「トリック・オア・トリートォオ……!」
 今日こそ、あのいつも武士然として落ち着いている村上鋼の鼻を明かして、焦る顔の一つでも見てやろうと思ったのだ。
「じゃあ……トリックで」
 だというのに、鋼ときたら、吸血鬼に扮して例の言葉とともに物陰から現れた私に、普通に返事をよこした。
 いや、逆に普通ではない。普通というのは、ここでさらりとなんでもないことのように「トリックで」なんて言わない。せめて、今手持ちが無いからと慌てるとか苦笑するとか申し訳なさそうにするとか、なんかそういうやりとりを挟むんじゃないだろうか。
 その前に、この私の悍ましく恐ろしい姿に驚くとか何かリアクションがあって然るべきじゃないか。なにせ、古今東西あらゆるホラー映画愛好家の摩子ちゃんや三門一高の生けるパブロピカソこと加賀美ちゃんをはじめとして、なんとなく暇だった女性陣も悪ノリした完璧な仮装なのだ。肌は不健康さ満点のもはや真っ青な色味に施した化粧、指先には夜闇の如く真っ黒な付け爪、瞳は血のように真っ赤なカラーコンタクト、歯にはひと目でそうと分かる立派な牙、口の端からは赤黒く粘るリアルな血糊を垂らし……映画の特殊メイクばりの意匠を施された今の私は、畏怖こそされど、口角を薄く上げて微笑まれるような見た目では無いはずだ。見た目だけじゃない。飛び出し方からマントの広げ方、あげくは顔の角度や発声にいたるまで綿密な演技指導も受けてきた。その仕上げとして、まず最初にあの東さんと荒船をびっくりさせて、自信をつけてから送り出されているのだ。だから、こんな反応はおかしい。怖いはずだ……はずなんだ!
「どうした?」
 どうしたもこうしたもない、予想外の反応についフリーズしてしまっただけだ! ちくしょう、にこにこしたまま首を傾げる鋼への上手い切り返しが思いつかない。なんなの? 私が驚かせに来たんだぞ。私が慌てるために来たわけじゃないんだぞ!
「ほ、本当にいたずらするけどいいの!?」
「ああ」
「こんなに怖い吸血鬼だよ!?」
 ぐあーと大きく口を開け、誤って舌でも噛んだら穴が開くのではとひやひやする程尖った大きな牙と、光ちゃんに言われて壁を引っ掻いてみたらうるせえとカゲをキレさせてしまったほど目一杯に尖らせた付け爪をがおーと見せびらかして、それはもう全力で威嚇するも……鋼はなんにも変わらない。微笑んだまま頷かれてしまった。いや、なんだその顔は。楽しそうな顔するんじゃない……怖がれ、怖がれったら!
「怖い?」
「えっ」
 不覚にも、間抜けな声が飛び出てしまった。私の右手に鋼の指が、まるで自然に、ごく当然のことのように滑り込んで、絡まる。すり、と鋼の親指が、私のその爪をなぞる。
「ちょっ……こ、こお……?」
 訳がわからず、呼びかける声に恐る恐るとした色が出てしまう。だって、鋼のもう片方の手が、私の口に伸ばされて、しかもその指が私の牙を摘んでいるのだ。なんで? いや、あの、口に指を突っ込まれている、と、まともに発音できない、のですが!?
 ちょっと、とか、やめてよ、とか言いたいのに、鋼の大きな親指が牙を滑ると、そこから本当の歯を歯茎を通って、ぞわぞわと感覚が伝わってきて、困惑してしまう。だめだ、いっぱいいっぱい、だ!
 もごもごしている、いや、そうするしかできない私をじっと見つめるいつも深い黒の目が細められるのが、いやに近くに見えた。
 粘ついた音が、柔らかくかさついた感覚が、私の口端を掠めていく。
なら、なんでもかわいい」
 ……気がついた時には、私の脚は駆け出していた。ぞわり、怖気が遅れてようやく背中を巡る。ふと、牙を無くしている事に気付く。踵を返した時に剥がれたのか。鋼の指に摘まれたままだろうか。右手の爪も何枚か無いかも知れないが、あがる息と焦る頭でとてもじゃないが気に留めていられない。
 鋼のまるでお菓子のような声が耳に残る。鋼の弧を描く唇が、べとりと赤色のこびりついた唇が、目に焼き付いて離れない。
 悔しいことに、あんなに畏怖すべきはずの吸血鬼の姿などどこにも無くて、まさに脱兎……狼男から逃げるか弱い兎に成り下がってしまっていた。


 息も絶え絶えにたどり着いた東隊隊室には、女性陣が何人か残っていた。私の戦果を楽しみにしていたのか、東隊と荒船隊から巻き上げたお菓子を片手に近寄ってくる。
「おかえり」
「あれ、牙なくしちゃったの?」
「どうした? 荒船みたいな間抜けな顔は撮れたか?」
「……だ、だめ……むり……」
 惨敗の結果として、私は意気地なし、つまらないだのなんだのと野次られる中、次にどんな顔をして鋼の前に出れば良いのか、鋼があの口元のままよもや人の多い個人ランク戦会場なんかを彷徨きやしないか、酸欠の茹だる頭でもんもんと悩むことしかできなかった。


あとがき
ブラックウルフ村上鋼(211031)


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