出られない部屋ネタ


 私は、水上敏志のことが苦手だ。
 彼は、頭も口もよく回るし、それに裏打ちされたシューターとしての評価も高い。しかし、人の揚げ足を取らせ、人の意見を封殺させ、とにかくあらゆることにおいて”やりたいことをやらせない立ち回り”をさせたら、あれに敵うものはないだろう。ざっくり言うと、水上敏志とはそういうやつなのだ。
 そんな水上でも一丁前に自分のところの隊員たちはカワイイようで、彼らの前ではそんな様子をおくびにも出さない。ただでさえ関わるたびに腹が立つというのに、性格が悪いなら悪いで一貫せず猫被りまで覚えているというのも、より一層、本当に気に食わない。
 人の悪口を言うのは良くない。それはそうなのだが、その上で私は水上のことが生理的に無理だと主張したいのだ。
 何故か? それは、今、この状況にある。殺風景で、四方も上下も真っ白な部屋。一瞬訓練室か作戦室かと思ったけれど、明らかに狭い。なにより扉もコンパネも何も見当たらない。私以外で唯一色を持つのは、背景から浮きまくっている赤い隊服だけだった。つまり私は、これだけ嫌悪感を抱いている相手とどういうわけか密室で二人きりになってしまっているのだ。……これが、どれだけ気まずいことか! ぐだぐだ語った理由も含めて私の熱いこの気持ち、わかってもらえただろうか。
「もう何もないやろ。無駄に体力消費するだけや」
 あくせくと焦りに突き動かされる私に対して、余裕を残したのんびりとした声が神経を逆撫でする。私たちはお互いの存在に気付いてすぐ、部屋の中を探索した。もちろん一緒にじゃなく、私は水上の対角をとりつつぐるぐる回った。もう3周はしたけれど分かったことといえば、不自然なほど塵一つ傷一つ無いことだけ。あとはそこから、
「トリガー関係のバグなら俺らにどうしようもないやろ」
「わ、わかってるよ!」
 ……水上と話していると、いや別に私に話す気がなくても、こうやって思考を先取りされてやれやれと呆れ気味に諭されるのも苦手なところだ。ただ話しているだけなのに、常に馬鹿にされているような気がしてくる。……まあ、学校でもボーダーでもあらゆる成績で勝てては居ないんだけど。だからといって下に見られて気分が良い訳がない。
 部屋の中央で気怠げに手招きする水上を睨みながら、丁度4回目を調べ終えたキレイな壁にぴったりとくっつく。絶対に近寄りたくない。何があっても。
「そんな警戒することないやん」
 だというのに、傷つくわー、とまるで傷付いていないへらへらとした様子で水上が頭をかきながら近づいてくる。その分、私はじりじりと背中の壁伝いにスライドする。うるさい。勝手に傷付いていて欲しい。私は普段その数倍傷付いてるんだから。
 いや、私が水上に近づきたくないのは、もっと大きな理由がある。まあ、水上のことが苦手じゃなければ、ここまで頭を抱えることは無かったと思うが。
「だって、水上、あの馬鹿げたやつ!」
 さっき、この部屋には何もないと言ったけれど……本当はある。私から、水上を挟んで、反対の壁。そこの上部に、デカデカと文字が表示されているのだ。

【キスをしないと出られない部屋】

 こんなアホな話がある!? 転送なのか分からないがこの空間で気が付いて真っ先に目に入ったこの文章には、流石に隣に突っ立っていた水上も口を開けて固まっていた。数秒でいつもの真顔に戻ったけれど。
 こんなもの、意識から無理矢理追い出して、消し去ろうとしていた理由もわかってくれるだろうか。ともかく、私はもうずっと血の気が引きっぱなしだった。ここまでぐだぐだと嫌なやつだと語り続けられるほどの相手と閉じ込められて、その上キスしろ、だなんて悪い夢だとしか思えない。いや、あまりに非現実的すぎて夢だと思うけれど、こんな悪夢を見ているのだとしたら朝イチで30分くらい歯を磨きたいし、今日は学校かボーダーのカウンセラーのところに行こうと思う。
 私が必死に謎の文字を指さして慌てふためき喚いているというのに、水上はなんと軽く鼻で笑い飛ばしてとんでもない暴言をよこしてきた。
「なんや、意識してくれてるん?」
「違う、絶対に違う!」
「意地張るんもええけど、現実問題、あれしか手掛かりないやん」
 はあ、なんて壁際の私に聞こえるようなハッキリクッキリわざとらしいため息をついて、まるで聞き分けの悪い子供を嗜めるような言い方をしてくる。なんだその呆れきったような態度は。やはり、水上は私を苛立たせる天才だと思う。この世で最もいらない才能だよそれは。
「じゃあ、水上、アレの通りにする気なわけ!?」
「する、って言うたらどうする」
 ……ほら見ろ、距離を取っていて正解じゃないか!! 多分、今の私は一瞬で物凄い顔をしたと思う。自分でも頬が限界まで引きつっているのを感じるし、何より、普段どれだけ言い返しても知らん顔の水上が顔を顰めて不愉快を表した。
「……舌を噛んだほうが幾分か、マシ」
「ほーん。なら、噛んでもらおか」
 私がこの部屋で最後に見たのは、一切の表情を失った水上の顔だった。
 そして、手を上げ大股で近づいてくる水上に驚き目を瞑ってしまった私が最後に感じたのは、後頭部を鷲掴みにされる衝撃と、がちりと何かにぶつかる歯の痛みと……ぬるりと滑り込んできた口内の気持ち悪さだった。

