取り合い

リーグのトレーナー夢主。ポケマス時空。ご都合主義設定。


「あ、あの……“ギーマさん”……?」
「なんだい」

 視界を支配するのは、まるで海のような青い瞳。普段から好ましいと思っているあまりにも綺麗なそれとは恥ずかしくて3秒だって目を合わせていられなくて、陸に上げられたコイキングよりも忙しなく目を泳がせる。す、っと通った綺麗な鼻筋。“あの人”のよくお見かけする挑戦的な笑みよりも少し胡乱げな口角。相変わらず夜更かしを続けているのか少々不健康気味に白い肌。見慣れないのは心配を煽られそうになるほど下瞼にくっきりと浮かぶ深いクマ。そして、私の考えを全て見抜くような静かに凪いだ水色に、また戻ってきてしまう。
 “ギーマさん”に両頬を抑えられて顔を覗き込まれてしまえば、いつも“あの人”にお世話になり敬愛を抱く私には出来ることなど何もなかった。私の照れや焦りをやっぱり目ざとく見抜いて、制するように目の前の“ギーマさん”がやんわりと口を開いた。

「もう少しだけ、このままで居させてくれないか。……きみの顔を、わたしによく見せて欲しいんだ」
「は……はいぃ……」

 ギーマさんという存在にお願いをされてしまえば、私の中に断るという選択肢はなくなってしまう。例えそれが、どれだけ照れ臭くっても。無理矢理押しかけ、厳しい選考を抜けてまでそばに置いて貰いたい憧れの人だからだ。でも、しばらくリーグで働いているけれど、“あの人”とはこんなに距離を詰めたことは無くて、あの綺麗な手がこんなふうに頬に触れることも当然初めてだった。私の頬を覆う“ギーマさん”の十の指一つ一つを、表皮が敏感に捉えてしまう。身体中の全ての神経と、全ての血がそこに集まったようにさえ思う。
 左の人差し指と中指が、頬の肉をふにふにと柔く挟む。太っているだろうかと不安になる。右の薬指と小指が、耳の裏をそっとくすぐる。ぞわぞわとした感覚が走る。左の手が覆うのはそのままに少しだけ下にずれて親指が、私の下唇にとん、と乗せられる。脳味噌が茹ってしまいそう。

「やはり……きみの、そのころころと良く変わる表情は可愛らしいね」
「か、かわ……っ!?」

 今まで、少なくとも”あの人”の口からは聞いたことのない甘やかな言葉と声音に、思考は弾けて消えてしまう。するり。親指が私の唇の形を確かめるように滑っていく。“ギーマさん”の目が、スゥ、と細くなって、近く、なって……?

「ああ、いっそ食べてしまおうか」
「おっと。いくら“わたし”と言えど、それ以上は許さないぜ」

 眼前から聞こえるものと同じ、いや、少しだけ力強い声が“ギーマさん”を制した。もはや条件反射で目だけがそちらに動く。いつもそうして追ってしまう、赤い袖口と下襟が特徴的な、すらりとしたスーツの立ち姿。トレードマークに黄色いマフラーを巻いた“あの人”がいる。

「ギーマさん……!」
「なんだい」
「きみじゃない。わたしだ」

 名を口にすると、白い着流しを身に纏い、黒いマフラーを垂らした眼前の“ギーマさん”が返事をして……すぐにスーツのギーマさんが口を挟んだ。
 分かっているよと着流しのギーマさんがくつくつと喉を揺らし、それからようやく私の視界を広げてくれた。依然、両頬は捕えられたままだけど。それを受けて、スーツのギーマさんが肩を竦めた。

「まったく、このパシオでは時空の歪みがあるというが……未来の自分がいる、というのは実に奇妙な気分だな」
「わたしも同じ気持ちだよ、少し前のわたし」
「それで……いつまで彼女に触れているつもりなのかな?」
「そうだな……いつまででも触れていたいと思うよ」
「っ……!?」

 広い袖口の右手が、その指先が、頬を撫で下ろし、顎を滑り、首筋をなぞっていく。くすぐったさと……浅ましくも、その手付きから色気を感じてしまって、落ち着きかけた頬がまたカッと熱を持ってしまう。ギーマさんの前だというのに。いや、この手もギーマさん、なんだけど、だからこそ、ああ、脳味噌が茹で上がってしまって、どうしようもない。

「そこの彼女は、リーグトレーナー……“四天王のわたし”の補佐のはずだ」

 そんな私を冷やすように、クマの無いギーマさんはひどく落ち着いた、怖いくらい感情の乗っていない声を浴びせてくれた。

。きみも、ここがパシオだからといって“きみが誰のものか”を忘れてしまっては困るぜ」
「おいわたし、その通りだ。ここはリーグじゃないだろう?」
「……それでも、、きみの所属は変わらない。違うかい?」

