「……っ!?」
 私の大切な相棒たち、その最後の子がぐらりと倒れながらボールに戻ってきた。いつものように「おつかれさま」と褒めてあげたいけど、今日はそうもいかないみたいだった。
「さて、本日も良いバトルでございました」
 細長い車両の奥にまっすぐ立つ男の人。もうすっかり見慣れた黒いサブウェイマスターが帽子の鍔を引き下げている。いつも勝ち負けに関わらずバトルの後にはうるさいほどの声の大きさと鬱陶しいほどのテンションで褒めてくれるのに……今日はいつもと違ってのっぺりとして冷たかった。その違和感が、私の背中をざわりとひとなでした。
 おかしいのは、車掌の様子だけじゃない。
「……いつもと、わざも鍛え方ももちものも……ぜんぶ違うよね」
「その通りでございます。本日は、あなた様への対策を徹底的に施してまいりました」
 突然なんのつもりなんだろう。私のつんけんとした言い草にも、サブウェイマスターはなんでもないことのようにしれっと返事をよこしてきた。相変わらず、鍔もそうだし、それを抑える手の広い袖のせいで、目どころかどんな表情をしているのかも見えない。
 〝徹底的〟という言葉の通り、私は何もさせてもらえなかった。相手のポケモンたちへほとんどダメージを与えることもなく、私の持てる全ての作戦を全部邪魔されて、三タテされてしまった。
 ぎしり。怒りと焦りで、奥歯が欠けそうな音がした。ちくしょう、欲しいアイテムまで、必要なBPはもう少しなのに!
「サブウェイマスターが、ひとりのお客さんにそんなえこひいきしちゃっていいの?」
「ええ、許されるでしょう」
 真っ当に働いたことがない私でも、こういう誰かの相手をするお仕事で人の対応に差をつけちゃうと面倒につながることくらいは知っている。それをつっついたつもりだったけど、すんなりと受け流されてしまった。
「〝真っ当なお客様〟がお相手であるのならば、わたくしも真っ当にお相手をいたしましょう、さらなる高みへと導くことも喜んでいたしましょう」
「…………」
「しかしあなた様は、残念ながら真っ当とはとても言い難いお客様になられてしまわれた。あなた様はわたくしの元まで幾度も辿り着き、その度に鬼気迫るような素晴らしいバトルを繰り広げてくださいました。今までは、あなた様のその腕前に免じておりましたが……近頃は少々、目に余る状況となってまいりました」
 くどくど、つらつら。残念そうに落ち込んだ声のお説教。なにか言わなくちゃと思うのに、出てくるのは冷や汗ばかりだった。
 〝私のお仕事〟が、完全にバレちゃってる、みたいだ。耳の奥でうるさい心臓の音と一緒に、お腹の底から体が段々と冷たくなっていく。
 詳しいことなんてつまらないからざっくりと言うと、私は人よりだいぶ貧乏で、でも人よりはちょこっとだけポケモンバトルが上手だった。家族なんて居なかったからスクールなんて通ったことはないけれど、大体相棒たちがいればなんとかなった。あっちこっちにふらふらしてなんとか生きてきた。旅と言えるような目標も余裕もなくて、かといって子供に真っ当なお仕事もなかった。そんな私が、ライモンシティに流れ着いてようやく得たお仕事はバトルサブウェイでのBP稼ぎだった。ここで交換して貰ったもちものやわざマシンを、欲しい人に渡してあげる。ただそれだけ。そこそこいいお値段をつけても、みんな喜んで買ってくれた。
 そのために、家族とも言えるこの相棒たちのことは一生懸命調べたし、大切に育て上げた。シングルを選んだのは、ただ単に生活費の問題だ。ポケモンを捕まえるにも、お世話をするにもお金がかかる。三匹が限界だった。
「べ……別に、ちゃんとバトルしにきてるだけじゃん」
 やっと声が出たのに、どうしようもなく震えていた。
 ……〝私のお客さん〟が、さらに他の誰かにもっと高い値段で売ってるとか、悪い噂を聞いたことがない、訳じゃなかった。多分、あの車掌が怒っているのは、このことだと思う。
 誤魔化そうとしても、〝これが最後だ〟って言うみたいに、バッサリと断ち切られてしまう。
