ポケマスのギーマさんと主人公


「……そんなに見つめられると、困ってしまうな」

 ギーマの喉が楽しげに鳴る。そう嘯く割に、彼の口にはいつものようなニヒルな笑みが浮かんでいた。トレードマークである黄色いマフラーを穏やかなパシオの潮風に乗せて揺らめかせる姿に、困った様子はひとつもない。
 逆に、ちょっとしたぼうけん帰りに男の横顔をぼんやりと見上げながら歩いていたの方が慌ててしまう。まさか指摘されるとは思っていなかったのか、あたふたとリュックの肩紐を握ったり帽子の鍔を弄り誤魔化そうとする少女を見下ろして、男は努めて責める口調にならぬように問いかけた。

「先程のバトルで、なにかわたしに気になるところでもあったかい? それとも、顔に何かついているかな」

 しかしは帽子の鍔の下から覗くようにまた男を見上げ、やっぱり前を向き、しかし少しして目だけ男に向けを繰り返し、その間その口はずっともごもごと半開きで……その逡巡を分かりやすく表していた。
 明らかに少女が自分に気を使っている様に、男はほんの僅か眉を顰める。
 それは些細な変化であったが、いつもは彼女に対してはまるで実の兄かそうでなければ昔からの師匠かのように柔らかく親身に接してくるギーマにしては珍しいその表情に、は少し驚き、ぎくりと肩をこわばらせてしまう。そんな子供の様子に気づかないギーマではなく、ふ、といつも頑張り屋の若者を見守る時のようにすぐさま眉の力を抜いた。

「怒っちゃいない。だが、必要がないなら、大人の顔色なんてうかがうもんじゃあないぜ。……少なくとも、わたしはきみにそんな器用さは望んでいないからね」

 それでも、その声色には隠し切れない僅かな苦々しさが覗く。いつもは飄々とした彼のそんな様子に、の脳裏にはかつて彼と知り合って間もない頃、洞窟内でレパルダスと共に出会した際彼が語った彼自身の過去の片鱗が思い返された。
 だがそれでも、ええと、とは一度口籠る。しかしギーマは依然自分の言葉を静かに待ち、また彼にそこまで言ってもらったからにはと意を決して口を開いて、その素直な心持ちを明かした。
 今度表情を崩すのは、ギーマの番だった。

「なに? わたしの……髪の毛を、触らせて欲しい?」

 ギーマはその背に負う空と同じ青い目を丸くした。ギーマの両側頭部にまるで羽のように撫で上げられた髪に、がちらちらと目線を送る。
 なるほど、彼女が見ていたのは自身の顔ではなく髪だったか。ギーマがそう得心する一方で、やっぱり非常識で失礼だったかな、と言葉よりもありありと、雄弁に顔で語り肩を落とさんとするの様子に、ギーマは思わず小さく噴き出してしまう。それにつられて上げたの目には、ギーマの少し上がった左口角が見えた。

「いや、悪い。少し予想外だっただけさ」

 まったくきみは面白い、と男は口元に手を当てて喉をくつくつと揺らす。主に指先を唇に当てるその仕草、隙間から覗くそのニヒルな笑顔に、”いつものギーマ”だとはそっと安堵する。

「そうだな、特別に許可しよう。わたしからああ言った手前、きみの頼みを無碍にはできないからね」

 そう言うなりギーマは片手を胸に当てると、片膝をつき実に恭しく跪いた。あまりにも自然でスムーズなその動作に、は目を輝かせた。
 ギーマの言葉や所作には気障なところがよくある。他人のそんな評に対し本人は至って自然に行うその言動は、少女の目には嫌味とも滑稽とも映ったことがない。むしろよく似合いすぎるほど様になっているギーマのことを……少女は"面白い"と思っていた。

「どうぞ、お嬢さん」

 いつもは頭ひとつ上にあるその整った顔、涼やかな切長の目がすぐ近く、自分を見上げるように見つめさらにウィンクの一つまでいただいては、大抵の女は心を跳ねさせるだろう。しかし年端も行かぬ少女には、それは興味の対象、まるで絵本や映画の中のヒーローや王子様のような所作を実際に目の当たりにしてはしゃぐような、そんなミーハーじみた気持ちしかなかった。

