研修責任者が口を開く。書類を差し出すその笑顔は、私を褒め称えていた。
さん、あなたは当サブウェイでも花形、バトルサブウェイの配属となります。新人研修、お疲れ様でした!」
「はい、ありがとうございます! 誠心誠意、努めさせていただきます」
 ああ、ほら。やっぱり。子供の頃から今までの人生で「なんでもあんたの思い通りになる訳がない」と嫉妬に醜く顔を歪めて金切り声を上げてきた彼女たちは元気だろうか。残念ながら、私の人生はあいも変わらずこの通り薔薇色だ。
 昔から、私はやればなんでもできた。勉強もできた。私からすれば、読んだ教科書の内容をそのままなぞれば良いだけなのにできないやつの方が不思議だった。当然、ポケモンバトルもできた。私からすれば、タイプ相性を頭に入れておき、きちんと自分と一緒にいてくれるポケモンの性格や特性なんかを理解してあげていればそこらへんのトレーナーを相手にするのに苦戦しなかった。流石にモデルほどではないが容姿も人並みよりはちょっとだけ良かったし、八方美人をやりこなし常に助けてくれる誰かを用意しておくだけのコミュニケーション能力もあった。
 だから、このライモンシティで大人気であり最難関倍率のギアステーションにも余裕で入社できた。さらには、試験用に調整はしていたのだろうが、ことバトルにおいて頂点に立つあのサブウェイマスターの実技試験にも志願者で唯一勝ち星を上げて合格し、花形も花形、サブウェイマスター直属の部署にこうして新卒で配属されたのだ。給与も待遇もそこらの一般企業や他の部署なんかとは雲泥の差だ。共に新人研修を受けていた他の社員たちの賞賛と嫉妬の混じった視線のなんと心地良いことか。今までの人生で幾度と無く浴びてきたその視線が私に教えてくれるのだ。私は持って生まれた人間なのだと。
「ッア……は、あ゛ッ……‼」
 そのはずだ。私の人生はほとんど私の思い通りで、苦痛など何もないはずだ。しかし、だとしたら、なんだこの状況は。
「おや、もうおやすみのお時間ですか?」
 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン……。連続した振動が床を通して頬を、視界を揺らす。なんだこの景色は。
「あのね、ぼく、まだ満足してない。早く立って」
 黒と白、三角形と逆三角形の口が、思い思いに私を嘲笑う。なんだ、この化け物どもは! 試験用に調整だって? ふざけろ、それで片付けられるレベルじゃない。あんな実技試験もはやただの茶番としかおもえない。あんなお遊戯で喜び得意になっていたなんて、私はまるで道化じゃないか!
 未だに一度たりとも焦りひとつ、疲れひとつ見せたことのないふたりを睨みあげながら、拳で床を叩く。悔しいことに、今の私にはそれしかできないからだ。もう力も篭もらず、情けない音しか鳴りはしなかった。
 配属されてからというもの、私は先輩たちへの挨拶もそこそこに来る日も来る日も部署のトップであるサブウェイマスターたちにトレインに引き摺り込まれ続けた。勿論、彼らとトレインといえばやることは一つしかない。ポケモンバトルだ。必要最低限の机仕事か、挑戦者が勝ち進んできてくれてふたりがそちらに向かう以外はほとんど全ての時間で、私は彼らに延々、延々、延々、延々、永遠にポケモンバトルを強いられ続けていた。それも、彼らに手抜きなど一切なく、徹頭徹尾本気の手持ち、本気の構成で、だ。いや、時々新構築の手慣らしもあるが、やはり妥協はない。おかげで、この職場に来てふた月、常に生傷が絶えないし、食堂のランチメニューよりも先に床の味を覚えてしまった。
 だが、こんな状況でも、私はあのふたりにいびられているという訳ではないのだ。……いっそ、その方がどれだけ良かったことか。
、先ほどのこちらの天候変えを読んでの一手には素晴らしいものがございました! 飲み込みが早くてわたくしも心が躍ります‼」
 ぱんぱんぱんぱん、手袋越しのくぐもった拍手が這いつくばる私に降り注ぐ。よく言う。それすら釣りとして二番手の瀕死直前の体力を残し、きっちり私を沈める算段をつけていたくせに。
「あのね、ノボリ。はダブルの方が絶対向いてる! そろそろ三匹くらい倒せそうだよ、たぶんね」
 白い腕が、そう笑いながら私の弱々しい拳なんて気にも留めずに引っ張って好き勝手揺さぶる。肩が抜けそうだ。
 だから次はダブルやろうよ、いえはわたくしと今の反省会をしながらもう一度です、えーノボリばっかりずるい……私の頭上で、私を無視した言い争いが始まった。
 つまり、このふたりは、私のことが玩具としていたくお気に入りなのだ。本当に、タチの悪いことに本人たちはいたって善意で、入社試験で調子に乗って光るものを見せつけてしまった愚かな私に興味を抱き、手取り足取り懇切丁寧に教育をしてくださっているつもりなのだ。
