ごろごろ。レパルダスの喉の音が穏やかに鳴り続けている。
 ギーマさんと珍しくお休みが被ったので、のんびり一緒にブランチを食べ終え、私は食後のコーヒーを啜っていた。
 というのも、ベッドから出ようにも朝が苦手なギーマさんがお腹にまわした腕を中々解いてくれなくて、結局一緒に二度寝三度寝をしていたら……とっくに陽の高い良い時間になってしまっていたのだ。
 そのギーマさんはというとソファでレパルダスを膝に乗せ、存分に甘やかしていた。手櫛のように彼女の背を頭から尾まで撫でたり、毛艶を楽しむように脇腹を滑らせたり、耳や喉をくすぐったり。普段コインやカードを自在に操る彼の器用な指が愛猫の上でするすると綺麗に動いていく様に、なんとなく目が引かれてしまう。そのままマグカップをぼんやり口につけていれば、あっという間に飲み干してしまった。

「おや、もういいのかな」

 ことん、と私がマグカップをテーブルに置くのと同時、レパルダスが不意に床に降り立った。ぐぐ、と伸びるようなポーズをしたあと、ギーマさんへ問いかけの答えよとでも言うようにちらりと目線を送った。わかったよ、なんて彼が肩を竦めるのを確認してから、トトッと軽い足音を立てて部屋から去っていった。私の横を通り過ぎざまに、ほんの一瞬足を止めて笑いかけてくれた。その笑みがどこか意味深で、私は首を傾げながらギーマさんの方に目を向けた。

「なんだったの?」
「彼女は、気の使える子だからね」

 彼へ向けた目線のことも含めて尋ねたけれど、ギーマさんは詳しく教えてくれるつもりは無いらしくって、さっきのレパルダスとそっくりな笑い方をするばかりだ。それが何故だか気に入らなくて、むっと眉を寄せてしまう。お腹がムカムカするのは、コーヒーのせいだろうか。私の不満を見透かしたように、ギーマさんの両腕ががおもむろに広げられた。

「おいで」

 ……私は、この“おいで”にいっとう弱かった。あのいつも鋭く目尻を尖らせた目をやわらかく細めさせその内のやさしい青い色の瞳に見つめられてしまうと、あのざらりと鼓膜を通じて撫で上げてくるような耳に残る声でそう呼びかけられてしまうと……もうダメだった。私の思考はすっかり奪われ、脳はうっとりと呆けてしまって、ふらふらとその一声に従って惹き寄せられてしまう。ギーマさんもそれを分かっているから、悠然とソファに腰を落ち着けたまま、彼のもとへと足を向ける私をただ待っているばかりだった。

「違う。きみの特等席は、こっちだぜ」
「えっ」

 そうしていざギーマさんの隣に座ろうとしたら、彼の両手が私の脇腹を捕らえた。その手に導かれるまま、「身体に触れる家具は良いものを選ぶべきだぜ」というギーマさんの選んだ質の良いソファに、腰が沈んでいく。その場所はギーマさんの真前……いや、正しくは脚と脚の間だった。私が逃げる隙も与えず、彼の両腕はそのまま私のお腹を拘束してしまった。そうして後ろからぎゅうと抱え込まれると、朝と同じ温かさがじんわりと背中に伝わってきてどぎまぎしてしまう。

「ギーマさぅわっ、わ、わ……!?」

 訳も分からずとりあえず呼びかけようとしたけれど……首の後ろに落とされたくすぐったさに、邪魔をされてしまった。
 触れては離れて、また触れては離れて……時々、私の動揺を笑うような小さな吐息や、私の羞恥を誘うようにわざとらしいリップ音が、頸と鼓膜をくすぐってくる。
 これは……何度も何度も落とされているのは、ギーマさんの唇だ。

「ぅひゃっ!?」

 すっかり後ろばかりに意識を取られていると、その隙をついて這い上がってきた指先に耳をくすぐられる。びっくりして身を捩ろうとしたけれど、前からまわって今は耳たぶをふよふよと摘む手と変わらずしっかりとお腹を抱え込んでいる手のせいで、自分が抱き締められているということを再確認するだけで終わってしまった。