 違わない、そう、私はギーマさんにつくスタッフだ。誰のものか、なんて強く所有を問うような言葉は初めて聞くから、どきどき、どぎまぎしてしまう。今後は「私はギーマさんのものです」なんて主張して良いんだろうか……? いや、そうじゃない。今は叱られているところだし、多分強い語気はこっちの白いギーマさんへの文句でもあるんだろう。一応、自分の預かり知らぬ自分が部下に詰め寄っているようなものだから、ギーマさんからしたら我慢ならないところもあるんだろう。落ち着け私、落ち着け。まだ半分とろけたままの脳味噌がふわふわと戯言を紡ぎかけるのを、もう半分の固めてもらった脳味噌がなんとか留める。

「は、はい。……えっと……!」

 頬に張り付いた手と、首から離れ私の髪をいたずらに掬う手は、離れる様子がない。顔を伺えば、ん? と楽しそうな笑みを浮かべながら、何のことかわからないとでも言うようにわざとらしく首を傾げられてしまった。どうしよう。困った。どうしよう。

。もう一度言うよ。そのわたしから離れるんだ」

 本当に困ったことに、私にとってはいつものギーマさんも、こちらのギーマさんも、敬愛するギーマさんで、まさか邪険になんてできないし、力づくで振り解くなんて以ての外だし、ああ、でも、いつも悠然としているギーマさんが、わざわざ分かりやすく不満と苛立ちを見せて離れろと命令しているし……!!

「ぅ、えっ!?」

 ぐい、と腰に手がまわる。私が混乱して無抵抗に固まっているのを良しと受け取ったのか、ギーマさんは離してくれるどころか、より一層私を引き寄せて……いや、もはや半ば抱きしめられるような体勢、に、なって、しまった……!

「うわ、わああ、あのっ……!?」

 離してください、と懇願するよりも早く、空いている方の手が私の顎を掬う。ばちり、また超至近距離で、青の眼とかち合ってしまう。

「わたしにも色々あってね……懐かしく愛おしいきみと折角こうして会えて、どうにも離れ難いんだ」
「は、ハワァ……」

 お部屋に漂ういつものギーマさんのものようで、それでもやっぱり少し違う匂いがふわりと漂ってくる。腕の中のこの初めての距離、密着した身体の熱で、脳味噌がまたどろどろと崩れていく。

「……分かった。賭けはわたしの負けだよ」

 パン! 雰囲気を飛ばすように、ひとつ大きな拍手が響きわたる。言葉と音を発したのは、スーツのギーマさんだ。

「だから、その辺で勘弁してやってくれないか。……そろそろ、彼女が本格的に使い物にならなくなりそうだ」
「……か、賭け……?」
「きみが、わたしに抗えるかどうか」

 状況が理解できず一拍遅れて口を開く私に、着流しのギーマさんが答えてくれた。す、とその手が、腕が、離れていく。そうして、わたしはできない方に賭けていたよ、なんて満足そうに笑っている。ぽかん、と口を半開きにしていると、今度は違う方から溜め息が飛ぶ。

「まったく、きみはわたしの命令には忠実だと思っていたのだけれどね……」
「だ、だって、あの、えーっと……ギーマさん、だから……!」
「きみの葛藤は十二分に理解しているよ。認識以上に忠実だったきみを責めているわけじゃない」
。あのわたしはね、わたしがこんな風に様変わりしてもわたしだと変わらず慕ってくれるほどの、きみの想いの強さを見誤っていた……と反省をしているだけさ」

 面白くて仕方がないという軽い足取りで、長い襟足を見せてギーマさんが遠ざかっていく。……ようやく。
 私に馴染み深いギーマさんとすれ違う際、黒いマフラーが何かを囁いて、それに黄色のマフラーがいつものニヒルな笑みで何か返すのが見えた。
 そうして白いギーマさんが居なくなってからも脳味噌がなかなか修復せず呆けていると、いつの間にかすぐそばまで来ていた紺色のギーマさんがゆっくり私の気を確かめるように手を振った。

、わたしたちの暇つぶしに付き合わせてすまなかったね……まさか、あのわたしがあそこまでやるとは思わなかったんだ。疲れただろう、お詫びに何か飲み物でも奢らせてくれ」
「賭け、の代償は、なんだったんですか……?」
「それなんだが、きみ、明日は予定を空けておいてくれるかい?」
「もちろん、構いませんが……?」
「“きみを目一杯甘やかすこと”……それがわたしが負けた際の条件さ」

 甘やかす……え、四天王のギーマさんが、リーグスタッフの私を? ぱちくりとただひとつまばたきをするだけで精一杯の私の目を、私の考えを全て見抜くような静かに凪いだ水色が覗き込んで、笑った。

「構わないだろう? ここはリーグじゃないんだから」

 ***

「昔のわたし、分かっただろう。彼女のこと、大切にするんだぜ。……言うまでもないか。そう扱っていたからな、わたしは」
「そうだね。せいぜい、後悔の無いようにはするさ」


あとがき
とても楽しかった。ギーマさんも勝負ならきっとこれくらい言ってくれる。(220710)


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