「どうしても、勧告のうちに辞める気にはなりませんか」
「どうしたら、真っ当になれるのか、わからないもん」
 だから、そう答えるのが精一杯だった。
 私の頭の中にあるのは、どうしよう、そればっかりだった。
 どうしよう。このお仕事をやめちゃうと、私も相棒たちもまた辛い生活に戻ってしまう。どうしよう。それに、お客さん……悪い人たちがすんなり諦めてくれるとも思えない。どうしよう。
「なるほど。確か、あなた様のご登録されているお名前は……様」
「っ……」
 いっぱいいっぱいの所にピシャリと名前を呼ばれてつい顔を上げたのを最後に、体が言うことをきかなくなった。動けない。なんで? 鍔の下から、袖の横から、ようやく相手の目がちらっと見えただけなのに。あんなに遠いところにいるのに、黒づくめの中でギラリと光っているようだった。それを見ただけで、自分の体なのに、かなしばりを受けたみたいに、指が一本も動かせなくなる。
「ノーマル、そしてスーパー。そのどちらも、こうしてわたくしに相対するあなた様のその若く伸び代もある強さが、このような薄汚い瑣末ごとのためにただただ埋もれていく。それは大変に心苦しく、そして非常に惜しく……わたくしには耐え難い!」
 電車の走る音。分厚い革靴が床を踏む音。そしてサブウェイマスターの演説の全てが、ビリビリと私に叩きつけられるようだった。私は、完全に、びびってしまっていた。このバトル施設で一番上に立つ人。そうだともちろん知っては居たけれど、こんなふうに、バトルとは全く違うプレッシャーをぶつけられたことは無かった。身じろぎも、瞬きもできない。車内の灯りを遮って、私よりもずっと大きくて黒い影が、私を飲み込むように段々と差してくるのを、ただ見つめていることしかできなかった。
 かつん。硬い音一つ残して、影が止まった。頭のてっぺんに、声が落ちてくる。
「さて様、そこでわたくしからの提案です。あなた様の生計を助け、かつあなた様へと群がる輩から身を守れるとてもブラボーなアイデアでございます」
 車掌の真っ黒な腕が持ち上がる。バトルの後だって言うのに汚れの一つもない真っ白な手のひらが、私の目の前でピタリと止まった。
「ここバトルサブウェイで、鉄道員としてわたくしの部下になりなさい」
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……私の混乱した頭では、眼の前の大人が何を言っているのか、すぐにはわからなかった。ただ、その間もその目は確かにまっすぐ私を見てくれていた。
……それなら、大丈夫な気がした。鉄道員なら、お給料がもらえる。なにより、人よりバトルがちょっとうまいとはいえ、そのポケモンを出せないまま襲われたらどうしようもないって怖がっていたけれど、この街の名物であるバトルサブウェイにわざわざ乗り込んできて喧嘩を売るような真似をする人なんて、いない。なんてったって、そもそも鉄道員が強いから、サブウェイマスターが馬鹿みたいに強いから、私のような商売が成り立っているんだ。そんな心強い人たちに面倒を見てもらえるなら……いや、でも……。

 よく通る声が、銀色をした瞳が、今度は私の迷いを断つように突き刺さる。
「わたくしが飼って差し上げましょう」
 差し出されたその腕は真っ黒だけど、私には蜘蛛の糸に見えた。それにふらふらと引き寄せられるように私の手が持ち上がっていく。やっぱり情けないほどに震えていた。嬉しいのか、怖いのか……私にはなにもわからない。
 私は、その手をそっと重ね……地下鉄の飼い犬となった。


あとがき
ノボリさん人を高みへ導くの好きだから、反対に若い才能が潰れるのも嫌いそう
それはそれとして最後の台詞だけの思いつきで書き出したらこんなんなっちゃった (220523 修正221201)


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