 ***

「さ、さ、さ、最低、」
「痛った~……なにするん、本当に噛むこと無いやん」
 自分の置かれた状況も、自分の身に起こったことも、なにもかもわけが分からなさすぎて、限界だった。ずるずるとへたりこみながら、隣に突っ立ってわざとらしく口元に手を当てている水上を睨みあげる。……何が”本当に”だ、私は自分のを噛み千切りたかったんだよ! それにトリオン体なんだからそんなに痛いわけがない。騙されない。大体、水上が悪い。絶対に悪い。いや、違う、まだ何をされたか確定じゃないけど。絶対にそう。
「最低、いや、うそ、最悪、ありえない、」
「なんでや。実際、一番手っ取り早かったやろ」
 周りを見る水上の目線に合わせてその先をぐるりと追うと、自動販売機、簡易なベンチ、角に立つ観葉植物、自然な汚れのある壁……実に見覚えのある、ボーダーの休憩スペースだった。
「え、あれ…………白昼夢?」
「へえ、突っ立ったまんまで、二人揃って同じ夢見たっていうんか。それも俺とキ」
「黙って!! あと、忘れて、ぜんぶ、なにもかも」
「うるっさ……前半はそうしてやってもええけど、後半は無理やな」
 この野郎。私が元気だったら、ノータイムで撃つか斬りかかっていただろう。代わりに、ごそごそとどこ吹く風で自販機の取り出し口を弄っている水上の背中に、穴が空いてしまえと目から殺意を送り続ける。私の口をつぐめという要求を律儀に実行しているつもりなのか、静かになった水上がペットボトルを片手に戻ってきた。いや別に戻ってこなくていいんだけど。早く何処かに行ってくれ。
 そうして、目線で人が死ぬわけ無いやろ、と雄弁に伝わってくる心底馬鹿にした目で私を見下ろしてから、ペットボトルに口をつけた。なんだこいつ。わざわざ私の前で自分だけ悠々と喉を潤しやがって。私だって同じだけ閉じ込められていたから同じだけのどが渇いているし、それに、いや、そんなわけはないしあれは絶対白昼夢だけど、とにかく無性に口をすすぎたい気分だ。
 水上への文句を力になんとか立ち上がると、目の前に3分の1ほど減ったペットボトルが差し出された。無言を貫きながら、ん、と促してくるので、つい受け取ってしまった。飲んでいいということだろうか。一応ありがとうと呟いて、それから自分勝手だと内心とはいえ悪態をついたりして悪かったな、と少しだけ反省する。本当にちょっとだけど。そうして、ペットボトルのキャップを開けて口づけようとして、止まる。
 水上の人差し指が、まっすぐ立てられた。
 私の目が思わず吸い寄せられたことを確認し、その指先が、すい、と動く。私の顔に向けてぴたりと止まる。いや、手に持ち中途半端に浮いたままのペットボトルだろうか? どちらにせよ人に向かって指をさすなと思っていると、続いてその指先は水上の元に帰っていく。とん、とん、と意味ありげにゆっくりと叩いて指し示したのは、水上の口だ。その薄い唇が、6回、動いた。
 ……意味を理解して、カッと頭に血が上る。感謝や反省なんかする必要、無かった。ペットボトルを握りつぶしそうになるのと、罵倒をぶつけそうになるのを堪えながら、辛うじて喉の奥から言葉を絞り出した。
「やっぱり、私、水上のこと、受け付けない」
「……安心してええで。そうやって感情的な割に鈍感なところ、俺も嫌いや」
 感情的かどうかはさておいて、鈍感なのはどっちだ。私には、水上は鈍感どころか人の心が無いのではとすら思える。私の中では決して現実じゃない夢の中のこととはいえ、会うたびに一々小馬鹿にしないと気がすまないくらい嫌いな人間相手にキスをしようなどと、水上はよくもまあ思えるもんだ。例え嫌がらせでも私には無理だ。
 言うだけ言って、水上はくるりと背を向ける。その一瞬見えた顔は、あの部屋で最後に見たそれと同じだった。私は、ひとりぼんやりと突っ立ったまま水上が消えていくのを見送って、のろのろと自販機横のゴミ箱に移動した。
 しかし、意識してしまうのも水上の嫌がらせにハマるようで腹が立ち……私は手元に残されたそれに口をつけ、一気に飲み干した。


あとがき
一度出られない部屋ネタ書いてみたかった(220423)
6文字:かんせつきす


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