「な、なな、なにして」

 唯一動かせる口から震える声をあげても、ギーマさんから返ってくるのは「んー?」なんて受け流してからかうような鳴き声と、すり、すり、と恐らく彼のすっと通った鼻の先を首に寄せられることだけ。
 困惑するやら恥ずかしいやらで、ひーとかわーとかぎゃーしか喚けないでされるがままにいちいちびくつくしかできないでいると、次第に押し殺せなくなったとでもいうようにギーマさんの喉奥から笑い声がじわじわと聞こえてきた。

「ふ、くく……」
「な、なんなの、本当に」
「いや、フ、フフ……なんでもない。ただ……こうして欲しかったのかと思ってね。きみ、随分と"彼女"のことを羨ましそうに見ていただろう?」

 カッと頬が熱を持つのを感じた。咄嗟に否定しようとしたけれど、言葉は口の中でもごもごと消え失せてしまった。
 だって、ギーマさんに間近で観察された状態で、嘘をつき通せる自信なんてこれっぽっちも、無い。あの凪いだ青色の瞳は、私のすぐ揺らいでしまう雰囲気を決して見逃さない。無くて七癖、なんて言うがきみの癖は両手の指以上に挙げられるよ……なんて笑われたこともある。おかげでゲームで勝ったことは、運任せを除くと一度もない。
 確かに、彼女……レパルダスのことをぼんやり眺めていたけれど、言葉を介さなくてもギーマさんと通じ合うような素振りが引っかかったりしていたけど……と、そう言い訳じみた言葉しか出てこない時点で、彼の言う通りなんだろう。

「見っ……てない、ことは、ない、です……わっ!?」

 うぐぐ、と悔しさに呻きつつ肯定すると、ぐるりと身体を捻らされて、向き合うような体勢になる。そうしてご褒美とばかりに、初めて唇に触れられた。

「でも、彼女たちには、こんなことはしていないよ」
「うそだ。時々ちゅーしてるよ」
「そうだったかな」
「そうだよ」
「じゃあきっとそうなんだろうな」

 はぐらかす、というよりもあくまでからかって遊んでいるような素振りにムキになって食い下がろうとしたけれど、その声は出る前に口ごとばくりと食べられてしまった。お返しにギーマさんが入り込んできて、私の口内をぐるりとくすぐる。コーヒー風味の唾液なんて美味しくも無いだろうに、端から溢れそうになったそれも器用に回収して離れていった。一瞬とはいえ深い口付けに、まばたきもできずじわじわと頬に熱を溜める私に対して……ギーマさんはぺろりと満足気に唇を舐め、なんにもなかったようにさっきと全く同じ笑みを浮かべた。

「……でも、彼女たちには、こんなことはしていないだろう?」
「……してたら、もっとびっくり、する」
「確かに彼女たちはみんなわたしの愛するレディだが……恋人はきみだけだよ」

 私の後ろ頭を抱えるように寄せて、わざわざ耳元でそう囁かれる。仕草も、台詞も、この上なく気障ったらしいというのに、様になっているから本当にずるい。いや、惚れた欲目で、他の人が見たら面白いのだろうか。……いっそ、そうだったらいいな、とちょっと思ってしまうあたり、私はだいぶ重症かもしれない。

「さて、かわいいJellyちゃんは、わたしにどうして欲しいのかな」

 私の頭や背中をゆったりと撫で下ろしながら、やっぱり気取った言葉を楽しそうに吹き込んでくる。

「どうって……」
「きみが望むなら、望むまま、望むだけ可愛がってあげよう」
「でも、どうせ夜までなんでしょ」
「いや? ……なんなら夜通しでも、明日の昼までだって構ってあげるよ」

 さあ言ってごらん、なんて聞いておいて……私の返事なんて分かっているとでも言うように、ギーマさんが私の口を塞いだ。


あとがき
jelly:お菓子のゼリー。やきもちやきの俗語らしいです。 (220817)


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