか」
「ちょっと待って。今、“身から出た錆”って言葉を噛み締めているところだから」

 この男の辞書に自業自得という言葉が載っていることが驚きだ。最も縁遠い存在じゃないか? ……いや、反省したフリ、とまで見るのは流石に穿ちすぎか。いったい、どんな言い訳が飛び出すのだろう。正直舌戦になったら頭の良いこの男に叶う気はしない。それでもせめて、ああ言われたらこう言おう、そんなことをつらつらと考えながら出方を伺っていると、白い帽子は左右に揺れて「だめ、わからない」と呟いた。

「あのね、どう謝ったら許してくれる? ぼく、なにもしてない」
「なにもしてない、って……その乱れた服装は」
「うん、だから、あの子が突然入ってきて、ぼくに襲いかかってきただけ」
「……その体格差で?」
「そ。ぼく、見てただけ。ぼくのこと好きなんだって。女の子がそうしたいなら、別にぼく困らないし。……あ、ちょっと時間が押してるのと、がこんなに怒ると思わなかったからそこは困ったけど」

 なるほど。怒ると思わなければ、そりゃあ押し倒された状態でもあれだけ軽い挨拶を平然と寄越せるだろう。つまり、本当に言い訳で支離滅裂なことを言っているわけではなく、この人の頭の中ではしっかり成り立つ観念と論理、ということらしい。
 それならそれで、何をどこからどう指摘したものかと私が困惑していると、男が先に唸った。

「もちろん、逆に、抵抗しても良かったけど……もし工具壊しちゃったら、、困るかなって」
「……それじゃあ、本当に、あなたが悪い、ってわけじゃないんです、か……?」
「そ。納得してくれた? さっきのが不純異性交遊になるなら、この間がここで壁ドンされてたのもそうなっちゃう」

 ……正直なところ、非常に釈然としない。第三者に見られてすぐ正気に戻って逃げるようなおねえさんがこの男に言い寄って押し倒すほど追い詰められたのは、そもそもこの人が変にファンを煽ったせいじゃないだろうか。暇だからとのたまってが、まんまとその通りトラブルを引き起こしたのだから……まあ、確かに身から出た錆そのものか。第一、気のない相手に襲われて拒絶の一つもしない態度もどうなんだろう。少なくとも私には良いこととは思えない。この人の交友関係は本当に興味が無くて何一つ知らないが……もしかして、いつもこの調子で女性と関わっているんだろうか。そんなぞっとしないことまで考えていくと……やはり8割くらいはこの真っ白な男に真っ黒な責任があるのではないだろうか。
 しかし、ただ、一応、それでも……この人が、いや、クダリさんが100悪いと言うわけじゃないその一点において、疑ったことは悪かったと思う。すみませんと頭を下げると、あっけらかんとした笑い声が返ってきた。

「いいよ。でもね、やきもち焼くなら、もっとかわいく焼いて」
「…………………ッッッハァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」

 外に響くとかどうだとか全て頭から消え失せて、ここ数年で一番の怒声が出た。言うに事欠いてなんだとこの野郎!! 人の信頼を揺らがせておいて、素っ頓狂な理屈で私のせいに収めるつもりか? 誰が誰に何だって!? 焼きもち!? 私が高血圧持ちだったら血管が10本くらい切れて死んでいた。侮辱罪と殺人未遂が同時に適用されるレベルの暴言だ。
 私が頭からカッカと湯気を出しているというのに、クダリさんはというと怯むどころかやれやれと嗜めるように首を振る。

「あのね、そんなに大声出さないで、冗談だから。でも、女の子が“ヤリ部屋”とか“ご休憩”とか言うの、はしたない」
「キスマークつけた男が何言ってるんですか余計なお世話です!!」
「というか、もしかしての中のぼく、そんなに遊んでるイメージ?」
「クダリさんが遊んでいないに分類されるなら、少なくとも整備部の男性は全員童貞に認定されるレベルの倫理観と行動していると思いますが?」
「あのね、きみ、多方面に失礼。確かにぼく、来るもの拒まないし去るもの追わない。でも遊んでない、いつもみんなに本気」
「うわあ、さいですか……」
「あ、ノボリは来るもの拒むし去るもの追うよ」

 いやそこまでは聞いてない。というか、それは本人の知らないところで勝手に言いふらして良いことではないだろう。しかもノボリさんもノボリさんで微妙に難儀そうだし。それにしてもクダリさんの、言い寄る女性全て本気で受け入れて去っていく女性全てに未練がないというのも、どういう精神構造をしていたらそうなるのか逆に興味が湧くレベルだ。いや知りたくはないが。ある意味全員平等に興味が無いということなんじゃないだろうか。いや理解したくもないが。
 あ、とクダリさんが大きめの声を上げる。

「でも、さっき、二度と来ないでって言われた時、ぼくイヤって思った!」
「なんですかそれ」
「さあ? どういうこと? ぼく、ぼくが思ってるよりはきみのこと気に入ってるかもしれないってこと?」
「いや……」

 私に聞かないでくれ。そう言い切る前に、電子音が鳴った。クダリさんのライブキャスターからノボリさんの声が漏れ聞こえてくる。クダリさんが忙しいということは、同じ立場のノボリさんもきっと根を詰めている最中なのだろう。クダリさんも素直にうん、うんと一言二言交わしたかと思うとさっさとドアに向かっていく。ちゃっかり、私が持参したお菓子の袋は書類と一緒に握りしめている。……まったく、いくらなんでも切り替えが早すぎるだろう。じゃあね、といつものような挨拶は、この話は後腐れなくこれでおしまい、ということらしい。
 その片頬はまだ赤いし、私はそれについて謝っていないというのに。待って下さいと慌てて引き留めて再び頭を下げれば、なんだそんなこと、とやはりさっきと同じあっけらかんとした笑い声が返ってきた。

「いいよ。ぼく、慣れてるから。女の子に叩かれるの」
「…………クダリさん、やっぱり最低なのでは?」
「あのね、きみ、ぼくに失礼なこと言わないといけない決まりとかある?」


(221022)


よかったなあとかあればポチッと→ ❤❤❤