誕生日祝い クラスメイトの彼女


 わたしには、悩み事がある。それも、もう3週間くらい頭を抱えているような。
 ”水上敏志という男は、果たして誕生日を祝われて喜ぶのだろうか?”
 いや、仮に喜ばれなくても、“恋人”の誕生日なんだから祝うつもりは満々なんだけど、まあ、そりゃあ祝うからにはやっぱり喜んでもらいたいと思う。
 そう、わたしの恋人なのだ。
 昨年転入してきた水上が偶然隣の席になったあの日から、校舎の案内を頼まれ、なんだか分からないが会話をしているうちに土日にも三門市や隣町の案内をする約束になっていて、そのまま何故か本屋や水上の趣味である寄席にも付き合うなど、水上にボーダーの予定がない日はなにかと行動をともにすることが多く……あれよあれよという間にそういう関係に落ち着いてしまった。本当に転がっていくようで、そうなる時もムードも何もなく、いつもの様に本屋で立ち読みをした帰りだった。
「俺たちの距離感で付き合うてへんのは嘘やろ。も、周りに気ぃ使わせとるん気付いてるやろ」
「まあ、確かに」
「ほな、よろしく」
 なんて、雑談で終わらせるにはしっかりと重みがあり、でも告白というにはあまりに軽いやりとりだった。おかげで、未だにわたしは水上と呼んでいるし、あっちもとわたしのことを呼んでいるままだ。そのくせ、周りはみんなしてとっくにわたしと水上は付き合っているものだと思っていたと口を揃えて言うのだから不思議だ。わたしはそんなつもりは露ほども無かったし、水上もドライだからきっと同様に首を傾げただろう。そんなわたしたちの間に周りがそわそわするほど甘い空気なんか漂ったことは一度も無いと思うのだけれど。
 まあ実際、水上は暇さえあればいつの間にか隣に居て気ままに過ごしているし、何か買い物とか寄席に気になる噺家がくるだとか用事があれば一緒に出かけるし、共有している時間は長い。でも、所謂“恋人らしいこと”は、ひとつもしたことがない。よくよく思い返してみたら、手を握ったことすら無い気がする。当然恋人らしさの象徴であるキスなんてもっての外だ。過ごし方が彼女どころか男友達、いやもう兄弟か何かのような何の波風もない関係すぎて、ここまで来るとわたしと水上がそんなことをする姿が想像もできない。ううん、笑っちゃいそうだ。
 こう考えていると、よく分からなくなってくる。最初に付き合うとかなんとか切り出したのは水上だけど、そもそも水上はわたしのことが好きなんだろうか。あの頭が良くて割り切りも早く面倒ごとはいつの間にか避け切っている水上が、わざわざ一緒に過ごす相手に選択してくれる程度には好感を抱いてもらっているんだろうけど、それは恋愛的な好意かどうかは全然分からない。
 高校生だし、周りに何か言われるのも面倒だからとりあえず彼女の枠埋めとくか的な感じだったりしない? 丁度良くお人好しのアホが捕まったからまあこれでええか的な感じなんじゃない? とかぐるぐる考えてしまったりもするが、まあ別にわたしに好きな人がいる訳でもなし、水上とは話やテンポみたいなところで馬が合うというか、水上と居ると気楽だし、それでなにか困るといったことは今の所一切無いので、まあ一緒に過ごすのも良いかと放置してしまっている。わたしと水上は、そんなゆるゆるとした関係だ。
 閑話休題、問題はそこではないのだ。そう、そんな水上敏志の誕生日をどう祝うかだ。形だけとはいえ“恋人”なんだから、流石に知らんぷりはダメだろう。水上がどうかは分からないけれど、わたしはそういうのは気になってしまうし、恋人というところは疑問があるけれど少なくとも仲の良い友人くらいの付き合いはしていると思っているから、やっぱり祝えるならば祝いたい。そしてできれば喜んで欲しい。鼻を明かしたいとまでは言わないが、水上の表情を変えさせてみたいと思う。

