ぽとり。最後に残っていた鮮やかなその色が生駒さんのお皿に落ちる。
 すっかり薄黄色になった綺麗なそれに、続けて生駒さんは楽しそうにナイフを差し入れた。そうして端整に切り分けられた桃の果肉が、私のまっさらなお皿に並べられていく。

「ウマイ?」
「美味しい、です」

 自分は中途半端な切れ端や種の周りにわずかに残った部分を齧りながら、生駒さんは私の反応をまっすぐな目で満足気に眺めている。実際、とても美味しい。息をすればもはや香料でも使っているのかと思うほど豊潤な香りが意識を引っ張り、ひと噛みすればじゅわりとなるほどこれが天井の果物かと納得のいくほど幸せな甘さが口の中いっぱいに溢れ出してくる。
 ……ただ、それはそれとして、気まずさがある。

「生駒さん……逆、じゃないですか?」
「逆?」
「ポジションというか、その、剥くのとか」

 この間俺の実家から良いもん食えって送られてきたんや、といつものなんともない顔で生駒さんは現れた。夕方からシフトに入っているから今日は会えないと思っていた訪問者が手に提げる紙袋を覗いてみれば、中身は本当に良い物だ。それじゃあせめて私がと思ってナイフとお皿を用意したというのに、フォークを取りに行って戻ってくるともうナイフと桃は生駒さんの手に取られていて、慌てる私があしらわれているその間に、どんどんと桃はその名の色を削られていってしまったのだった。

「別に、俺がちゃんに美味しい桃食べて貰いたいな~ちゃんの喜ぶ顔が見たいな~って思て勝手にしとるだけやで?」
「ウ」
「お、ほっぺたにカワイイ桃があるやん」
「ウゥ」

 返す言葉が喉元で霧散してしまう。生駒さんに、真顔でまっすぐにサラッとカラッとこういう言葉を寄越されると、私はどうにも弱い。多分、あまりこういうことを言うのも言われるのも慣れているよという人の方が、少ないと思うけど。
 顔が熱くなったところで、口当たりがほのかに冷たいことに気がついた。どうやら生駒さんは、数日前に届いたというこの桃を熟れるまで待って、わざわざ冷蔵庫に入れて、でも甘みが薄くならないように冷やし過ぎに気をつけて、ここまで持ってきてくれたらしい。しかも、たまたま桃が今日一番美味しく食べられるからってだけで、シフトや大学の課題もあるだろう中で時間を縫って来ている。……それもこれも、きっと言葉通りただ私の為だけに。
 ああもう、本当に、生駒さんはどこまでも私に甘い……!

「ウウゥ」
「……せやなあ、ちゃんがどうしてもお礼をしたいって言うなら……」
「なんですか」
「イコさんのお願い、いっこ聞いてくれる?」
「も、勿論です!」

 申し訳なさで呻き声しか出せなくなる私に、生駒さんは顎を撫でながら思わせぶりに思案の顔をした。
 いつも今日のこのレベルであれやこれやと甘やかして貰ってばかりの私にとって、何かと言えば「ちゃんの喜ぶ顔が見れればそれでええ!」で封殺され続けている私にとって、それは少しでもお返しができるかもしれないというむしろ願ったり叶ったりな言葉で、つい前のめりになってしまった。

「あーん、させてくれへん?」
「あ……!?」

 しかし飛び出したのは予想外なお願いだった。その頭の音しか返せない私に生駒さんは「あーん、や」とフォークを差し出してくる。その先に刺さっている桃は改めて見て綺麗に切られていて、生駒さんが料理の練習をしていることが嘘じゃないんだなあということ、いずれ教えたことがあるものも教えたつもりのないものも詰め込まれた私の好物フルコースを得意気に披露してくれるんだろうなあと確信めいたことがふと頭を過ぎる。
 
「け、結局、私がして貰うだけじゃないですか」
「ええんや。それに、あーんってなんかコイビトって感じで……憧れるやん?」

 真顔で桃を突き出したままもじもじされてしまうと何と返したら良いのかわからず、驚きと動揺で口が開きっぱなしになってしまう。あっけなく放り込まれたひやりと瑞々しい甘さを堪能しながら、私はやっぱり後ろめたさを感じてしまう。

「ウマイ?」
「美味しい、です」
「おうおう、もっと食べ」

 私のそんな気持ちを知ってか知らずか、生駒さんは目を細めてにっかりと笑う。その男前な顔を直視してしまい、つい、また頬に熱が寄ってしまう。普段九割方すました顔をしているこの人のこんな破顔した笑みを見せられてしまっては、”自分が疑いようもなく溺愛されていて、しかも生駒さんにとってはそうすること自体が嘘偽り無く嬉しいことなのだ”と嫌でも理解させられてしまう。
 いや、決して嫌ではないけれど……もしこんなことを他人が聞けば、呆れて耳を塞ぎかねないくらいにひどい自惚れだと思うんじゃないだろうか。自惚れじゃないのがすごいところだ。
 
「い、生駒さん」

 それでもせめて、なにか一つでもお返しを、と思っても今この手元には器用に切り揃えられた桃しかなく、また何かを用意する時間もない。私は、震える手で自分のフォークを持ち上げた。

「あ、あーん……」
「……………………」

 その時の生駒さんの顔は、多分一生忘れないと思う。いつもきりりと何処かしらを見つめている目を丸くして、いつも力強く軽快な言葉を吐く口をぼんやり開いて、生駒さんのお皿に広がる皮よりも鮮やかな色に染まった……そんな気の抜けた顔を。
 
「ウマイですか?」
「美味しい、です」

 半開きの口に放り込んだそれを生駒さんが咀嚼し終える頃には、その耳や首まで綺麗な桃色になっていた。


あとがき
18巻サインのイコさんの笑顔好きです (210822)


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