硬い音がして、手首に、腕に、体中に衝撃がぶつかる。視界に広がるレイガストの緑色。私の弧月は明後日の方向に弾け飛んでしまった。
 久々に本部に来ていた鋼を見つけて、個人ランク戦を吹っ掛けたのは私だ。私と鋼は今の所属こそ違うけれど同期の仲で、C級の時からずっとその中では鋼が1番、私が2番という順位付けだった。別に、会えばちょっとした雑談はするし、荒船とか同年代と遊んだりご飯を食べたりする程度に仲は悪くはないけれど、なまじ入隊が同じだったために私の方は勝手に鋼をライバル視している。……当の本人の目にはそうは映っていないのだろうけど。
「ぐ……っ!」
 背中に衝撃。市街地のブロック塀に押し込まれて、呻き声が漏れてしまう。体のヒビからはモヤがあふれ出て、トリオンの漏出を告げてくる。
 今日の戦績は、さっきまでで19本やって15-4。勿論15が鋼だ。私は、前半4本取っただけで、あとはボロ負け。ここ2、3戦なんて、鋼に傷一つ与えられていない。いつもの眠たげに見える目の涼しい顔が、緑の盾越しに私を見下ろしている。
 悔しかった。私がどれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、鋼には敵わないのだ。鋼は自分のサイドエフェクトのせい、なんて地団駄を踏む私に気を使ってくるけれど、それも悔しかった。私にサイドエフェクトが無いから、なんて理由じゃない。鋼の上に、アタッカーだけで少なくとも4人はいるんだ。そのうち3人にそんなものはない。単純に、私の力不足だ。悔しい。毎回鋼が自分を卑下して私をフォローしようとしてくるが、それをされると何も言えなくなってしまう。悔しい。
 私を押さえつけるレイガストの像が歪む。スラスターでこのまま腹を真っ二つに押し切られるのだろう。悔しい。衝撃に備えて、ただぎゅう、と目を瞑るしかできないのだ。悔しい!
「……ぇ」
 想定では、腹からトリオンを放出して地に落ちるだけだったはずの私に降りかかってきた衝撃は、ひどく柔らかいもので、位置は予測よりも随分と上だった。思わず目を開けると、視界一杯に鋼のいつもの真顔……ではなくて、いつもより随分と眉尻の下がった……なにか困っているような、そんな表情が広がっていた。
「い、ま……何したの……?」
 今自分が何をされたのか、その表情はなんなのか、まったく理解ができない。一部欠けるように歪んだレイガスト。緑色じゃない鋼の顔がやけに近い。
「キスした」
「なんで!?」
 思わず食い気味に叫んでしまった。意味がわからない。何一つ。状況も、行動も。今まさにトドメをさす所で。しかもそもそも私と鋼はただの仲間だ。は? なに? なんで?
「……悪、い……」
 いや悪いじゃないんだが??? どうしてくれんのこの空気。痛覚が無いとはいえ、ブロック塀にも、私のトリオン体にもヒビが入るレベルで押し込められた窮地のこの状況で、なんで阿呆面にならなきゃいけないんだ。前に犬飼が面白いよと見せてくれた、宇宙を背景にトボけた顔をしている猫の画像がふと脳裏をよぎる。完全に気が抜けてしまった。
「その、いつも、」
 私が目を剥いて絶句していると、鋼がぼそ、ぼそ、と言い訳を始めた。何を気まずそうに弱々しい声音を出しているんだ。突然恋人でもない男に唇を奪われたのは私だ、私がそれで泣き喚きたいくらいだ。
の悔しがっている時の顔が……かわいい、と……」
「何言っ」
『トリオン供給限界。ベイルアウト』
 意味不明すぎる言葉に割り込む私の言葉に、無慈悲にシステム音が重なる。文句を言いきる前に体が引っ張られる感覚。
 打って変わって、背中には柔らかい感触。今まで幾度となく沈み込まされた、対戦ブースのベッド。
「あ、あぁぁ……!」
 頭をかきむしる。叫び出したい衝動に駆られる。
 さっきは呆気に取られて頭から抜けていたが、気付いてしまったのだ。上位アタッカーの個人戦となると、いつもよりギャラリーは増える。つまり、あれだ。衆人環視のスクリーンで、私と鋼のキスシーンが堂々と映し出されたに違いないのだ。ロビーではよりによって今日に限って荒船とかカゲとか、顔見知りが揃って観覧している。最悪だ、最悪だ、絶対に揶揄われる、絶対に明日にはボーダー中に広まるに違いない、最悪だ、どんな顔してブースから出ていけば良いんだ。これならまだ自信満々でふっかけて10-0で負けた日のみんなの空気感の方がマシだった、ああああああああ最悪だあああああ。
 ていうか“かわいい”ってなに。よりによって“悔しがる顔が”っていう限定はなに。しかも、“いつも”ってなに。鋼あいついつも私と戦う度にそんなこと考えながら切り捨ててたの? ていうかキスするってどういう感情なのよ。訳がわからない。脳味噌内側から爆発しそう。
 対戦相手からの着信ランプに応答なんてできない。数分後に、ギャラリーの顔見知りがニヤけながら問題の野郎と共に突入してきたが、私は正直、切実に、あと1時間は頭を抱えていたかった。なんでお前はちょっと頬染めてんの!? そんな顔初めて見たけど!?
「さっきのは嘘じゃない。の、ああいう顔はかわいいよ」
 ……あと、一言余計なんだけど!!!!!







◆オマケ(テンポの関係で没にしたオチ)

「……で? お前なんであんなことしたんだ」
 ソースと、うまい具合に焦げ目のついた生地の香ばしい香りの中、本題と言わんばかりに、荒船が口火を切った。
 あの後、いつの間にか集まっていた同年代共に半ば担ぎ上げられながら、そのまま”かげうら”まで強制連行されてしまった。
「ほんとだよ! おかげで絶対明日は女の子たちにはキラキラした目で質問責めにあうだろうし、男どもには知ってる奴にも知らない奴にも揶揄われるじゃない!」
 さっきは途中になってしまったが文句のひとつでも言ってやりたくって、机を叩いて睨みつけてやる。その場の全員が箸を止めて鋼の言葉を待っていると、当人は素知らぬ顔で美味しそうにカゲの焼いたお好み焼きを咀嚼してしっかり飲み込んでから、、と私の名前とともに小さく笑った。
「その顔もかわいい」
「ッこの天然が!!!」
 私が掴みかかろうとするのを水上がはがいじめにする。私の叫び声が響くと同時に、爆笑の渦が巻き起こるのだった。


あとがき
村上くんってちょっと天然っぽいなあと思って(210124)


よかったなあとかあればポチッと→ ❤❤❤