大学で東と同じ研究室の後輩

悲恋話


「東先輩」
「どうした?」
「この間、ショッピングモールで見かけましたよ」
「ああ、日曜日か。なんだもいたのか」

 声、かけてくれれば良かったのに。解析装置に繋がれた年代物のPCの画面を眺めながら、東先輩はからりと笑う。画面に映る進行具合を示すバーは、まだあと80%も残っている。
 声なんか、かけられるわけ無いじゃないですか。私は、ともすれば悲鳴になりかねないその言葉を押し留め、努めて平坦に、用意していた文章を絞り出した。

「いえ、彼女さんといましたので……ご迷惑かと思って」
「ああ、」

 東先輩は合点がいったふうな反応をした。腕を組んで歩いていたあの女性は誰なのか。まさか、東先輩がどうでもいい女性とあの距離感で歩くような男性だとは思えない。だというのに「いやあれは妹だよ」とか、「いやあれはスナイパーの後輩だよ」とか、そんな答えがよもや出てきやしないかと、そう期待してしまう自分に嫌気が差す。

「大丈夫。あいつはそれくらいは気にしないんだ」

 ぶつり。穏やかに、しかし確実に、私の希望は断ち切られるのだった。
 東先輩には動揺とか、照れとか、そんなものは僅かにも無くて、嫌味なくらいにさらっとした返事だった。当たり前じゃないか。たまたま同じ研究室に所属しているだけの後輩にこんなことを聞かれようが、ただのひとつだって東先輩に後ろめたいことなんて無い。分かりきっていた事実が、そのまま私に突き刺さった。
 ”あいつ”だってさ。そして、”気にしない”だってさ。なんて強い信頼関係だろう。まあ、彼女さんは、それはそうだろうなって。東先輩くらい理性的で知性的でできた彼氏がいたら、ただの顔見知りの女が親しげに話しかけてきたくらいでは、愚行の極みである浮気の“う”の字すら浮かばないだろう。だって、私なら、入学してからずっと東先輩がどういう人か見てきた私なら、それくらい盲信できる。きっと、あの利発そうな横顔の女性もそうなんだろう。

「へぇ、”信頼”されてますね、流石東先輩」
「おいおい、なんだその含みは」
「いえ、別に?」

 せめて、たったひとつくらい、棘のある言い方を許して欲しい。あわよくば、一本でもいいから、細くてもいいから、私のことがちくりと刺さって、抜けないで欲しい。
 進捗を示すバーは残り50%を切った。その遅々とした速度に合わせるように、私達は静かに会話をした。

「まだ、時間かかりそうですねぇ」
「そうだな」
「それで、東先輩から告白したんですか?」
「はは、突っ込んでくるな」

 覚悟を決めて、いかに平静を装いつつ、いかに自分の傷を軽傷で済ますか。私に残された道は、もうそれしかなかった。

「いや、相手からだよ」
「へえ、そうなんですか」

 笑い出しそうになる。ノートを持っていてよかった。メモを取るふりをして、顔が隠せる。あまりに滑稽だ。こんなにショックを受けているなんて。この答えを想定していなかったわけじゃないのに。なんだ、覚悟なんて、平静なんて、何一つできていないじゃないか。
 この後に及んで、「そうだよ」とか、「俺からだよ」とか、私は東先輩にそんなことを言って欲しかったのだ。東先輩が彼女のことを好きで好きで仕方がなくて、好みのタイプで、とにかく東先輩からであればよかったのだ。そもそも東先輩の心に私が付け入るチャンスなどなかったのだと、ああしていたらという後悔を何も考える必要はないのだと……そうスッパリと割り切って、諦めることができたらよかったのに!

「学科で同期なんだ。何度か同じグループになったことがあったんだが、その頃から想ってくれていたらしい」
「ああ、それで」
「友人からでも、とすがってもらって……はは、こういう話はあまりしないから、なんだか照れるな」
「もし、」

 数字が、さっきから30%で止まっている。口は止まらなかった。そのまま黙っていろ、早く終わってしまえと頭の中で自分が叫喚しているのに。

「その一日前に、私が東先輩にすがりついていたら……私と付き合ってくれましたか?」

 馬鹿だ、こんな事を言ってどうするんだろう。ほら、東先輩がこっちを見ている。困惑した顔をして。あのなんでも分かる東先輩が。
 私はどんな顔をしているんだろうか。腕に力が入らない。ノートを持ち上げられない。
 
「……やだなあ冗談ですよ」

 誰が聞いても、冗談ではない声色だっただろう。
 
「あまりにものろけられちゃったんで、からかっただけです」

 そうやって押し通すほかない。解析が、急にガリガリと進み出した。20、15、10、9、8……ただ、バーが塗りつぶされていくのを受け入れるしかなかった。


あとがき
ボーダーみんな「東さん」って呼ぶから、「東先輩」って呼ぶの特別でいいなあと、思って……(210526)


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