 最悪だ。私は、サブウェイマスターに目をつけられ捕われてしまったことで、生まれて初めて自分の境遇を呪った。配属からひと月ほど経ったあたりだったか、一度他の部署長たちが見かねて私を救い出そうとしてくれたことがある。この双子に、試しに私を他の部署も見学させてみては、と進言してくれたことがあった。私は研修期間中、机仕事もそれまでの勉強同様に難なくこなせたから、そういう意味で欲しがる部署はごまんとあっただろうことに自信はある。だが、彼らは私の両側を挟んで掴み、それを一蹴してしまったのだ。わたくしたちの育成方針に不足があるとでもおっしゃるつもりですか、こんなよくできた楽しい子絶対手放さないよ、だのなんだのとまくしたて、あの勢いと剣幕きたら、私を助けて自分のところの部下にしようと意気揚々とやってきた各部署のお偉いさんたちが全員即座に青ざめそそくさと退散するほどだった。そうして、もう私を助けようという人は誰もいなくなってしまった。八方塞がりだ。今まで、こんなことはなかった。
 しかも、あのお偉いさんたちの行動が彼らの〝玩具を取られるかも〟という危機感を刺激したのか他の要因かは分からないが、あの茶々入れ以降状況はさらに悪化した。出社している間、私の自由はほとんど無くなってしまったのだ。それまでも稀だった教育以外の時間でも常にふたりが、もしくはどちらかが必ず私に付き纏うようになった。私の悲しいかなほとんど使われずにピカピカのままのデスクとパソコンはサブウェイマスターの執務室に移動され、あのふたりが車掌としての業務中も教育だと車掌室に押し込まれ、ランチも食堂に行けば隣の席、時折どこかで私の分もランチを買ってきたからと共に食べさせられる。ふたりに挑戦者が来る際は、その直前まで今のように立てないほどみっちりしごかれて、やっぱり車掌室に押し込まれる。
 そんなこんなで一日中白黒白黒白黒白黒白黒白黒…………ノイローゼになりそうだ! 最近では、夢にまでこのモノクロ上司が出てくる始末だ。いやもはや立派なノイローゼじゃないだろうか。
、襟が曲がって……なんと、汚れまでついております! 制服は我々の誇りなのですから常にきちんと着こなさなくては!」
 両側から抱えて無理矢理立たされるが、よろよろと壁に寄りかかることしかできない。左側では黒色の腕が私の世話を焼く。そりゃあ、汚れもするだろう。この車両の床掃除に最も貢献しているのは、清掃員さんのモップよりも日々転がされている私だという嫌な自信さえある。
、ほら、ちゃんとボール持って。床に置いちゃだめ。転がって、ポケモンたち目回しちゃう」
 私の右側では白い腕が私の拳を開き、私の相棒を握らせ、その白い両手で力強く包む。応援のつもりらしい。別に、置いていた訳じゃない。さんざっぱら吹っ飛ばされて、もうまともにボール回収もできなかっただけだ。ごめんよ、私の手持ちたち。
「それで、どちらになさいますか」
「…………」
「あのね、が決めて。ダブルとシングル、どっちがいい?」
「…………」
「もちろんわたくし、マルチバトルの練習でもよろしいですが!」
「…………」
「安心して。挑戦者がそろそろって連絡があるまで、この車両ずっとぐるぐる回ってる。止まらないようにお願いしてあるから」
「…………」
 いくら私が優秀だからと言って、例えば自分がチャンピオンに勝てるレベル、だとかそこまで盲目ではなかった。人よりは確かに高い能力をそのままに評価して、利用して、ただそれだけのつもりだった。あくまで過剰には自惚れてはいないつもりだった。井の中の蛙にはならないようにと思っていた。
 しかし……ああ、平凡な彼女たちは、元気にしているだろうか。私のこの現状を嘲笑って欲しい。他部署のキャリアコースや助けてくれそうな他人との繋がりを絶たれ、自由時間もなく、小綺麗にしていたはずの顔にも体にも生傷が絶えない。プライベートも、毎日くたくたにされて真っ直ぐ家に帰って寝るだけで、充実なんかもしそうにない。職場が高名でも、給与が高くても、本人がぼろ雑巾では意味がない。ああ、うん、そうだね、なんでも思い通りになるわけがない。その言葉を、今、痛感しています。ごめんなさい。まさか、中途半端に人よりデキることで、こんな、人から飛び出た悪魔たちに見つかるとは考えもしなかった。
「それで、
「ぼくとノボリ、どっちが良い?」
 両側から伸びてきた手袋越しの指たちが、壁際に追い込まれた壊れかけの玩具を、大切そうに慈しむように優しく撫でた。


あとがき
わからせ(られる側) (220220 修正221201)


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