「……というワケで、水上、誕生日何かしたいこととか、欲しいものある?」
「いやいや、なにがどういうワケやねん」
「誕生日。ひと月前から悩んでるんだけど、水上が何を喜ぶか分かんないからもう本人に聞いたろというわけです」
「投了か」
「仕方ない。変に考えすぎても仕方ないし」
「せやな。トチ狂ってフラッシュモブでもされたら虫唾が走るところやったわ」
「でしょ。……というワケで、なんかない?」
 結局、ついぞ何も思い浮かばないまま今週末まで誕生日が迫ってしまったので、観念して昼休みの終わりに本を読む本人の肩を叩いてみた。いつもその頭の回転の早さでポンポンと言葉を返してくる水上には珍しく、少し間を開けてから「ほな一日散歩でもしよか」といつもの澄ました顔で返事が来た。
「え、そんなのでいいの」
「まあ、ええやろ。夜はボーダーのシフト入っとるから、一日いうても夕方までやけど、十分やろ」
 ほとんど予想通り、自分のことだというのに興味がなさそうに答えながら水上は本を閉じて表紙を弄る。あれは、この間買った詰将棋のやつだ。落語のCDとかも、さらにその前の土曜に買ったばかりだ。
「まあ、水上がそれで良いならいいけどさ」
「誕生日いうても、別に俺以外にとっちゃただの日曜日やからなあ。……欲しいもんはもう大体手に入れとるし」
「まあ、確かに」
「ほな、よろしく」
 話は終わりだ、という水上の合図と共に、丁度午後の始業のチャイムが鳴る。なんてタイミングが良い。じゃあまたあとでと手を振って足早に自分の席に戻った。

 傾き始めた日差しを受けて河川敷を歩きながら、しみじみと肺の空気を垂れ流す。12月に入ってめっきり冷たくなった風が、頬をくすぐって通り過ぎていった。
「はー……本当に1日ゆっくりしちゃったねえ」
「いうても隣町の大きいとこの本屋行けたし、噺も2、3聞けたからまあ充実したんちゃう。それに、時間の浪費以上の贅沢は無いって言うやろ」
 そしてやってきた誕生日当日、約束していた通り水上はわたしと日がな一日のんびり歩いてのんびり本屋を物色しのんびりサンドイッチを食べながら寄席を見て、まあ普段土日に会う時と同じようなことをして過ごした。
 一応便宜上は水上のお祝いの散歩なんだけど、気持ちいつもよりちょっとお洒落着をして出会い頭に「似合うやん」なんてお世辞をもらってしまったわたしの方が下手したら”今日の嬉しいこと総数”は多いかもしれない。本当にこんな過ごし方で良かったんだろうか。まあ、水上は過剰に持ち上げられたり囃し立てられるのは嫌がるだろうし、いつものぼうっと過ごしている雰囲気を考えると、丁度良かったのかもしれない。
 この自然体で楽に緩く居られるというのが水上にとってのわたしといる時間のメリットなんだろうし、そもそも水上は嫌なら嫌と割と態度に出るから少なくともそうではなかったんだと思う。多分。ちょっと心配になって隣の水上の顔を盗み見るが、1日通して同じ顔で、つまり機嫌は悪く無いように見える。水上は普段からあまり表情が激しく動く方では無いけれど、むしろ……なんか嬉しそうに見えるのは、希望的観測、だろうか。
「はあ、そろそろ時間やな。よー歩いたわ」
「どうする、最後にケーキ屋でも寄る?」
「あー、ボーダーの方で出ると思うわ。が食いたいんならええけど」
「うーん、水上がいらないならいいかな。ていうかボーダーってひとりひとり祝ってくれるの?」
「いやウチの隊で、や。“絶対早めには来ないでくださいね!”いうて釘刺されたから、多分なにかしら用意してくれてるんやと思うわ。他の隊員の時は俺も用意したしなあ」
「なるほどなあ」
 かさかさと河川敷の乾いた草の音が、静かな風に乗って聞こえてくる。水上と居る時間は、無言が多い。関西人は喋り続けないと死んでしまうものだと思っていたが、大きな間違いだったらしい。そしてこの水上といる時の沈黙は、わたしにはどうにも気楽で心地が良い。お互いスマホをいじったり本を読んだりはたまたぼーっと考え事をしたり、そして何か言うことがあれば口を開き、緩々とやりとりをして、またお互い好きにのんびりする。水上は頭が良いから、話の内容も面白いし、時々わたしの心でも読んでるのかと言うほど的確だ。多分、この空気感のおかげで、わたしと水上はどれだけ長く一緒に過ごしても大丈夫なんだろう。うーん、わたしが水上に恋心を抱いているかどうかはなんとも言い難いけれど、水上といる時間を手放したくないと思うのは、やはりそういうことなんだろうか。

