懺悔

外の夜風が教会の壁に当たる音が、かすかに聞こえてくる。
 蝋燭の明かりだけが揺らめき、主の像を照らしていた。
 私は祭壇の前で静かに祈る。心の中で神に許しを乞い、何度も何度も指を組み直していた。
 街の一番はずれにある小さな教会の神父様。盧笙先生の教えを胸に刻み、穢れなき心を保とうと祈っているのに……そう思えば思うほど、どうしても拭えない罪が胸を焦がした。
 
「……こんな夜更けに熱心ですねえ」

 不意に響いた低い声に、私は肩を震わせた。振り向けば、いつから居たのか、黒い衣の男性……入間神父が佇んでいた。闇を纏うような静けさで歩み寄ってくるお姿は、まるで私の罪そのものを鏡に写すかのようだった。
「眠れなくて、少し、お祈りを」
 組んだままの手を少し握り込みながら答えると、神父様はふっと微笑んだ。入間神父は街の中心にある大きな教会で奉仕されている方だけれども、時折このようにして郊外の教会に足を運び教えを説いてくださる高名な神父様だ。
 でも、彼の表情には、いつも優しさと冷たさが奇妙に同居している。眼鏡越しの緑の瞳には、いつも私の後ろめたさを見透かされているような気がして、目を逸らしてしまう。
 
「懺悔室へどうぞ。まだ気持ちが鎮まらないのであれば、ですが」

 その言葉に導かれるように、私は黒衣の背に従い懺悔室へ足を運んだ。
 狭く暗い木造の空間。格子の向こう側に、入間神父の影が漆黒の中に揺れる。見えなくとも、彼の気配は肌に刺さるように強かった。
「私は……」
 言葉が喉に詰まる。打ち明けようにも、告げるべき罪をなんと呼ぶのか。入間神父の前にいると、私自身が何を罪と思い、何が正しきことと信じてきたのか、曖昧になる感覚に襲われる。
 
「──誰かを思うことに、罪などありませんよ」

 息を呑んだ。“同じ言葉”だったからだ。
 暗闇から諭す彼の声はどこか楽しげに聞こえた。だが、それを皮肉と取るには、あまりにも優しく……私の欲しい言葉だった。
「か……神に仕える方を、想うことも、ですか?」
 思わず溢れ出した言葉に、入間神父の気配が変わった気がした。
 しばらくの静寂の後、言い含めるようにゆっくりと言葉を紡がれた。
 
「人を想う気持ちに、貴賤はない」

 陽だまりのような温かい笑顔が浮かぶ。思い出すまでもなく、私はその言葉を教えてくれたあの人のことで、頭がいっぱいだった。
 
「ただ……それをどこに捧げるかは、その者の自由ですよ」

 顔を上げた。異なる言葉だった。格子越しに、私は神父様を見た。薄闇に光る瞳、その奥に宿るものは、神への敬虔な信仰か……それとも別の何かか。
「……神父様の信仰は、どこへ向かうのですか?」
 愚かな問いだった。すぐに気付き、私は悪い考えを追い出すようにかぶりを振った。あの入間神父様に、なんて失礼な疑いを。私の信心不足が、穢れが、闇に曝け出されているのだろう。
 入間神父は少しだけ笑い、静かに囁いた。
 
「“神”は、すべての罪を赦してくださいますよ」

 その言葉に、思わず喉が鳴る。
 彼の声音には、どこか含みがあった。
 信仰に根ざした優しさと、別の何かがないまぜになった響き。赦しを乞いに来た私の耳に、それはまるで甘い蜜のように滴り落ちた。
 
「何度でも、繰り返し赦しを与えましょう」

 柔らかな響きなのに、肌が粟立つ。この神父様の手に縋れば本当にすべてが楽になるような気がするのに、どうしてか、その赦しこそが逃れられない鎖のように思えた。
 
「またいらっしゃい」

 その声が、暗い懺悔室にどこまでも優しく響いた。
 
「私が、導いてあげましょう」