「……!」

 ……やわらかい。思ったよりも、がつくが、遠慮と興味の狭間で震える指先の感触に、まずはそう思った。彼の身に纏うスーツのように青みがかかった綺麗な黒い髪。陽の光の下で更なる艶やかさを魅せるそれらは、彼のいつも綺麗に整えられた身だしなみが同様に毛先の末端まで行き届いていることが子供心にも理解できるものだった。無遠慮に触れた手のひらに感じる、少しぺたりとした摩擦はたまに耳にするワックスなのだろうか? 疑問が頭に躍ると同時、少女にとっては嗅ぎ慣れず似たものも知らない、しかし子供が想像するまさに"品が良い大人の匂い"が鼻腔をくすぐった。もしかしたら、まだその口に紅も知らぬ彼女にはやはり遠い香水という物なのかもしれない。指先の感触と爽やかだが癖のある香りが、の好奇心と肺を満たしてゆく。

「……もういいかい、。それくらいにしておいてくれ」

 突如、そう言うや否や、すっくとギーマが立ち上がる。青藍の髪から一変、黄色のマフラーがの視界を占めていく。目を眩ましながら、あ、と少し残念そうな声をあげるを尻目に、ギーマは乱れた髪を手で撫で付ける。
 自分のような子供の、さして意味のない好奇心で……綺麗に整えられたその髪型を乱してしまった。がそれに申し訳なさを感じ萎縮をするよりも先に、しかしてそれを制するようにギーマは口を開く。

「ああ、嫌だったわけじゃないぜ。ただ、この歳にもなると人にそう髪や頭を触られる機会というのは中々無いからね。……これ以上は照れてしまうものさ」

 フフ、とやはりまるで言葉のような照れを感じさせず、至って優雅に口元に指先を持っていく。その”いつもの笑顔“を、は好んでいた。きっと【ギャンブラー】だという彼らしい一種の【ポーカーフェイス】というやつなのだろう。何もかも子供からしたら空想上の世界の、漠然としたカッコイイ雰囲気に子供らしい憧れを重ねていた。
 加えて、ギーマはを見かけるとよく褒め、期待を口にし、可愛がる。子供が自分に優しい大人に懐くのは当然といえば当然であり、その際にギーマが見せる楽しそうな笑顔には……もはや日常のものとして安心を覚えるのだった。
 一方で湧き上がる疑問に、は首を傾げた。大人になると、頭や髪に触れることがタブーになるのだろうか? いや、いつも面倒見良く自分に構って教え諭してくれるギーマが言うのならばそうなのだろう。全容をよくわかっていないままにがなるほど大変ですねと返すと、ギーマはいつもの手を口元に残したまま、もう一方の手を上げた。頭を撫でられる、というの予想を少しだけ外れ、その手のひらは帽子を避け彼女の後頭部をするりと撫でた。ギーマがよくレパルダスの後ろ頭から背中にかけて手を滑らせている姿が、の脳裏を過った。その可愛がる要領だろうか。繰り返しするりするりと絶妙な加減で頸から耳の裏、頬骨までを幾度も撫で下ろされ、その絶妙な具合にの瞼は段々とろとろと重くなっていく。
 きみ。不意に、ギーマの柔らかい呼びかけがの耳に滑り落ちる。

「大人が、気兼ねなく誰かの頭を撫で髪を梳くことのできる状況を知っているかい」

 撫で滑り浮いていく手の中で、最後まで残る中指がツウ、とわざとらしく少女の柔らかい頬をなぞり顎の先まで未練がましく残る。緩く下唇に触れる指先がくすぐったくて、は口をひしゃげさせてなんとか笑いを堪えた。その代わりに、ギーマの口からは笑んだ吐息が小さくこぼれ落ちる。

「やはり、まだ、きみには早いだろうな」

 ようやく離れたその手が、少女の帽子の鍔を摘む。少女を慈しむ際にずれてしまったそれを、少女には理解できないほどの優しい緩やかさで整え、ギーマは自身の黄色いマフラーをバサリと空気を切るように翻す。

「まあいいさ。機を待つのも、勝負師の得意とするところだぜ」

 マフラーを靡かせる細身の背中からは、その表情は読めない。しかし、もし、と呟くその声がどこかわくわくとした、彼が普段それこそバトルや賭け事に期待を込めた時のものに近いことだけはにもわかった。

「きみが大人になって、またわたしの頭を撫でたいと思えば……その時はきっと応えてあげよう。きっとね」


あとがき
ギーマさんに一目惚れしてから早4ヶ月
3人共(ギーマさん・マジコスギーマさん・アローラギーマさん)生きているだけで褒めてくれそうな勢いで主人公に優しくて照れる (220628)


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