非ボーダークラスメイト


 その日の教室は、絵の具を塗りたくったような不自然なほど濃い夕陽に染まっていた。

「好きだ。オレはおまえが」

 いつものはっきりした調子で、いつもの何を考えているか分からない顔で、しかしまっすぐ私の目を見て、穂刈はそう言い放った。
 時間をくれないか、言っておきたいことがあるから。本日最後の退屈な国語の授業が終わり、鐘が鳴り終わるや否や、机を挟んで目の前にやたらとでかい図体がぬっと現れた。突然視界を満たす黒に動揺しながら見上げれば、その特徴的な口調からの予想通り、クラスメイトの穂刈と目が合った。とはいえ、私と穂刈の関係は本当にただの同じクラスの人だ。穂刈は相手が男子でも女子でも誰に対しても同じ調子らしく、たまにマイペースに声を掛けて来てそのままちょっとした雑談をするが、その程度だ。実際、私が穂刈について知っていることはボーダー隊員らしいことくらいで、ほんのわずかだ。
 むしろ、私に話しかけてくる割にはあまり変わらない表情と感情の読み取れない黒い目でじっと見られると、高身長の上に鍛えているらしいあまりにも良すぎるその体格と相まって、私は穂刈のことを少し怖いとすら思っていた。聞くところによるとボーダーでは優秀なスナイパーとして活躍しているらしいが……他の男子となにか違う雰囲気はきっとそのせいなのだろう。
 つまり、私は穂刈と仲が良い方だとは正直思っていなかったので……穂刈がそんな風に改まって私に用向きなど心当たりがひとつも無いのだ。今日かと聞けば、早い方がいいだろう、いつでも良いがとなにやら思わせぶりな返事をよこす穂刈の表情は固くお面のようで、それは今この時オレンジ色に染まっても変わりなかった。

「な、なに、なに急に……」

 だから、まさかこんな、誰もいない放課後の教室で愛の告白だなんて、それこそ青春を絵で描いたようなシチュエーションになるとは思わなくって、私の声は情けないくらい分かりやすく動揺に震えてしまう。なんとも思っていなかった相手とはいえ、男らしいほど直球に好意をぶつけられるなんてことには慣れていない。じわじわと顔に熱が集まってきてしまう。この空間で、きっと私の頬だけが違う色に染まっていると思う。
 鞄に片付けようと思っていたペンケースのファスナーを、意味もなく上げ下げして止められない。穂刈の強いほどまっすぐな目を受けてどうしようもなく狼狽えている私に対して、穂刈はどこまでも静かだった。

「だから、言っておきたかっただけなんだ……オレに何かある前に」

 かちゃり、と弄ろうとしたボールペンが指先から擦り抜ける。明らかに含みのあるその言葉を最後に、穂刈は口を閉じてしまう。
 私はといえば、そのまま時が止まったような感覚に陥っていくようだった。どくん、どくん、と心臓が動く度に、集まっていた熱が引いていく。指先が、冷たい。
 “何かある前に”……普通の男子高校生なら、大袈裟だなあ何もないでしょと笑って切り返した。でも、目の前に立っているのは“普通じゃない”男子高校生だ。なにせ、あの恐ろしいロボットみたいな奴らと最前線で戦ってくれている、ボーダー隊員だ。
 ……ああ、早い方がいい、ってそういうことか。すとん、と腑に落ちる。しかし、共に湧いてくるもやもやとした気持ちを、私は穂刈に問いかけた。

「その、言い方は……卑怯じゃない?」

 だって、まるで脅しじゃないか!
 これで、もし、私が断れば、もし、穂刈が明日にでも”居なくなる“ことになれば、私はきっとこの橙色の陽光に包まれるたびに思い出す。一生引きずるだろう……命を賭して戦う彼の想いに応えることができなかった申し訳なさを。いや、好きじゃない相手からの告白なんて、本当は断ったって何も悪いことはないはずなのだ。それが、穂刈の言い方ひとつで、私は自分がとんでもなく薄情なやつじゃないかという気分にさせられてしまった。穂刈の言葉は、ただ私に枷を付けるようなものじゃないか。

「大体、ボーダーの装備は脱出装備がついてて安全なんでしょ」

 知ってるんだから、と睨みつけてはみたが、穂刈は私の憤りを受けてもゆっくりと口角を上げていく。笑った? いや、同じボーダー仲間らしい村上くんや水上、影浦くんと話している時なんかは笑っているのを見たことがあるけれど、それ以外はいつものっぺりとした表情の彼が、明確に私に笑いかけるのは初めてなように思う。
 眩しいほどの夕陽を遮って、恐ろしいほど黒い影が伸びた。穂刈の手が、緩慢に持ち上がっていく。

「その通りだ。卑怯なんだよ、オレは」

 びくり、と肩を揺らしてしまう。穂刈のその手が、まっすぐ伸びてくる影が、私の髪をひと束掬った。
 頭の中で、私を見下ろしたままうっそりと微笑みかけてくる穂刈の顔をそれ以上見てはだめだと警鐘がうるさく響く。金縛りにあったように、穂刈の手を振り払うことができない。逃げようとも、足が床に張り付いて動かない。

「でも、オレを気にかけてくれるだろ? そう聞いたら。……優しいからな、おまえは」

 ……私に、特別自分が優しい人間だという自覚はない。勿論特別性格が悪いとも思ってはいないけど。とにかく普通だと思う。でも、こうやって死を匂わされて動揺したり、答えを縛られ、卑怯だと思ってしまうことが、穂刈くんにとっては優しいということなのだろうか。

「私からの感情が、ど……同情や負い目でも、良いってこと?」

 するり、と私の髪が滑り落ちた。穂刈の指の触れる先が、私の頬に変わったからだ。そのまま、指先が私の輪郭を確かめる様に、静かに弱く、なぞりあげていく。耳たぶに触れ……穂刈の大きな手のひらが、私の頬に触れる。

「良い。それで、おまえがいてくれるというならな……オレのそばに」

 夕陽が落ちかけ、教室が紫色に変わっていく。その中で、私は首を振ることも頷くこともできず、まるで人形のように突っ立っていた。穂刈の言葉ひとつひとつが、頭の中に浮かんではぐるぐると回り、何も考えることができない。

「暗くなってきたな……送っていこう、バス停まで」

 そう言うと、今度は私の手にするりと穂刈が入り込んでくる。優しく指と指の間を絡めて、握られる。もう片方の手で、私のペンケースをしまい、自分のものと一緒に鞄を持った。
 私とは明らかに違うその手を感じながら、その手を眺めながら、私は……蜘蛛に囚われた蝶はこんな気持ちなのだろうか、と国語の問題のようなことを思い浮かべていた。


(211114)


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