「ねえ、プレゼント、物は何にも要らないって言ったじゃん? だから物は用意してないんだよね。水上、いつもこういうのは本音だし」
「おう。”物”分かりの良い彼女でうれしいわー」
「良く言うよ」
 とりあえず、代わりに心の準備をしてきたことが残っているので、それだけは今日しっかりお祝いのお気持ちとして贈りたいと思う。
 なんでもない事のように笑うふりをしながら、すぐ隣をぶらぶらと動くそれ……水上の手に、自分の手を滑り込ませる。というか、緊張でもはや突っ込んだという勢いになってしまった。水上の肩が小さく揺れる。ぎこちなくなっちゃったけど、ともかく、手を握った。しかも、互いの指を交互にした……そう、”恋人”繋ぎだ。
 水上の足が、ぴたりと止まる。つられてわたしも立ち止まる。
「あの、さ」
 恐る恐る見上げてみると、水上はいつもの考えを読ませない落ち着いた顔をしていた。水上の小さめの瞳が、静かにわたしを捉えて探るように見下ろしている。
 もうここまで来たからには、やり切る、やってやるぞ、と気合を込めてわたしは口を開く。これを言わなければ、今日居る意味がないのだ。
「わたし、なんだかんだで一緒にいて気楽だし楽しいし、あー……えっと、さ、敏志、と居られるの、良いなあって思ってるよ。だから、その、ぁ改めて……誕生日おめでとう」
 いや、ダメすぎる。いつも気ままに過ごしている相手を名前で呼び、更に畏まって気持ちを伝えるの、思った以上に気恥ずかしい。一応昨日一日かけて考えてきた言葉は噛むし、どもってしまったし、なんかもう最後の方はもうごにょごにょ口の中で呟いているようなものだったし、全然決まらなかった。
「なんやそのわざとらしい呼び方と……これ」
 水上が、繋がれた手を持ち上げてわたしの顔と交互に見る。だらんと垂れ下がる私の腕の向こうで、水上は呆れたような口調とは裏腹になんだか楽しそうな顔をしている。……そうだ、ボーダー組の人たちと将棋やチェスをしている時に、たまにこんな顔をしていた気がする。
「もしかしてプレゼントは自分、とか言いたいんか」
「えっ!? いやっ、そういう、訳じゃないですけど!?」
「声裏返っとるやん。冗談に決まって……いや自分から手握っといて真っ赤になることは無いやろ」
「だって水上が、」
「敏志、ちゃうんか」
「さ、としが変なこと言うから、じゃん!」
「ん、よお言えました」
 ……喉の奥で、潰れた蛙みたいな音が出そうになってしまった。だって突然、みず、さと、水上が、わたしの手の甲に、口をつけたりなんかするから! そこに、全神経が集まったみたいだ。少しかさついた唇が、そのままゆっくり押し当てられて、また同様に離れていく。唇って思ったより柔らかくないんだ。いや、水上が薄めなのか。びっくりしすぎて、反射的に腕を引こうとしても、しっかり絡んだ指が、全く解けない。掲げられて良く分かる、わたしのよりも平たくて大きい手。触れ合っている指が、いや手の甲、いや、なんかもう手全部が熱い。低温やけどでもするんじゃないか。
「ほんま……のそういう素直でアホなとこ、おもろいなあ」
 くつり、とくぐもった笑い声に合わせて水上の喉が揺れる。一方でわたしは、どっどっどっどっ、バイクのエンジンみたいな音を立てて心臓を跳ね回らせていた。こんな筈では。どちらかというと、恋人らしいことをちょこっとしてみて、それに水上がツッコミでも呆れでもなんか反応してくれたら良いかなくらいの気持ちだった。
「ぼさっとしてたら日ぃ暮れるな。ほな、バス停まで行こか」
 そう言って、水上はのんびりと歩き出した。わたしは、繋がれた手に引かれるまま、着いていく。
「誕生日か……なんや思いがけずええもん貰ったなあ」
 なあ""、と音を楽しむように強調された呼びかけに反応ができない。いつもどうやって話してたんだっけ?
 この日、わたしは初めて水上……敏志、と一緒に居る時間に落ち着きも、心地良さも感じることができなかった。


あとがき
夢主視点だとドライだけど、水上視点だとド重い感じだといいなあ(211210)


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